「葦船」の版間の差分
外部リンク切れを修正。日本神話節を新たに立てた(日本節でないのは考古的な証拠がほぼないため。個人的には南波論考の図の何割かは形状的に葦船にも思えるが) |
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== 歴史 == |
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[[ファイル:Petroglyphs_in_Gobustan_09.jpg|右|サムネイル|葦船と人間の[[ペトログリフ]]。世界遺産「ゴブスタンの岩絵の |
[[ファイル:Petroglyphs_in_Gobustan_09.jpg|右|サムネイル|葦船と人間の[[ペトログリフ]]。世界遺産「ゴブスタンの岩絵の文化的景観」の一部。[[アゼルバイジャン]]]] |
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文化的景観」の一部。[[アゼルバイジャン]]]] |
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[[ファイル:Detail._Fabrication_of_papyrus_boats._Wall_fragment_from_the_Sun_Sanctuary_Temple_of_Nyuserre_Ini_at_Abu_Gurob,_Egypt._c._2430_BCE._Neues_Museum.jpg|サムネイル|古代エジプトでのパピルス船の製作。エジプトのアブ・グロブにあるニウセルラー・イニの太陽神殿の壁の断片の一部。紀元前2430年頃。[[新博物館 (ベルリン)|新博物館]]所蔵]] |
[[ファイル:Detail._Fabrication_of_papyrus_boats._Wall_fragment_from_the_Sun_Sanctuary_Temple_of_Nyuserre_Ini_at_Abu_Gurob,_Egypt._c._2430_BCE._Neues_Museum.jpg|サムネイル|古代エジプトでのパピルス船の製作。エジプトのアブ・グロブにあるニウセルラー・イニの太陽神殿の壁の断片の一部。紀元前2430年頃。[[新博物館 (ベルリン)|新博物館]]所蔵]] |
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右の画像は葦船と人間の[[ペトログリフ]]である。葦船は[[スカンジナビア]]の洞窟壁画に描かれているものと似ており、トール・ヘイエルダールはスカンジナビア人が今日の[[アゼルバイジャン]]に相当する地域から来たと結論した。[[ゴブスタン国立保護区]]には、12,000年前にこれらの洞窟に住んでいた[[狩猟採集社会|狩猟採集民]]によって彫られた6,000以上のペトログリフがある。当時、[[カスピ海#カスピ海の湖面変動|カスピ海の湖面]]は今よりもはるかに高く、丘の低い岩に打ち寄せていた。 |
右の画像は葦船と人間の[[ペトログリフ]]である。葦船は[[スカンジナビア]]の洞窟壁画に描かれているものと似ており、トール・ヘイエルダールはスカンジナビア人が今日の[[アゼルバイジャン]]に相当する地域から来たと結論した。[[ゴブスタン国立保護区]]には、12,000年前にこれらの洞窟に住んでいた[[狩猟採集社会|狩猟採集民]]によって彫られた6,000以上のペトログリフがある。当時、[[カスピ海#カスピ海の湖面変動|カスピ海の湖面]]は今よりもはるかに高く、丘の低い岩に打ち寄せていた。 |
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今まで発見された中で最古の葦(とタール)で作られた船の遺物は、クウェートの[[ファイラカ島]]で見つかった7000年前の航海用ボートのものである<ref name="Lawler2002">{{Cite journal|last=Lawler|first=Andrew|date=June 7, 2002|title=Report of Oldest Boat Hints at Early Trade Routes|url=http://www.sciencemag.org/cgi/content/summary/296/5574/1791|journal=Science|volume=296|issue=5574|pages=1791–1792|publisher=[[American Association for the Advancement of Science|AAAS]]|accessdate=2008-05-05|DOI=10.1126/science.296.5574.1791|PMID=12052936}}</ref>。 |
