定岡徹久
九州総合スポーツカレッジ野球部 コーチ | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県鹿児島市 |
生年月日 | 1960年7月23日(64歳) |
身長 体重 |
178 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1982年 ドラフト3位 |
初出場 | 1983年4月20日 |
最終出場 | 1989年7月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
この表について
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定岡 徹久(さだおか てつひさ、1960年7月23日 - )は、鹿児島県鹿児島市[1]出身の元プロ野球選手、俳優。
定岡三兄弟の三男で、長兄は元南海の定岡智秋、次兄は元巨人の定岡正二[1]。元楽天の定岡卓摩は甥。妻は元女優の斉藤浩子。
来歴・人物
[編集]鹿児島実業高では2年生エース鹿島忠を擁し、1978年夏の甲子園に出場するが、1回戦で静岡高に3-4で惜敗[1]。高校の一年下には鹿島の他、二塁手の栄村忠広がいた。
高校卒業後は専修大学へ進学。東都大学リーグでは1年生の春に最下位となり、二部リーグ落ちも経験するが、一部リーグで2回優勝。1981年の明治神宮野球大会では、1年上の山沖之彦の好投もあり決勝に進出するが、法大に敗退した。リーグ通算69試合出場、259打数62安打、打率.239、6本塁打、34打点。
1982年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け入団[1]。
クリーンアップを期待されながらレギュラー定着は出来ず、1988年6月に金銭トレードで日本ハムファイターズへ[1]。しかし、移籍後もレギュラー定着には至らずに1990年限りで現役を引退[1]。
引退時にはスカウトの話もあったようだが[2]、元女優の妻・斉藤浩子のかつての所属事務所でもあった研音に所属し、テツ定岡という芸名でタレントに転身。1990年代に活躍した。
その後、東京・代官山で輸入メガネの店『アバーロ』の店長を務める[3]。その後、2011年6月に自由が丘にメガネショップ『Arcana(アルカナ)』をオープンするが[4][5]、2013年末に閉店した。
2013年には江戸川区球場で開催された「2013 アジアろう野球シリーズ」にて日本代表監督を務めた。その後、兄の智秋がコーチを歴任した九州総合スポーツカレッジ野球部監督となり、2021年からはコーチを務めている。
人物・エピソード
[編集]- のちに妻となる斉藤との出会いは兄・正二のデートにカモフラージュで同伴させられ、正二の相手の女性が連れてきたカモフラージュの女性だったのが斉藤だったことからである。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1983 | 広島 | 10 | 9 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1984 | 18 | 18 | 16 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | .125 | .176 | .188 | .364 | |
1986 | 8 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .500 | .500 | .500 | 1.000 | |
1988 | 日本ハム | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
1989 | 5 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:5年 | 44 | 31 | 28 | 4 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 2 | 4 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 0 | .107 | .138 | .143 | .281 |
記録
[編集]- 初出場・初先発出場:1983年4月20日、対読売ジャイアンツ1回戦(平和台球場)、7番・中堅手として先発出場
- 初安打:1984年5月6日、対読売ジャイアンツ5回戦(後楽園球場)、8回表に津田恒美の代打として出場、鹿取義隆から
- 初打点:1986年9月7日、対ヤクルトスワローズ22回戦(明治神宮野球場)、9回表に宮本賢治から2点適時打
※実兄・正二と兄弟対決:1983年4月21日、対読売ジャイアンツ2回戦(平和台球場)、結果は2打数0安打
背番号
[編集]- 5 (1983年 - 1987年)
- 25 (1988年 - 1988年途中)
- 59 (1988年途中 - 1990年)
出演
[編集]ドラマ
[編集]- 世にも奇妙な物語「ライバル」(1991年4月18日、フジテレビ)
- 外科病棟女医の事件ファイル(1991年、テレビ朝日) - 石田刑事 役
- 月曜・女のサスペンス「仙台七夕 幻の女」(1991年8月5日、テレビ東京)
- 月曜ドラマスペシャル「三浦海岸魚河岸物語」(1991年10月21日、TBS)
- 火曜サスペンス劇場「女動物医事件簿3・人見知りする犬」(1991年12月17日、日本テレビ) - 西岡刑事 役
- ドラマシティ'92「愛は仁義」(1992年4月9日、読売テレビ)
- 悪女(1992年、読売テレビ) - 塚本 役
- ドラマシティ'93「おっとあぶない!外伝」(1993年2月18日、読売テレビ)
- 土曜ワイド劇場「山手線 五・八キロの証言」(1993年7月24日、テレビ朝日) - 香月修 役
- 大人のキス(1993年、日本テレビ)
- 愛と疑惑のサスペンス「レベル7 -空白の90日-」(1994年3月28日、関西テレビ)
バラエティ
[編集]- とんねるずの生でダラダラいかせて!!(日本テレビ系)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 定岡徹久 - NPB.jp 日本野球機構
- アルカナグラスハウス 自由が丘のメガネショップ