エドワード・シーモア (初代サマセット公)

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エドワード・シーモア
Edward Seymour
シーモア家
Edward Seymour Duke of Somerset.jpg
サマセット公エドワード・シーモア 、1552年
称号 イングランド王国サマセット公
出生 1506年
死去 1552年
イングランド王国の旗 イングランド王国ロンドンロンドン塔
配偶者 キャサリン・フィロル
  アン・スタンホープ
子女 エドワード・シーモアなど
父親 ジョン・シーモア
母親 マージョリー(またはマーガレット)・ウェントワース
役職 護国卿
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エドワード・シーモアEdward Seymour, 1st Duke of Somerset, 1506年 - 1552年1月22日)は、イングランドの貴族。サマセット公テューダー朝期に護国卿を務めた人物。

生涯[編集]

一介の騎士ジョン・シーモアの子として生まれた。父はヘンリー8世の寝室係侍従を務め、妹のジェーンはヘンリー8世の最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンの女官であった。ジェーンは、キャサリンが離婚して王宮を出ると、2度目の王妃アン・ブーリンに仕えた。このジェーンが王の目にとまり、3度目の王妃となり、王の唯一の嫡出の男子を産んだことで、シーモア家は栄達のきっかけをつかんだ。

ジェーンとヘンリー8世が1536年に正式に結婚すると、エドワードはビーチャム子爵となった。1537年にハートフォード伯となり、妹ジェーンの産褥死後も王の厚遇を得ていた。彼はジェーンの遺児エドワード(後のエドワード6世)の伯父として影響力を誇示し、甥が即位すると、1547年サマセット公位を授爵された。スコットランド軍と対戦したピンキー・クルーの戦いで勝利したことにより、エドワードの地位は堅固なものとなった。

しかし、シーモア家は短期間で権力を手にしたことから敵が多く、弟トマス・シーモアが起こした「シーモア事件」(トマスがエドワード6世の異母姉エリザベス(後のエリザベス1世)との結婚を画策して王権に介入しようとした)で捕らえられ反逆罪で1549年に処刑されると、エドワードも反逆の疑いでもう一人の摂政、ウォリック伯ジョン・ダドリーにより逮捕された。半年後に釈放されるが、エドワード6世により初代ノーサンバランド公の爵位を与えられたダドリーは1551年10月にエドワードを逮捕し、ロンドン塔に幽閉した。彼の所有していたサマセット・ハウスやスリーフォード・ハウスは没収され、1552年1月、王権壟断と反逆を理由に処刑された。

サマセット公位は廃止されたが、ハートフォード伯位の継承は許され、エドワードの嫡子で同名のエドワード・シーモアが後に継承した。