ジョージ・ヴォイノヴィッチ

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ジョージ・ヴォイノヴィッチ
George Voinovich, official photo portrait, 2009.jpg
出身校 オハイオ大学 (B.A)
オハイオ州立大学 (J.D.)
現職 弁護士
所属政党 共和党
配偶者 ジャネット・ヴォイノヴィッチ

アメリカ合衆国上院議員
任期 1999年1月3日 - 2011年1月3日

オハイオ州
任期 1991年1月14日 - 1998年12月31日

クリーブランド市長
任期 1980年 - 1989年

第56代 オハイオ州副知事
任期 1979年 - 1979年

上院倫理委員会委員長
任期 2003年1月3日 - 2007年1月3日
カヤホガ郡行政委員会委員
(1977年 - 1978年)
カヤホガ郡監査役
(1971年 - 1976年)
オハイオ州下院議員
(1967年 - 1971年)
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ジョージ・ヴィクター・ヴォイノヴィッチGeorge Victor Voinovich1936年7月15日 - )は、アメリカ合衆国共和党政治家。第54代クリーブランドオハイオ州)市長を1980年から1989年まで務め市を債務不履行(default)から救い、第65代オハイオ州知事を1991年から1998年まで務めた。1998年、4期務め不出馬を決めた民主党のジョン・グレンの後の連邦上院議員議席を得た。2004年には再選され2期12年を務め、2010年の選挙では再選を求めず引退。控えめな人柄とともに政治の一匹狼である事が知られている。

生い立ちと初期の経歴[編集]

ヴォイノヴィッチはクリーブランドで生まれる。父親はセルビア人[1][2] 、母親はスロベニア人であった。クリーブランド近郊のコリンウッドで成長し、1954年にコリンウッド高校を卒業した。1958年にオハイオ大学を卒業し、1961年にはオハイオ州立大学で法律学位を得た。彼はまたオハイオ大学のファイ・カッパ・タウのメンバーであった。1962年に妻のジャネットと結婚した。夫妻にはジョージ、ベッツィ、ピーター、モリーの4人の子供および7人の孫がいる。末子のモリーは9歳の時に交通事故で死亡した。

ヴォイノヴィッチは1963年にオハイオ州検事副総長としてその政治経歴を始める。1967年から1971年までオハイオ州下院議員を務め、1971年から1976年までカヤホガ郡の監査役を務めた。1975年には共和党からクリーブランド市長選に出馬したが、現職のラルフ・パークに敗れた。1977年から1978年までカヤホガ郡行政委員会の委員を務め、1978年に知事候補のジム・ローデスと共に副知事候補として知事選に出馬、当選した。


参照[編集]

  1. ^ “Senator Voinovich u Hrvatskoj”. Voice of America. (2005年6月5日). http://www.voanews.com/croatian/archive/2005-05/2005-05-06-voa1.cfm 2008年11月6日閲覧。 
  2. ^ U sjeni Capitol Hilla”. Hrvatski informativni centar, Dom i svijet br. 235 (1999年1月16日). 2008年11月6日閲覧。

外部リンク[編集]

公職
先代:
ディック・セレスト
オハイオ州副知事
1979年
次代:
マール・シューメイカー
先代:
デニス・クシニッチ
クリーブランド市長
1980年 - 1989年
次代:
マイケル・ホワイト
先代:
ディック・セレスト
オハイオ州知事
1991年 - 1999年
次代:
ナンシー・ホリスター
先代:
ボブ・ミラー
ネバダ州
全国知事会議長
1997年 - 1998年
次代:
トーマス・R・カーパー
デラウェア州
先代:
ハリー・リード
上院倫理委員会委員長
2003年 - 2007年
次代:
バーバラ・ボクサー
議会
先代:
ジョン・ハーシェル・グレン
オハイオ州選出上院議員(第3部)
1999年 - 2011年
同職:マイク・デワイン, シェロッド・ブラウン
次代:
ロブ・ポートマン
党職
先代:
ポール・ファイファー
オハイオ州選出上院議員(第1部)
共和党候補

1988年
次代:
マイク・デワイン
先代:
ジム・ローデス
オハイオ州知事
共和党候補

1990年, 1994年
次代:
ボブ・タフト
先代:
マイク・デワイン
オハイオ州選出上院議員(第3部)
共和党候補

1998年, 2004年
次代:
ロブ・ポートマン