今まで発見された中で最古の葦(とタール)で作られた船の遺物は、クウェートの[[ファイラカ島]]で見つかった7000年前の航海用ボートのものである<ref name="Lawler2002">{{Cite journal|last=Lawler|first=Andrew|date=June 7, 2002|title=Report of Oldest Boat Hints at Early Trade Routes|url=http://www.sciencemag.org/cgi/content/summary/296/5574/1791|journal=Science|volume=296|issue=5574|pages=1791–1792|publisher=[[American Association for the Advancement of Science|AAAS]]|accessdate=2008-05-05|DOI=10.1126/science.296.5574.1791|PMID=12052936}}</ref>。 |
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古代のエジプト人は、[[ナイル川]]と[[ナイル川デルタ|デルタ]]で広く栽培されていた[[カミガヤツリ|パピルス(カミガヤツリ)]]から船を作っていた。この葦は、他にも多くの目的、特にパピルス紙を作るためにも使用された<ref name="eb1911">{{Cite EB1911|wstitle=Papyrus|volume=20|pages=743–745|first=Edward Maunde|last=Thompson}}</ref>。[[カヤツリグサ属]]の他の葦も同様に使用された可能性がある<ref name="eb1911"/>。[[テオプラストス]]は著書「植物の歴史([[:en:Historia Plantarum (Theophrastus book)|:en:Historia Plantarum]])」<ref>Sir Arthur F. Hort, (1916), ''Theophrastus: Enquiry into Plants'' [[ローブ・クラシカルライブラリー]].</ref>で、[[オデュッセウス]]が帰宅後に、[[ペーネロペー|妻]]への[[アンティノオス|求婚者]]たちを殺害した際、彼らの退路を断つため、アンティゴノス王の船から持ち出した索具で扉を固定していた<ref>[[オデュッセイア]] |
古代のエジプト人は、[[ナイル川]]と[[ナイル川デルタ|デルタ]]で広く栽培されていた[[カミガヤツリ|パピルス(カミガヤツリ)]]から船を作っていた。この葦は、他にも多くの目的、特にパピルス紙を作るためにも使用された<ref name="eb1911">{{Cite EB1911|wstitle=Papyrus|volume=20|pages=743–745|first=Edward Maunde|last=Thompson}}</ref>。[[カヤツリグサ属]]の他の葦も同様に使用された可能性がある<ref name="eb1911"/>。[[テオプラストス]]は著書「植物の歴史([[:en:Historia Plantarum (Theophrastus book)|:en:Historia Plantarum]])」<ref>Sir Arthur F. Hort, (1916), ''Theophrastus: Enquiry into Plants'' [[ローブ・クラシカルライブラリー]].</ref>で、[[オデュッセウス]]が帰宅後に、[[ペーネロペー|妻]]への[[アンティノオス|求婚者]]たちを殺害した際、彼らの退路を断つため、アンティゴノス王の船から持ち出した索具で扉を固定していた<ref>[[オデュッセイア]] [[:s:en:The_Odyssey_of_Homer_(Cowper)/Book_XXI|Odyssey book XXI]]. 390. どう訳すかは訳者によって異なるが、[[ウィリアム・クーパー]]は「エジプト葦の船用ロープ(A ship-rope of Ægyptian reed)」と記している。</ref>が、その索具はパピルスから作られていたと述べている<ref name="eb1911"/>。ナイル川の航行に適した軽い小船は、パピルスを切っている姿を描いた[[エジプト第4王朝|第4王朝]]の[[レリーフ]]に示されているように、パピルスの茎で作られ、それを使って[[ロープ|索具]]や[[帆]]を作り、葦船を作った<ref name="eb1911"/>。 |
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[[モーセ#『旧約聖書』におけるモーセ|聖書]]によれば、[[ファラオ]]がすべてのヘブライ人の男性を殺すための布告を出したとき、赤ん坊の[[モーセ]]は母親によって救われた。母親が彼をナイル川に隠す際に<ref>[[出エジプト記 |
[[モーセ#『旧約聖書』におけるモーセ|聖書]]によれば、[[ファラオ]]がすべてのヘブライ人の男性を殺すための布告を出したとき、赤ん坊の[[モーセ]]は母親によって救われた。母親が彼をナイル川に隠す際に<ref>[[:s:出エジプト記(口語訳)#第2章:3|出エジプト記2:3]]</ref>、パピルスで作られたかご(小船)が使われた<ref name="eb1911"/>。また、預言者[[イザヤ]]は、[[:s:イザヤ書(口語訳)#第18章:2|イザヤ書18:2]]でエチオピアの葦の船について言及している。 |
