フランチェスコ2世・ゴンザーガ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

フランチェスコ2世の肖像、アンブラス城の収集, インスブルック.

フランチェスコ2世・ゴンザーガ (Francesco II Gonzaga, 1466年8月10日1519年3月29日) は、マントヴァフェデリーコ1世・ゴンザーガバイエルン公の妹マルゲリータ・ディ・ヴィッテルスバッハ (Margherita di Wittelsbach)との息子である。 ジャンフランチェスコ (Gianfrancesco) とも。

目次

[編集] 生涯

父の死後(1484年)から、彼は終身マントヴァの領主であった。

1490年2月12日、フェッラーラ公エルコレ1世・デステの娘イザベッラ・デステと結婚し、ゴンザーガ家エステ家の伝統的な同盟関係を更新した。

1519年に死去。一説では死因は梅毒といわれる。

[編集] 家族

エレオノーラ・ディ・マントヴァ
ティツィアーノ画, 1538年
(ウッフィツィ美術館)

フランチェスコとイザベッラとの間には6人の子があった。

  • エレオノーラ (Eleonora di Mantova, 1494年 – 1570年) - 最初はモンタルト公アントニオ、二度目はウルビーノ公フランチェスコ・マリーア・デッラ・ローヴェレ (1490年 - 1538年) と結婚。
  • フェデリーコ (Federico, 1500年 - 1540年) - 1519年からフェデリーコ2世としてマントヴァ侯、1530年からマントヴァ公、1531年にマルゲリータ・デル・モンフェッラート(1510年 - 1566年)と結婚し1533年からモンフェッラート侯となった。
  • リヴィア (Livia Gonzaga, 1508年 - 1569年) - 尼僧となりパオラと名乗った。
  • イッポーリタ (Ippolita Gonzaga, 1501年 – 1570年) - 尼
  • エルコレ (Ercole Gonzaga, 1505年11月22日 – 1563年3月2日) 1521年からマントヴァ司教、1527年から枢機卿、1540年から甥の摂政
  • フェッランテ1世・ゴンザーガ (Ferrante I Gonzaga, 1507年-1557年) - 1539年にグアスタッラ伯、1536年-1546年シチリア総督、1546年からミラノ総督、529年にフェルディナンド・ダ・モルフェッタ太子の娘イザベッラ・ダ・カプア (Isabella da Capua, † 1559年)と結婚
勝利の女神, アンドレーア・マンテーニャルーブル美術館パリ)、元はフランチェスコ2世がフォルノーヴォの戦いを記念しマントヴァのサンタ・マリーア・デッラ・ヴィットーリア礼拝堂に寄贈した物

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
フェデリーコ1世・ゴンザーガ
マントヴァ侯
1484年1519年
次代:
フェデリーコ2世・ゴンザーガ
執筆の途中です この「フランチェスコ2世・ゴンザーガ」は、イタリア歴史関連の書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。(PJイタリア/P:イタリア