山下佐知子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| 世界陸上競技選手権大会 | ||
| 銀 | 1991 東京 | 女子マラソン |
山下 佐知子(やました さちこ。1964年8月20日 - )は元女子陸上競技・マラソン選手であり、現在は指導者として活動中である。
目次 |
[編集] 経歴・人物
鳥取県立鳥取東高等学校、鳥取大学教育学部を卒業。いったん教育職に就くが、陸上への思いを断ちがたく教員を退職後、1987年に京セラに入社。浜田安則の指導を受け、マラソンで頭角を現した。
1991年3月の名古屋国際女子マラソンでは、マラソン初優勝を果たす。その後、1991年8月の世界陸上選手権女子マラソンで2位に入賞、銀メダルを獲得する快挙を成し遂げ、日本女子マラソンのメダリストの嚆矢となった。また1992年8月のバルセロナオリンピックの女子マラソンでも、惜しくもメダルに届かなかったものの、4位入賞という好成績を挙げている。反対に、その1991年世界陸上選手権で4位、1992年バルセロナオリンピックで銀メダルを獲得した有森裕子は、当時山下にとって最大の好敵手であった。
1994年に第一生命に移り、1996年より第一生命・女子陸上部監督を務めている。女子長距離種目では数少ない女性指導者の一人。また、毎年12月下旬の日曜日に行われる、NHKテレビ放映の全国高校女子駅伝では、TVの実況解説者としても活動している。さらに2001年より2007年までの6年間、増田明美と共に日本陸上競技連盟の理事を務めていた。
2002年12月の全日本実業団対抗女子駅伝競走大会では、第一生命の監督として駅伝初優勝に導く。女性指導者としては同大会で初めての快挙であった。
2008年3月、第一生命陸上部の元マネージャーだった、13歳年下の吉原智司との結婚を表明。
2008年11月16日、第30回東京国際女子マラソンを愛弟子の尾崎好美が優勝。レース後の優勝インタビューを尾崎が受けているときに自らも壇上にて、インタビュアーを勤めたテレビ朝日の宮嶋泰子から尾崎のレースについての感想を訊かれる場面もあった(11年前の1997年11月、第19回東京国際女子マラソンでも、同第一生命所属選手だった伊藤真貴子を優勝させている)。
さらに翌2009年8月23日、世界陸上ベルリン大会女子マラソンでは尾崎好美が2位に入り銀メダルを獲得。18年前の世界陸上東京大会での山下と肩を並べる成績を挙げた事や、3日前の8月20日には自身の誕生日だった話などをインタビュアーに訊かれると、山下は「いやぁ~照れますねぇ…」と終始はにかみながらも愛弟子の健闘を称えていた。
[編集] 経歴(マラソンのみ)
- 1989年03月05日 名古屋国際女子マラソンが初マラソン。2時間34分59秒の4位に入り、当時小島和恵の持つ初マラソン日本最高タイ記録をマーク。
- 1989年11月05日 ニューヨークシティマラソンに出走するが、2時間53分15秒の34位に終わり唯一の失敗レースとなった。
- 1990年01月28日 大阪国際女子マラソンに出走、2時間33分17秒の8位だった(同レースでは有森裕子が2:32:51の6位に入り、当時山下・小島の持つ初マラソン日本最高記録を更新)。
- 1990年08月26日 北海道マラソンに出場。2時間35分41秒の2位に入り、日本女子ではトップとなる。
- 1991年03月03日 直前に世界陸上東京大会女子マラソン代表に決定。同日名古屋国際女子マラソンに出走、ポルトガルのA・クーニャとチェコスロバキアのL・メリチェロワらと競り合う中、30Km地点を過ぎた後に山下自らスパートして独走、2時間31分02秒でフルマラソン初優勝を成し遂げた。
- 1991年08月25日 世界陸上東京大会女子マラソン本番に出場。25度を超す気温という過酷な気象条件により、有力選手が次々優勝争いから脱落する中、山下はレース終盤まで優勝候補のポーランドのW・パンフィルと互角に競り合った。結果、山下は優勝したパンフィル(タイムは2:29:53)にわずか4秒差であと一歩及ばなかったが、それでも2時間29分57秒の自己ベストタイムをマークして、見事銀メダルを獲得。当時世界陸上選手権で日本選手がメダルを獲得したのは、彼女が史上初であった(同じく世界陸上東京大会では男子マラソンで谷口浩美が優勝、世界陸上で日本選手初の金メダルを獲得)。この成績により、翌年8月開催のバルセロナオリンピック女子マラソンの内定代表に決まった(有森裕子も4位入賞、翌年3月に山下同様バルセロナ五輪女子マラソン代表となる。荒木久美は12位)。
- 1992年08月01日 バルセロナ五輪女子マラソン出場。レース中盤の30Km手前で、陸上女子選手として64年ぶりに五輪の銀メダルを獲得した、有森のスパートについていけなかったが、このレースも気温30度を超す猛暑の中を、終始持ち前の粘り強さを発揮して、2時間36分26秒の4位入賞を果たした(なお当初山下は5着でゴールしたが、4着でゴールした当時EUNのマディナ・ビクタギロワがドーピング違反で失格、山下は4位に繰り上がった。小鴨由水は29位)。しかしその後は故障等に悩まされ、1996年のアトランタオリンピック女子マラソン選考レースへの出場を断念。このバルセロナ五輪女子マラソンが、山下自身の現役選手として最後のレースとなった。
- 2007年2月18日 第1回東京マラソンへ久々にフルマラソンを出走。ゴールタイム5時間08分52秒、女子の部2937位(有森は現役ラストランで出場、2:52:45で女子の部5位だった)。
[編集] 関連項目
- 有森裕子-同じ日本女子代表マラソン選手としてライバルであったが、同時に仲の良い戦友でもあり、現役引退後の現在でも二人は親友同士である。女子マラソンでは1992年バルセロナ五輪で銀、1996年アトランタ五輪で銅と、二大会連続の五輪メダリストとなった。
- 荒木久美-山下と同じ元京セラ所属の陸上選手。年齢は山下の方が1年上だが、荒木は高校卒業後に社会人となり、京セラでは荒木の方が先輩となる。1988年ソウルオリンピックの女子マラソン代表選手であった。