カラーコード戦争計画

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カラーコード戦争計画(カラーコードせんそうけいかく、Color-coded War Plans)とは、1920年代アメリカ合衆国陸軍において、日本イギリスドイツなどの国を仮想敵国として検討されたシミュレーションをさす。世界の主要国との戦争が発生した場合を想定した戦争計画であり、それぞれの国に色を割り当ていた為この名称が付けられた。これらのプロジェクトは1939年に凍結されたが、当時高まっていた枢軸国との二正面戦争に備えて5色のレインボー・プランが発展的に策定されている。

目次

概要[編集]

オレンジ計画およびレッド計画[編集]

カラーコード計画の中で最も著名な物は対日戦争を扱ったオレンジ計画である。このシミュレーションの一部は実際に太平洋戦争において、中国大陸と日本本土との経済的遮断という形で利用されている。

イギリスおよびカナダとの戦争を扱ったレッド計画は、これが1974年に機密解除され公表されると、大きな反響を巻き起こした。これに関連して、カナダ侵攻のみに限定したクリムゾン計画も存在した。これらのシミュレーションにおいては、イギリスが赤、カナダがクリムゾン、インドがルビー、オーストラリアがスカーレット、ニュージーランドがガーネットと称されていた。第一次世界大戦を機として、アメリカ合衆国とイギリスとの戦争の可能性は極めて少なくなったが、戦争計画自体は1930年代に至るまで検討が続けられていた。

その他[編集]

上にあげたものの他にもいくつかの国が仮想敵としてあげられている。

内容[編集]

これらのシミュレーションの多くは、実際に発生する可能性を吟味した上で検討された物ではなく、若手士官の訓練が目的とされていた。対ドイツ戦計画の一部が明らかとなった際には、第一次世界大戦後に孤立主義へと舞い戻った合衆国議会からの反発によって、この傾向はさらに強まっている。

オレンジ計画の次に重視されていたのはメキシコとの戦争を扱ったグリーン計画であった。1912年にはウィリアム・タフト大統領はメキシコ革命への介入を検討している。さらに1916年になるとアメリカ国内への小規模な侵入をおこなったメキシコの革命家パンチョ・ビリャを捕らえるためにジョン・パーシングを司令官とする陸軍部隊がメキシコに派遣された。このメキシコ侵攻においてはさらに海軍の艦船によるベラクルス砲撃がおこなわれ、ビクトリアーノ・ウエルタ大統領の辞任につながった。

1930年代には国家もしくは国家連邦ごとに想定されていたカラーコード戦争計画は古くさいものとなり、元々実戦用のシミュレーションというよりも、将兵の訓練用に制定されたものであったこと、さらには新兵器である航空機の飛躍的進歩により、役に立たないものと化しつつあった。国家相互の関係を整理したうえで、複数の国家と、アメリカが戦争状態になることを想定した、レインボー・プランに発展した。

南北戦争から第一次世界大戦期にかけて、アメリカ合衆国は頻繁にカリブ海および中央アメリカ諸国(パナマハイチキューバニカラグア)への介入をおこなった。これらの事件の際の陸軍部隊派遣にはカラーコード計画の一部が利用された。

ボードゲーム [編集]

  • "en:Great War at Sea series",en:Avalanche Pressから、オレンジ計画を扱った"U.S. Navy Plan Orange"(邦題『プラン・オレンジ--日本侵攻計画--』、国際通信社、)、ブラック計画を扱った"U.S. Navy Plan Black"、レッド計画を扱った"U.S. Navy Plan Red"、ゴールド計画を扱った"U.S. Navy Plan Gold"が発売されている。