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== トール・ヘイエルダール == |
== トール・ヘイエルダール == |
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[[ファイル:Schilfboot_Ra_II.jpg|サムネイル|葦船 |
[[ファイル:Schilfboot_Ra_II.jpg|サムネイル|葦船ラーII号]] |
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近代的な意味では、ノルウェーの人類学者で冒険家の[[トール・ヘイエルダール]](1914年-2002年)の冒険航海と研究により、葦船の構造と能力がよりよく理解されるようになった。 |
近代的な意味では、ノルウェーの人類学者で冒険家の[[トール・ヘイエルダール]](1914年-2002年)の冒険航海と研究により、葦船の構造と能力がよりよく理解されるようになった。 |
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ヘイエルダールは、古代の地中海やアフリカの人々が[[カナリア海流]]に乗って航海して、[[大西洋]]を横断して、南北アメリカに到達した可能性があることを実証したいと考えていた。1969年、ヘイエルダールは古代エジプトの太陽神にちなんで「 |
ヘイエルダールは、古代の地中海やアフリカの人々が[[カナリア海流]]に乗って航海して、[[大西洋]]を横断して、南北アメリカに到達した可能性があることを実証したいと考えていた。1969年、ヘイエルダールは古代エジプトの太陽神にちなんで「[[ラー]]」と名付けた葦船を建造した。その設計は古代エジプトのモデルと図面に基づいていた。船は[[チャド|チャド共和国]]の[[チャド湖]]から招請した船大工によって建造された。原料の[[カミガヤツリ|パピルス]]の茎は[[エチオピア]]の[[タナ湖]]のものを使った。[[モロッコ]]海岸([[サフィ]]市)から大西洋を横断しようとして出航した。数週間後、設計ミスと舵の喪失により、「ラー」の船体は大きく浸水していた。最終的に「ラー」は放棄された<ref>{{Cite web|url=https://www.kon-tiki.no/expeditions/ra-expeditions/?lang=ja|title=ラー号(1969年)、 ラーII号(1970年) – The Kon-Tiki Museum|accessdate=2020-10-23|publisher=The Kon-Tiki Museum}}</ref>。 |
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翌年、ヘイエルダールは新しい船、「[[トール・ヘイエルダール#葦船|ラーII号]]」で再挑戦した。今回は[[ボリビア]]の[[チチカカ湖]]の船大工が建造した。再び、船はモロッコから出航し、今回は成功して[[バルバドス]]に到着した<ref>Ryne, Linn. [http://www.norway.org/history/expolorers/heyerdahl/heyerdahl.htm ''Voyages into History''] |
翌年、ヘイエルダールは新しい船、「[[トール・ヘイエルダール#葦船|ラーII号]]」で再挑戦した。今回は[[ボリビア]]の[[チチカカ湖]]の船大工が建造した。再び、船はモロッコから出航し、今回は成功して[[バルバドス]]に到着した<ref>Ryne, Linn. [https://web.archive.org/web/20090710062842/http://www.norway.org/history/expolorers/heyerdahl/heyerdahl.htm ''Voyages into History''] </ref>。 |
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1978年、ヘイエルダールは3番目の葦船である「[[ティグリス川| |
1978年、ヘイエルダールは3番目の葦船である「[[ティグリス川|ティグリス]]」を建造した。この船の建造目的は、[[メソポタミア]]と[[インダス文明]]が、貿易と移住を通じて結びついていた可能性の実証だった。「ティグリス」はイラクで建造され、[[ペルシア湾]]を航海して、インダス文明のあったパキスタンを経由して、最終的には[[紅海]]にまで入った。彼女は5ヶ月間耐航性のある状態で海にとどまった。その後、[[オガデン戦争|アフリカの角で激化していた地域紛争]]への抗議として、「ティグリス」は[[ジブチ]]の海上で燃やされた<ref>{{Cite web|url=https://www.kon-tiki.no/expeditions/tigris-expedition/?lang=ja|title=ティグリス – The Kon-Tiki Museum|accessdate=2020-10-24|publisher=The Kon-Tiki Museum}}</ref>。{{Clear}} |
