円成寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
円成寺
Enjoji Nara04sb3200.jpg
本堂(重要文化財)
所在地 奈良県奈良市忍辱山町1273
位置 北緯34度41分44.98秒
東経135度54分55.42秒
山号 忍辱山(にんにくせん)
宗派 真言宗御室派
本尊 阿弥陀如来
創建年 (伝)天平勝宝8年(756年
開基 (伝)虚瀧、聖武孝謙両天皇(勅願)
札所等 大和十三仏霊場12番
文化財 春日堂・白山堂、木造大日如来坐像(国宝)
本堂、楼門、宇賀神本殿、石造五輪塔、木造阿弥陀如来坐像、木造四天王立像(重要文化財)
庭園(名勝)
テンプレートを表示
春日堂(左)・白山堂(右)(国宝)
楼門(重要文化財)
庭園(名勝)
大日如来像(運慶作、国宝)
宇賀神本殿(重要文化財)

円成寺(えんじょうじ)は、奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)にある真言宗御室派の仏教寺院。山号は忍辱山(にんにくせん)、本尊阿弥陀如来

奈良市街東方の柳生街道沿いに位置する古寺で、仏師運慶のもっとも初期の作品である国宝大日如来を所蔵する。

沿革[編集]

寺に伝わる『和州忍辱山円成寺縁起』によれば、沿革は次の通りである。

天平勝宝8歳(756年)、聖武孝謙両天皇の勅願により、鑑真の弟子にあたる僧・虚瀧(ころう)により開創される。万寿3年(1026年)に命禅が再興して十一面観音を祀ったという。しかし、鑑真とともに来日した僧の中に虚瀧なる人物は実在せず、奈良時代にさかのぼる遺品、出土品等も見当たらない。以上のことから、この草創縁起は後世の仮託と思われ、「中興の祖」とされている命禅が円成寺の実質的な開基であると推定されている。

平安時代末期の保元元年(1156年)、京都仁和寺寛遍が東密忍辱山流(とうみつにんにくせんりゅう)を開き、寺運は興隆した。この頃に本尊が当初の十一面観音から阿弥陀如来に代わったと思われる。

室町時代応仁の乱(1466年-1476年)の兵火により堂塔伽藍の大半が焼失したが、栄弘が入り再興された。

江戸時代は寺中に子院23か寺を有するほどであった。

明治廃仏毀釈による混乱により衰え、現在に至る。

境内[編集]

正門にあたる楼門の前には平安時代の面影を残す、池を中心とした浄土式庭園(名勝)が広がる。楼門を入ると本堂を中心に鎮守社の春日堂、白山堂、宇賀神本殿、多宝塔などが建つ。

現存する多宝塔は平成2年(1990年)の再建で、旧多宝塔は大正9年(1920年)、老朽化のため撤去された。ちなみに、鎌倉市の長寿寺にある観音堂は、旧円成寺多宝塔の初層部分の材を用いて建てられたものである。

文化財[編集]

国宝[編集]

  • 春日堂・白山堂 - 本堂の脇に建つ2棟の社殿で、2棟とも同規模・同形式である。安貞2年(1228年)の再建といわれる。春日造社殿の現存最古の例として国宝に指定されている。明治初期の神仏分離令による破壊をまぬがれるため、仏堂風に「堂」と称した。
  • 木造大日如来坐像 - 台座内部の銘により、安元2年(1176年)、仏師運慶の作であることがわかる。運慶は東大寺興福寺などの復興造仏に尽力し、鎌倉時代を代表する大仏師として知られるが、この作品は作者の20歳代後半頃の、現存するもっとも初期のもので、時代的には平安時代末期に入る。像高約99センチメートルの寄木造漆箔仕上げの像で、光背台座も大部分平安時代当初のものが残る。作風は平安時代風を残しつつ、均整が取れ、引き締まった体躯表現、張りのある表情などに運慶の特色が現われている。もとは本堂内に安置されていたが、現在は多宝塔に移されている。

重要文化財(国指定)[編集]

  • 本堂 - 室町時代の建築だが、全体の意匠は寝殿造風である。入母屋造妻入(屋根の形が三角形に見える方向を正面とする)とするのは仏堂建築には珍しい。寺の説明には文正元年(1466年)建立とあるが、文化庁の資料では棟木銘から文明4年(1472年)建立としている。内部には本尊阿弥陀如来坐像と四天王立像を安置する。内陣の柱には阿弥陀如来に随って来迎する二十五菩薩の像が描かれている。
  • 楼門 - 応仁2年(1468年)建。
  • 宇賀神本殿
  • 石造五輪塔
  • 木造阿弥陀如来坐像
  • 木造四天王立像

名勝[編集]

  • 円成寺庭園 - 平安時代後期の作庭

その他[編集]

  • 南無仏太子立像 - 奈良県指定文化財、本堂安置、聖徳太子2歳像、延慶2年(1309年)造立
  • 螺鈿燈台 - 奈良県指定文化財、本堂安置
  • 鎮守拝殿 - 奈良市指定文化財、 延宝3年(1675年)建立
  • 黒漆塗宮殿形厨子 - 奈良市指定文化財
  • 鐘楼 - 寛文7年(1667年)再建
  • 知恩院縁起絵巻 - 文明14年(1482年)に、当寺の栄弘が足利義政の使者として朝鮮に渡り、高麗版大蔵経を請来した事実を、寛政元年(1789年)に絵巻(3巻)として描いたもの。

所在地[編集]

  • 奈良県奈良市忍辱山町1273

交通アクセス[編集]

拝観案内[編集]

  • 9:00-17:00 拝観料 400円

周辺[編集]

参考文献[編集]

  • 井上靖、塚本善隆監修、宇佐見英治、田畑賢住著『古寺巡礼奈良2 円成寺』、淡交社、1979
  • 『週刊朝日百科 日本の国宝』58号(元興寺ほか)、朝日新聞社、1998
  • 『日本歴史地名大系 奈良県の地名』、平凡社
  • 『角川日本地名大辞典 奈良県』、角川書店
  • 『国史大辞典』、吉川弘文館
  • 橋本雄著『偽りの外交使節:室町時代の日朝関係』、吉川弘文館、2012 - カバー写真に当寺蔵の「知恩院縁起」中巻を用い、本文でも栄弘遣使のことに言及する。
  • 奈良・円成寺の古文書・縁起類の調査と研究 - 文部科学省科学研究費助成研究(1995年度 - 1996年度)代表者、日向一雅
  • 日向一雅「和州円成寺の縁起類の調査と翻刻」(『明治大学人文科学研究所紀要』41、1997)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]