アドルフ・フレンケル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
アドルフ・フレンケル

アドルフ・アブラハム・フレンケルAdolf Abraham Halevi Fraenkel1891年2月17日 ミュンヘン1965年10月15日 エルサレム)はドイツ出身でイスラエルに移住したユダヤ系数学者

ミュンヘン、ベルリンマールブルクブレスラウの各大学で数学を学び、1922年にマールブルク大学教授となった。1928年にはキール大学に移ったが、彼は熱烈なシオニストであったことから、すぐに新設間もないエルサレムのヘブライ大学に移り、ここで後半生を送った。

最初のテーマはp進数環論であったが、最もよく知られた仕事は公理的集合論で、その最初の論文は1919年に発表された。1922年1925年にはツェルメロの公理系の改良を目指した論文を発表し、これは今日ツェルメロ・フレンケルの公理系(ZF)と呼ばれている。また数学史にも関心を持ち、ガウス代数学に関する著書やカントールの伝記を書いている。

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語