ストックホルムオリンピックは、1912年5月5日から7月27日まで、スウェーデンのストックホルムで行われた夏季オリンピックである。
ハイライト [編集]
この大会で初めて日本がオリンピックに参加した。共に陸上競技で短距離の三島弥彦とマラソンの金栗四三の2名が出場したが、三島は400メートルの準決勝で棄権、金栗は10000mを棄権してマラソンに出場、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3で世界一遅いマラソン記録を残している(経緯は後述)。
実施競技 [編集]
各国の獲得メダル [編集]
詳細は「ストックホルムオリンピックでの国・地域別メダル受賞数一覧」を参照
主なメダリスト [編集]
- 金メダル
- ※但し、ジム・ソープは優勝後に野球のマイナーリーグチームに所属していたことが発覚したため金メダルは没収され、復権されないまま1953年に死去、1983年IOCにより復権した。
- 銀メダル
- フィンランド(陸上競技男子クロスカントリー団体)
- パトリック・マクドナルド(アメリカ、陸上競技男子砲丸投(両手))
- アメリカ(競泳男子4×200mリレー)
- 銅メダル
- オスカー・スワン(スウェーデン、射撃男子ランニングディア・ダブルショット)
エピソード [編集]
- 1912年8月11日、吉沢商会(後の日活)が浅草電気館で『オリンピック大競技会第一報』を封切り。日本初の「オリンピック」公開映像。
- 1967年、ストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典が開催されたが、開催に当たって当時の記録を調べていたスウェーデンのオリンピック委員会が、陸上競技の男子マラソンにおいて金栗四三が「(棄権の意思が運営者側に届いていなかったため)競技中に失踪し行方不明」となっていることに気付いた。このため、オリンピック委員会は金栗を記念式典でゴールさせることにし、金栗を式典に招待した。招待を受けた金栗はストックホルムへ赴き、競技場内に用意されたゴールテープを切った。ゴールの瞬間、場内には「只今のタイムは54年8ヶ月6日5時間32分20秒3、これで第5回ストックホルム大会は総ての競技を終了しました」とのアナウンスが響いた。金栗はゴール後のスピーチで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントしている。
- この大会が初のオリンピック参加となった日本だが、日本の入場行進時のプラカード表記が、オリンピック史上、唯一「NIPPON」であった(以降のオリンピックは全て「JAPAN」という表記である)。なお「NIPPON」での入場は大会直前に急遽決まったことであった為、本来の「JAPAN」としての位置である「ITALY」と「LUXEMBOURG」の間という入場順であった。この「NIPPON」の表記を決めたのは、ストックホルムオリンピック日本選手団の団長を務めた嘉納治五郎だった。
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
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ストックホルムオリンピック実施競技 |
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