スキャットマン・ジョン
| スキャットマン・ジョン (Scatman John) |
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|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | ジョン・ポール・ラーキン John Paul Larkin |
| 出生 | 1942年3月13日 |
| 出身地 | |
| 死没 | 1999年12月3日(満57歳没) カリフォルニア州ロサンゼルス |
| ジャンル | ジャズ ハウスミュージック ダンス ユーロダンス ポップ スキャット |
| 職業 | 歌手 ミュージシャン シンガーソングライター |
| 担当楽器 | ボーカル ピアノ |
| 活動期間 | 1986年 – 1999年 |
Scatman John(スキャットマン・ジョン、本名:ジョン・ポール・ラーキン(John Paul Larkin)、1942年3月13日 - 1999年12月3日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州エルモンテ出身のミュージシャン。
目次 |
[編集] 経歴
52歳で歌手としてメジャーCDデビュー。
メジャーデビューアルバム『スキャットマンズ ワールド』は日本やヨーロッパ諸国など全世界で600万枚以上を売り上げ、各国のチャートでNo.1を飾る。自身の障害である吃音症を逆手に取った、模倣が困難なスキャットと、1回に4つ近く音の調子を変えるという珍しい歌唱法(このテクニックは古いヒンドゥー教の喉で歌う物から取り入れた)を用い、唯一のジャンル『テクノスキャット』を開拓した。
[編集] 吃音者としての経歴
[1][2]彼は吃音から来るストレスをごまかすためアルコールやドラッグに溺れて行くようになる。しかし、1987年のある日、仲間のミュージシャンや友人のジョー・フェラルがドラッグにより死亡してしまう。これを期に彼はそれらから抜け出すことを決意し、再婚した妻、ジュディの助けもあり更生に成功する。後に彼は「自分がアルコールに依存していることを認めることによって、そこから回復出来た」と語っている。
しかし、これらを克服したことにより彼は吃音と向き合わざるを得なくなってしまう。
そこで彼は1991年頃から、アメリカの吃音者団体『NSP(National Stuttering Project)』のミーティングに参加するようになり、徐々に自身を吃音者と認めることが出来るようになったと語っている(なお、スキャットマンとしてデビューした後も、NSPの全国大会で演奏するなど、親睦は深かった模様)。だが、吃音が完全に直った訳では無く、デビュー当初の1995年にインタビューしたジャーナリストが「少なくとも6回か7回は語句を繰り返さないと、喋り終えることができなかった」と 語っている。
しかし、その後、コンサートのために世界を周った彼の言葉は以前よりも流暢になり、アルバムのプロモーションのためインタビューを受けた際、彼がどもることなく喋っていたのを聴いたある記者が、「経歴を装うため吃音者コミュニティーを利用しているのではないか」と疑いを向けたほどだったという。 このときジョンは初めて、どもることに対してではなく、流暢に喋ることを恥じている自分に気付きショックを受けたと語っている。
[編集] ジャズピアニスト時代
[1]ジョンは、子供のころから吃音を克服しようと努力してきたが、それは叶わず、彼はコミュニケーションの手段を言葉以外に探さなければならなかった。
14歳の頃からジャズに慣れ親しみ、ジョン・コルトレーン、チャーリー・パーカーから音楽的影響を受け、彼はピアノを弾き始めた。ジョンはピアノをコミュニケーションの手段として用いたのである。当初は南カルフォニア周辺のジャズクラブでピアノの演奏をするジャズピアニストとして活動していた。
彼は後に雑誌のインタビューで「あの頃は、殆ど誰とも話せなかった。そんな僕にコミュニケーションの手段を与えてくれたのはピアノだった。それで僕はホテルやカフェのジャズ・バンドでピアノを弾いていたんだ。でも僕は、しゃべることが怖かったのでピアノの後ろに隠れるように演奏していた。僕が口を開けたらきっと変に思われるだろうと考えていた。すごく恥ずかしくて内気だった。」 と当時を回想している。
しかし、その後自身の吃音が曲を盛り上げるのに素晴らしい効果を発揮している事に気付くことになる。1984年の初頭、彼は「意味の無い言葉ならどもっても問題が無いのではないか」と考えスキャットを取り入れた歌唱法を演奏に盛り込むようになった。その歌唱法は拍手喝采を受け、これが後の自信に繋がり、後に「スキャットすることで吃音から自由になれたんだ。」と彼は語っている。
