オスニール・ルッカー
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オスニール・ルッカー(Othniel Looker、1757年10月4日 - 1845年7月23日)はアメリカ合衆国オハイオ州の民主共和党の政治家である。 第5代オハイオ州知事。
生涯[編集]
ルッカーはロングアイランドで産まれた。父親の死後、母親とともにニュージャージー州ハノーバー郡区(Hanover Township)に移り、1776年にニュージャージの民兵に入隊、兵卒として戦争に加わった。バーモント州、そしてニューヨーク州に移り、学校教師として働いた。
1803年から1804年までニューヨーク州下院議員を務め、彼の戦争での奉仕への無償払い下げ地を受け取った後、1804年にオハイオ州に移り、それから1807年から1810年までオハイオ州下院議員、1810年から1817年まで州上院議員の地位にあった。1813年から1814年は州上院の議長であり、郵政長官を狙っていたリターン・メグズ知事の後に滑り込んで知事となった。ルッカーは再選を志すも、より知名度のあるトーマス・ワージントンに敗れた。娘レイチェル・キッチェルとイリノイ州パレスチナ(Palestine)に移り、死後はパレスチナのキッチェル墓地に埋葬された。
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: リターン・ジョナサン・メグズ |
オハイオ州知事 1814年3月24日 - 1814年12月8日 |
次代: トーマス・ワージントン |