智積院

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智積院
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金堂
所在地 京都府京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964
位置 北緯34度59分17.05秒東経135度46分34.97秒座標: 北緯34度59分17.05秒 東経135度46分34.97秒
山号 五百佛山(いおぶさん)
宗派 真言宗智山派
寺格 総本山
本尊 金剛界大日如来
創建年 慶長3年(1598年
開基 玄宥
正式名 五百佛山 根来寺 智積院
別称 総本山智積院
札所等 真言宗十八本山7番
近畿三十六不動尊20番
京都十三仏霊場1番
文化財 大書院障壁画25面、松に草花図屏風、金剛経(国宝)
絹本著色童子経曼荼羅図、絹本著色孔雀明王像ほか(重要文化財)
庭園(名勝)
公式HP 真言宗智山派 総本山智積院
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総門

智積院(ちしゃくいん)は、京都市東山区にある真言宗智山派総本山の寺院である。山号を五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺(ねごろじ)という。本尊は金剛界大日如来、開基は玄宥である。智山派の大本山寺院としては、千葉県成田市成田山新勝寺(成田不動)、神奈川県川崎市の川崎大師平間寺(初詣の人出で例年日本一を争う)及び東京都八王子市高尾山薬王院がある。寺紋は桔梗紋。

歴史[編集]

智積院の歴史は複雑で、紀州にあった大伝法院と、豊臣秀吉が、3歳で死去した愛児鶴松のために建てた祥雲寺という2つの寺が関係している。

智積院は、もともと紀州根来山(ねごろさん、現在の和歌山県岩出市)大伝法院(根来寺)の塔頭であった。大伝法院は真言宗の僧覚鑁大治5年(1130年)、高野山に創建した寺院だが、教義上の対立から覚鑁は高野山を去り、保延6年(1140年)、大伝法院を根来山に移して新義真言宗を打ち立てた。智積院は南北朝時代、この大伝法院の塔頭として、真憲坊長盛という僧が建立したもので、根来山内の学問所であった。

近世に入って、根来山大伝法院は豊臣秀吉と対立し、天正13年(1585年)の根来攻めで、全山炎上した。当時の根来山には2,000もの堂舎があったという。当時、智積院の住職であった玄宥は、根来攻めの始まる前に弟子たちを引きつれて寺を出、高野山に逃れた。玄宥は、新義真言宗の法灯を守るため智積院の再興を志したが、念願がかなわないまま十数年が過ぎた。

関ヶ原の戦いで徳川家康方が勝利した翌年の慶長6年(1601年)、家康は東山の豊国神社(豊臣秀吉が死後「豊国大明神」として祀られた神社)の付属寺院の土地建物を玄宥に与え、智積院はようやく復興した。さらに、三代目住職日誉の代、元和元年(1615年)に豊臣氏が滅び、隣接地にあった豊臣家ゆかりの禅寺・祥雲寺の寺地を与えられてさらに規模を拡大し、山号を現在も根来に名を残す山「五百佛山」、復興後の智積院の寺号を「根来寺」とした。

祥雲寺は、豊臣秀吉が、3歳で死去した愛児鶴松(棄丸)の菩提のため、天正19年(1591年)、妙心寺の僧・南化玄興を開山に招いて建立した寺であった。現在、智積院の所蔵で国宝に指定されている長谷川等伯一派の障壁画は、この祥雲寺の客殿を飾っていたものであった。

この客殿は天和2年(1682年)の火災で全焼しているが、障壁画は大部分が助け出され、現存している。現存の障壁画の一部に不自然な継ぎ目があるのは、火災から救出されて残った画面を継ぎ合わせたためと推定されている。

近代に入って1947年にも火災があり、当時国宝に指定されていた宸殿の障壁画のうち16面が焼失した。この時焼けた講堂は1995年に再建された。講堂再建に先だって、1992年に発掘調査が実施されたが、その結果、祥雲寺客殿の遺構が検出され、日本でも最大規模の壮大な客殿建築であったことがあらためて裏付けられた。

伽藍[編集]

東大路通りと七条通りのT字路に面して総門(東福門院の旧殿の門を移築したもの)が建ち、その先には講堂(平成7年、1995年、300年ぶりに再建)、大書院、宸殿などが建つ。大書院は桃山城の遺構といわれる。大書院に面した庭園は千利休好みと言われ、国の名勝に指定されている。

