ラッセル・ワトソン
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ラッセル・ワトソン (Russell Watson, 1966年11月24日 - 1972年説もあり) は、イギリス・マンチェスター出身のテノール・ポップス歌手。
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[編集] プロフィール
幼少の頃から両親の流す音楽に親しんではいたが、当初は真剣にプロの歌手を目指すつもりはなかったもよう。したがって、他のクラシック歌手にありがちな「幼少の頃からの音楽の英才教育」は一切経験していない。
16歳の頃旋盤工となり、仕事のオフタイムの折にパブでロックやポップスを歌うのみであったが、観客に「ルチャーノ・パヴァロッティの“トゥーランドット”にある『誰も寝てはならぬ』を歌ってみてはどうか」と勧められ、CDを入手してヴォイス・トレーニングに取り組むことになった。これがラッセルのテノール歌手としての原点である。
このトレーニングによる口コミが評判を呼び、彼の立つステージは年を追うごとに広く大きなものとなっていった。 1999年、ラグビーリーグカップ決勝の舞台、ウェンブリー・スタジアムで国歌独唱の栄誉に。 そして1999年5月16日、ロンドンのオールド・トラッフォードにて行われたマンチェスター・ユナイテッドとトッテナム・ホットスパーのサッカーのイングランド プレミアリーグ最終戦にて、子供のときからファンであったマンチェスター・ユナイテッドの優勝セレモニーで「誰も寝てはならぬ」を歌う。観客だけでなく、めったなことでは褒め言葉をもらさないプレス席のジャーナリストたちからもスタンディングオベーションまでも勝ち取った。これは全英に中継され、彼の知名度を決定的に広めるものとなった。 (なお、実は前年の1998年にミュンヘンの悲劇追悼試合で歌うはずだったが、ゲストの元マンチェスター・ユナイテッドのスター選手エリック・カントナが試合直前に“クラシック・シンガー”として難色を示して土壇場で別の歌手に変更になった。)
2000年9月、ファーストアルバム "The Voice" をリリースした。ここではサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」、フレディ・マーキュリー&モンセラート・カバリェ(フレディの命日はラッセルの誕生日)の「バルセロナ」をカヴァーしている。
2001年には、アメリカのSFテレビドラマ『スタートレック:エンタープライズ』のオープニング曲、"Where my heart will take me"(映画「パッチ・アダムス」のエンディングで流れるロッド・スチュワートの "Faith of the heart" と同じ曲)を歌った。 2004年4月には初来日公演が実現した。同年ボーナスDVD付きのアルバム "The golden voice" をリリース。 オペラのアリアやカンツォーネに混じって、ここではクイーンのボヘミアン・ラプソディーをカバー。
2005年にアルバム「アモーレ・ムジカ」をリリース。テレビ朝日の「題名のない音楽会」、テレビ東京の「たけしの誰でもピカソ」に出演。5月に再来日公演を行なった。2006年、ベスト・アルバム「ベスト・オブ・ラッセル・ワトソン」をリリース、5月に東京と兵庫で通算4度目の来日公演を行った。
2006年9月、ニューアルバムを録音中に脳腫瘍が発見され、すぐに手術が行われた。その後、アルバム「ザッツ・ライフ」は2007年3月にリリース。2007年8月~9月にカムバックを記念した日本公演が東京と大阪で行われた。 JALが毎年行っている音楽イベント『音舞台』の2007年版『第20回 JAL金閣寺音舞台』へも出演した。
[編集] アルバム(日本にてリリースされているもの)
- 『ザ・ヴォイス』 (2001年)
- 『ヴォラーレ~ザ・ヴォイス2』 (2002年)
- 『リプライズ ~ ザ・ヴォイス3』 (2003年)
- 『ゴールデン・ヴォイス』 (2004年)
- 『アモーレ・ムジカ』 (2005年)
- 『ベスト・オブ・ラッセル・ワトソン』 (2006年)
- 『ザッツ・ライフ』 (2007年)
- 『アウトサイド・イン』 (2008年)
[編集] 映像作品
[編集] 日本公演
- 2006年 The Golden Voice
- 5月18日 - Bunkamuraオーチャードホール
- 5月20日 - 兵庫県立芸術文化センター・大ホール
- 5月23日 - 東京国際フォーラム・ホールC
- 2007年 That's Life
- 2008年 Outside In
[編集] 外部リンク
- Official Site (英語)
- ユニバーサル・クラシックス (日本語)

