アドルフ・フレンケル
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アドルフ・アブラハム・フレンケル(Adolf Abraham Halevi Fraenkel、1891年2月17日 ミュンヘン – 1965年10月15日 エルサレム)はドイツ出身でイスラエルに移住したユダヤ系の数学者。
ミュンヘン、ベルリン、マールブルク、ブレスラウの各大学で数学を学び、1922年にマールブルク大学教授となった。1928年にはキール大学に移ったが、彼は熱烈なシオニストであったことから、すぐに新設間もないエルサレムのヘブライ大学に移り、ここで後半生を送った。
最初のテーマはp進数と環論であったが、最もよく知られた仕事は公理的集合論で、その最初の論文は1919年に発表された。1922年と1925年にはツェルメロの公理系の改良を目指した論文を発表し、これは今日ツェルメロ・フレンケルの公理系(ZF)と呼ばれている。また数学史にも関心を持ち、ガウスの代数学に関する著書やカントールの伝記を書いている。