カンブレー同盟戦争

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カンブレー同盟戦争(カンブレーどうめいせんそう, 1508年 - 1516年)は、ヴェネツィア共和国スペインフランスドイツ神聖ローマ帝国)、教皇国を主とする西欧諸国のほとんどを敵にした戦争。広義の意味では「イタリア戦争」に含まれる。

各国の利害関係[編集]

戦闘の経過[編集]

1509年、ヴェネツィアはアニャデッロの戦いイタリア語版フランス語版英語版で敗れ、トレヴィーゾ以外のテッラフェルマ本土)を失うが、パドヴァの再復に成功すると、外交戦により教皇国、スペイン、ヴェネツィアによる対フランス神聖同盟をまとめ上げる。

1512年、ラヴェンナの戦いでフランス軍と神聖同盟軍が戦い、フランス軍が勝利するも、総大将ガストン・ド・フォワ戦死により撤退する。

1513年、ユリウス2世はドイツ軍を引き込むために領土割譲を要求したため、ヴェネツィアはフランスと同盟する。しかし、ノヴァーラの戦いフランス語版ドイツ語版英語版でフランスが敗れ、スフォルツァ家が一時復帰すると、ヴェネツィアはまたもやテッラフェルマを失う。同年、教皇が病死する。

1515年、フランス王フランソワ1世がミラノに侵攻し(マリニャーノの戦いイタリア語版フランス語版ドイツ語版英語版)、スフォルツァ家を追放してミラノを支配する。

1517年、ヴェローナの開放とボローニャで結ばれた条約によって戦争は終結した。

影響[編集]

カンブレー同盟戦争はスペイン、フランスといった大国イタリアに引き入れたことで、都市国家の崩壊、サッコ・ディ・ローマ1527年)などを引き起こした。

関連項目[編集]