トマス・ハワード (第3代ノーフォーク公)

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ハンス・ホルバインによる第3代ノーフォーク公爵トマス・ハワードの肖像

第3代ノーフォーク公爵トマス・ハワード: Thomas Howard, 3rd Duke of Norfolk1473年 - 1554年8月25日)は、16世紀イングランドの貴族である。父は第2代ノーフォーク公トマス・ハワード、母はエリザベス・チルニー。子にサリー伯ヘンリー・ハワード等。孫に第4代ノーフォーク公トマス・ハワード

生涯[編集]

1485年、祖父ジョン・ハワードリチャード3世と共に戦死(ボズワースの戦い)、父もロンドン塔に幽閉され、トマスは人質として宮廷に置かれた。解放された父がヘンリー7世に仕えていた1495年、ヘンリー7世の義妹・アン・オブ・ヨークエドワード4世の王女)とウェストミンスター寺院で式を挙げたが、彼女との子供は夭折1512年にアンにも先立たれてしまった(後にバッキンガム公エドワード・スタフォードの娘エリザベスと再婚、ヘンリーが生まれる)。

1513年ヘンリー8世フランス遠征に赴いている隙にスコットランドジェームズ4世がイングランドに侵攻、トマスは老齢の父を支えてスコットランド軍を撃破、恩賞として父がノーフォーク公爵に叙爵された。1524年、父の死により51歳でノーフォーク公を継いだ。

ヘンリー8世が最初の王妃・キャサリン・オブ・アラゴンとの結婚無効を考え、侍女アン・ブーリンとの再婚を思いついた時、トマスはアンが姪である為支持に回った。しかし、1533年にアンは2番目の王妃になったが、生まれたのはエリザベスであり、1536年にアンが姦通罪で処刑され、トマスの当ては外れた。1540年トマス・クロムウェルを処刑に追い込み、同時にもう1人の姪・キャサリン・ハワードがヘンリー8世の5番目の王妃になったが、1542年、やはり姦通罪で処刑された。

加えて、1546年に長男ヘンリーが反逆罪で逮捕されるとトマスもロンドン塔に収監され、翌1547年1月にヘンリーが処刑、トマスも処刑される筈だったが、直前にヘンリー8世が死去、処刑は中止された。もっとも、エドワード6世の治世中、釈放される事もなかった。

1553年にエドワード6世が死ぬと摂政のノーサンバランド公ジョン・ダドリーが姻戚関係に当たるジェーン・グレイを女王に擁立しようとすると、トマスは外の一族と連絡を取り、エドワード6世の異母姉・メアリーを匿った。やがてノーサンバランド公は逮捕され(後に処刑)、女王に即位したメアリー1世によってトマスは釈放された。

釈放された翌1554年に81歳にて死去。ノーフォーク公は孫(ヘンリーの遺児)のトマスが継いだ。


爵位
先代:
トマス・ハワード
ノーフォーク公
1524年 - 1547年、1553年 - 1554年
次代:
トマス・ハワード