境内奥には金堂(本尊金剛界大日如来、地下に胎蔵界大日如来)、明王殿(大雲院本堂を移築したもの、本尊不動明王)、大師堂(1789年築、空海を祀る)、密厳堂(1667年築、新義真言宗の祖・覚鑁を祀る)などが建つ。

他に収蔵庫(国宝障壁画を収蔵)、智積院会館(宿坊)などがある。

文化財[編集]

桜楓図のうち楓図(部分)長谷川等伯筆
松に草花図(二曲屏風一双のうち右隻)
桜楓図のうち桜図(部分) 長谷川久蔵筆
大書院にある複製障壁画(桜楓図のうち桜図)

国宝[編集]

  • 大書院障壁画 25面 長谷川等伯久蔵父子の作。正式の国宝指定名称は以下の通り。「桜楓図」のうちの「桜図」が等伯の子で26歳で没した久蔵の遺作とされている。
    • 紙本金地著色松に草花図 床(とこ)貼付4、壁貼付2
    • 紙本金地著色桜楓図 壁貼付9、襖貼付2 
    • 紙本金地著色松に梅図 襖貼付4
    • 紙本金地著色松に黄蜀葵及び菊図 床(とこ)貼付4
    • 附 違棚貼付、袋棚小襖等 26面
  • 紙本金地著色松に草花図 二曲屏風一双 屏風装になっているが、「大書院障壁画」と一連のものである。 
  • 金剛経 南宋時代の書家・張即之の筆。

重要文化財[編集]

  • 絹本著色童子経曼荼羅図
  • 絹本著色孔雀明王像
  • 絹本著色阿弥陀浄土図
  • 絹本墨画滝図
  • 紙本金地著色松に梅図 二曲屏風一隻
  • 増壱阿含経 巻第廿九

名勝[編集]

  • 智積院庭園 - 山は「廬山」を、池は「長江」をモデルにしている。

焼失した文化財[編集]

  • 柳及び芦図(床間・違棚壁貼付)6面、枇杷図(襖)4面(宸殿東の間)
  • 竹図(襖)4面、檜及び柏図(壁貼付)2面(宸殿西の間)

以上2件(16面)は旧国宝指定物件であったが1947年5月17日に焼失した。

その他[編集]

歴代化主(智積院住職)[編集]