前記の友人ジョー・フェラルやアル・ジャロウ、リッキー・リー・ジョーンズなどのアーティストと競演した経験を持つ。
[編集] メジャーデビュー
[3]しかし、折からの不況も手伝い、次第に貧しくなってしまったジョンは、妻ジュディを伴い1990年に仕事を求めてベルリンへ移住。そしてベルリンのホテルでエージェント、マンフィールド・ツェーリンガーと出会い、週1000ドルの仕事をすることになった。
その後、妻ジュディはホテルのロビーでスキャットソングが数曲入ったカセットテープをツェーリンガーに渡した。彼は帰りの車中で、そのテープから流れてくる今までに無い斬新なサウンドに驚き、すぐに車中からジョンとジュディに電話をし、ある提案をする。それはジョンのスキャットをテクノあるいはヒップ・ホップと融合させてみてはどうか、というものだった。ジョン自身はその案に懐疑的であったが、同じアイデアを持ちかけられたBMGはこれを受理した。
しかしジョンは曲を聴いた人々に「単にどもっているだけ」と受け止められることを内心、非常に恐れていた。悩むジョンに対し妻ジュディは、「あなた自身の『そのこと』を、 曲の中で直接伝えればいいじゃない」と助言したのだった。
こうしてインゴ・カイズとトニー・カターニャのプロデュースにより、 デビューシングルScatman (Ski Ba Bop Ba Dop Bop)の収録が始まった。レコーディングには6時間もの時間を費やした。
この曲は「吃音に悩む子供達が逆境を乗り越えるため、元気を与えよう」というものであった。当初、このシングルの勢いはさほどでもなかったが、徐々に売り上げを伸ばしはじめ、最終的には殆どの国のチャートでトップを飾り、世界中で約600万枚もの売り上げを記録するに至った。 そして数週間に渡って全英トップ10に留まり続け、彼の名は一躍有名となったのである。
[編集] 日本での活躍
日本では1995年、『Scatman (Ski Ba Bop Ba Dop Bop)』や『Su Su Su Superキレイ』(カネボウ化粧品のCMソング)の大ヒットでブレイク。日本国内でもアルバム売上が250万枚[4]のミリオンセラーを記録し、一躍時の人となった。
グリコ乳業のプッチンプリンとカネボウ化粧品のテレビCMにも出演。また、『Scatman (Ski Ba Bop Ba Dop Bop)』は加藤茶が『加トちゃんのスキャットマン』、ウルトラマンが『スキャットウルトラマン』というタイトルでパロディしている。アメリカよりも日本での楽曲の売上が多かったことから、前述の『Scatman』のヒット以降はプロモーションのために毎年のように来日していた。
しかし、上記のことからも解るように当時の日本でのプロデュースは、彼の真摯な姿勢、深い歌詞などを真剣に広めようとしていたとは言い難い物であり、ありていに言えば「ネタキャラ」扱いだった。また『Scatman (Ski Ba Bop Ba Dop Bop)』は前記の通り吃音の問題を歌っているのだが(歌詞にも吃音という単語が多く出る)、吃音の社会的な認知には繋がらなかった。
音楽活動以外では、吃音者団体との交流を深め、彼らを支援するためのスキャットマン基金を設立した。また1996年には世界の吃音者に関して著しい功績を与えたとして、アニー・グレン賞を受賞。日本の吃音者団体である全国言友会連絡協議会とも深い交流があり、1996年の「日本ゴールドディスク大賞」の賞金を同団体に寄付、さらに同団体の全国大会にビデオ出演なども行っていた。
[編集] 晩年
1999年、彼は3枚目のアルバムにして最後のアルバム『Take your Time』を発売。1998年から喉頭癌を患っていたため、このアルバムの殆どを女性ボーカルが歌い、彼自身が書いた歌詞も『Dream again』のみ。他のアルバムと大きく曲調が異なるのもそのためである。
1999年12月3日にロサンゼルスの自宅で肺がんのため死去。57歳。
[編集] その後
インターネットを通して、彼の歌詞や曲の完成度の高さへの再評価が進んでおり、今もなお、吃音者を含めて多くの人々に勇気を与えている。
youtubeでは今も尚1時間に数件書き込みがあり、彼の曲を個人的にリミックスした物も多く見られる。
2009年にドイツのDJMark'Ohが『Scatman (Ski Ba Bop Ba Dop Bop)』をリミックスした楽曲『SCATMAN』発表し、PVの最後には「In Loving Memory of Scatman John(私の記憶の中にスキャットマン・ジョンは生き続ける)」というテロップが出る。