世代 能化名 出身地 生没年月日 寂年
1 玄宥 下野皆川 享禄2(1529)~慶長10(1605)10.4 77
2 祐宜 下野西方 天文5(1536)~慶長17(1612)11.11 77
3 日誉 武蔵国 弘治2(1556)~寛永17(1640)11.20 85
4 元寿 下野国 天正3(1575)~慶安1(1648)1.13 74
5 隆長 越後国 天正14(1586)11.23~明暦2(1656)10.9 71
6 宥貞 上野国勢多郡 文禄1(1592)~寛文4(1664)5.6 73
7 運敞 摂津大阪 慶長19(1614)10.19~元禄6(1693)9.10 80
8 信盛 筑前国 元和6(1620)~元禄6(1693)1.8 74
9 宥鑁 甲斐国八代郡 寛永1(1624)~元禄15(1702)7.19 79
10 専戒 関西? 寛永17(1640)~宝永7(1710)6.24 71
11 覚眼 薩摩国 寛永20(1643)~享保10(1725)11.8 83
12 義山 伊予宇和島 正保3(1646)~享保7(1722)7.4 77
13 快存 薩摩国 正保4(1647)3.21~享保9(1724)8.29 78
14 智興 山城京 寛文1(1661)~享保13(1728)6.18 68
15 亮範 越前国 寛文10(1670)8.2~元文4(1739)9.27 70
16 鑁浄 大和国 ?(?)?~延享1(1744)4.24
17 龍天 常陸真壁 延宝5(1677)9.21~明和4(1767)2.6 91
18 快侃 山城国 天和2(1682)~宝暦6(1756)2.13 75
19 覚遠 山城国 元禄4(1691)~明和8(1771)4.14 81
20 浄空 下野国 元禄6(1693)10.10~安永4(1775)10.28 83
21 等空 紀伊国 ?(?)?~安永6(1777)6.1
22 動潮 武蔵国 宝永6(1709)~寛政7(1795)12.7 87
23 鑁啓 陸奥国 享保3(1718)~寛政6(1794)12.3 77
24 胎通 陸奥国 享保5(1720)~寛政10(1798)2.24 79
25 慈順 武蔵国 享保20(1735)~文化13(1816)9.19 82
26 浄光 安房国 享保14(1729)~享和3(1803)9.15 75
27 英範 近江国 享保15(1730)~文化1(1804)8.15 75
28 謙順 武蔵国 元文5(1740)~文化9(1812)9.16 73
29 観豪 紀伊岩手 延享4(1747)~文化10(1813)6.24 67
30 弘基 越後国古志郡 宝暦2(1752)~文政5(1822)12.6 71
31 亮海 下総太田 寛延3(1750)~文政11(1828)3.14 76
32 海応 佐渡国羽茂郡 明和6(1769)~天保4(1833)11.29 63
33 隆瑜 安房国安房郡 安永2(1773)~嘉永3(1850)4.3 78
34 禅宅 武蔵国足立郡 天明5(1785)~嘉永4(1851)2.16 67
35 先晋 武蔵国 安永1(1772)~弘化4(1847)12.17 76
36 範恵 山城国 天明8(1788)~嘉永3(1850)4.1 63
37 信海 三河国 天明3(1783)~安政3(1856)2.22 74
38 頼如 安房国安房郡 享和1(1801)~文久2(1862)8.24 62
39 隆栄 安房国安房郡 文化6(1809)~慶応3(1867)7.17 59
40 丹藤弘現 新潟県 文政1(1818)~明治11(1878)12.1 61
41 佐々木義範 新潟県 天保1(1830)~明治11(1878)9.10 49
42 松平実因 愛知県 文政3(1820)~明治22(1889)11.30 70
43 金剛宥性 千葉県 文政4(1821)~明治28(1895)1.13 75
44 佐伯隆基 福島県 天保2(1831)11.16~明治30(1897)10.3 67
45 船岡芳勝 新潟県 天保11(1840)1.20~明治29(1896)11.5 57
46 三神快運 新潟県 天保7(1836)8.13~明治38(1905)5.7 70
47 瑜伽教如 新潟県 弘化4(1847)7.12~昭和3(1928)12.20 82
48 伊藤宗盛 山形県 弘化1(1844)4.15~大正8(1919)12.16 76
49 大江存良 京都府 嘉永5(1852)~昭和3(1928)5.5 77
50 武藤範秀 京都府 慶応2(1866)7.12~昭和17(1942)3.18 77
51 滝 承天 愛知県 嘉永6(1853)10.8~昭和16(1941)9.11 89
52 青木栄豊 千葉県 安政4(1857)12.20~昭和11(1936)10.8 80
53 旭 純栄 茨城県 元治1(1864)7.16~昭和23(1948)3.31 84
54 斎藤隆現 石川県 明治1(1868)7.27~昭和22(1947)9.17 79
55 高井観海 和歌山県 明治18(1885)7.1~昭和28(1953)1.9 67
56 御嶽隆道 福井県 明治18(1885)8.19~昭和34(1959)1.4 73
57 倉持秀峰 埼玉県 明治24(1891)8.14~昭和47(1972)3.2 80
58 松平実亮 愛知県 明治16(1883)10.24~昭和42(1967)10.4 83
59 秋山祐雅 東京都 明治28(1895)9.25~平成1(1989)9.23 93
60 那須政隆 愛知県 明治27(1894)8.15~昭和62(1987)5.31 92
61 竹村教智 福島県 明治29(1896)9.10~平成2(1990)4.26 93
62 芙蓉良順 愛知県 明治33(1900)12.13~昭和58(1983)8.17 82
63 上野頼栄 福島県 明治39(1906)5.12~平成5(1993)11.6 87
64 小峰順誉 東京都 明治33(1900)2.4~平成2(1990)9.24 90
65 藤井龍心 大阪府 明治36(1903)7.21~平成10(1998)4.13 94
66 高井隆秀 滋賀県 大正5(1916)3.31~平成11(1999)5.18 83
67 近藤隆敬 東京都 明治45(1912)1.21~平成13(2001)2.9 89
68 宮坂宥勝 長野県 大正10(1921)5.20~平成23(2011)1.11 89
69 阿部龍文 東京都 大正13(1924)4.5~ 
70 寺田信秀 千葉県 大正8(1919)11.22~  現化主

交通アクセス[編集]

周辺情報[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]