日本では、ラマーズPらによるリミックス『スキャットマン(ぴーぱっぱぱらっぽっぴっぽー)』が2010年4月21日に発売された。
ちなみにラマーズPにより製作された同曲のPVでは、デフォルメされたスキャットマンとMark'OhとラマーズPが出演している。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] アルバム
- スキャットマンズ ワールド - SCATMAN'S WORLD(1995年、日本では1995年8月23日)
- エヴリバディ ジャム - Everybody Jam!(1996年11月21日)
- テイク ユア タイム - TAKE YOUR TIME(1999年6月30日)
- リッスン トゥ ザ スキャットマン - Listen to the Scatman(2001年8月21日、Importのみ)
[編集] ベスト盤
- SCATMAN - Everybady Jam!までの曲を収録したベスト盤。日本未発売。(1999年)
- ザ ベスト オブ スキャットマン・ジョン - THE BEST OF SCATMAN JOHN(2002年10月7日)
[編集] シングル
- スキャットマン (Ski-Ba-Bop-Ba-Dop-Bop) - SCATMAN (Ski-Ba-Bop-Ba-Dop-Bop)(1994年、日本では1995年8月2日)
- スキャットマンズ ワールド - SCATMAN'S WORLD(1995年10月21日)
- ソング オブ スキャットランド - Song of Scatland(1995年)
- オンリー ユー - Only You(1995年、日本では1996年2月7日)
- スキャット天国 - SCAT PARADISE(1995年12月16日)
- SU・SU・SU SUPER キ・レ・イ(1996年3月23日)
- プリプリ・スキャット - Pripri Scat(1996年4月24日)
- エヴリバディ ジャム - Everybody Jam!(1996年10月30日)
- レット イトゥ ゴー - Let It Go(1997年9月26日)
- スキャットサンボ - Scatmambo(1998年8月21日)
- 恋のチッカディー・ソング - The Chickadee Song(1999年7月7日)
- テイク ユア タイム - Take Your Time(1999年)
- アイ ラヴ サンバ - I Love Samba(1999年)
- 一、二、三、ゴー! - ICHI, NI, SAN... GO!(1999年)
[編集] 客演
John Larkin名義
- Clark Woodard & Joe Farrell / Clark Woodard & Joe Farrell(1985年)
- ボーカルとピアノを担当、彼の作曲した楽曲が半数を占めており、彼の弾き語る500 miles highやMy Funny Valentineも聴くことが出来る。
- その他Listen To The Scatmanに収録されている物とは別音源の『Last Nights I Dreamed』も収録されている。
Scatman John名義
- LIFE IS FANTASTIC(Single)/ ARMY OF LOVERS(1995年)
- 『Scatman Radio Vesion』と『Scatman John Long Vers Remix』を担当。
[編集] 他のアーティストによるリミックス
- Scatman DJ Kadozer Mix 2003 / DJ Kadozer(2003年)
- このCDは現在入手は非常に困難だが、曲自体はダウンロード購入で入手可能である。
- Scatman / Mark'Oh(2009年)
- 彼のアルバム『ThePast,ThePresent,TheFuture』の特典で同曲のPVがCD内にデータとして入っている。
- スキャットマン(ぴーぱっぱぱらっぽっぴっぽー / Mark'Oh、ラマーズP他(2010年)
[編集] タイアップ
- SCATMAN(Ski-Ba-Bop-Ba-Dop-Bop)
- アーケードゲーム『jubeat』に提供曲として収録。
[編集] 脚注
- ^ a b Listen to the Scatmanの解説より
- ^ スキャットマン・ジョン氏に聞く
- ^ 1stアルバムScatman's worldの解説より
- ^ スキャットマン・ジョン氏死去 57歳、グリコ・プッチンプリンのCM登場、ZAKZAK、1999年12月7日。