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== チチカカ湖の葦船 == |
== チチカカ湖の葦船 == |
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[[ファイル:Reed_Islands_of_Lake_Titicaca_-b.jpg|左|サムネイル|300x300ピクセル|ウル人のこの頑丈な葦船は20人以上を収容することができる]] |
[[ファイル:Reed_Islands_of_Lake_Titicaca_-b.jpg|左|サムネイル|300x300ピクセル|ウル人のこの頑丈な葦船は20人以上を収容することができる]] |
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[[トトラ]]葦は[[南アメリカ]]、特に[[チチカカ湖]]周辺、そして[[イースター島]]でも育つ。これらの葦は[[先コロンブス期| |
[[トトラ]]葦は[[南アメリカ]]、特に[[チチカカ湖]]周辺、そして[[イースター島]]でも育つ。これらの葦は、[[先コロンブス期|コロンブス以前]]の[[南アメリカ|南米]]のさまざまな文明で葦船を造るために使用されてきた。「バルサ」と呼ばれる船は、小型の釣り用カヌーから30メートル長までさまざまな大きさの物がある。それらは、海抜3810メートルの[[ペルー]]・[[ボリビア]]国境にある[[チチカカ湖]]で今でも使用されている<ref name="mincetur"/>。 |
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{{仮リンク|ウル族|en|Uru people|label=}}(ウル人、ウロス人)は[[インカ帝国|インカ文明]]以前の先住民である。彼らは今でも、[[チチカカ湖]]に点在する人工の[[浮島]]に住んでいる。これらの島々もトトラ葦でできている<ref name="EB">[[Encyclopædia Britannica]] Online: [http://www.britannica.com/eb/topic-600556/totora Lake Titicaca]. Retrieved 12 July 2007.</ref>。それぞれの浮島に、同じく葦でできた3〜10軒の家が建っている<ref name="mincetur">{{Cite web|url=http://www.mincetur.gob.pe/newweb/Portals/0/PUNO.pdf|title=Puno|publisher=Mincetur|accessdate=2020-10-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120217211646/http://www.mincetur.gob.pe/newweb/Portals/0/PUNO.pdf|archivedate=2012-02-17}}</ref>。ウル族は今でもトトラ葦船を造っており、釣りや水鳥狩りに使用している |
{{仮リンク|ウル族|en|Uru people|label=}}(ウル人、ウロス人)は[[インカ帝国|インカ文明]]以前の先住民である。彼らは今でも、[[チチカカ湖]]に点在する人工の[[浮島]]に住んでいる。これらの島々もトトラ葦でできている<ref name="EB">[[Encyclopædia Britannica]] Online: [http://www.britannica.com/eb/topic-600556/totora Lake Titicaca]. Retrieved 12 July 2007.</ref>。それぞれの浮島に、同じく葦でできた3〜10軒の家が建っている<ref name="mincetur">{{Cite web|url=http://www.mincetur.gob.pe/newweb/Portals/0/PUNO.pdf|title=Puno|publisher=Mincetur|accessdate=2020-10-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120217211646/http://www.mincetur.gob.pe/newweb/Portals/0/PUNO.pdf|archivedate=2012-02-17}}</ref>。ウル族は今でもトトラ葦船を造っており、釣りや水鳥狩りに使用している |
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チチカカ湖のボリビア側の町であるスリキの葦船職人は、[[トール・ヘイエルダール]]が「ラー2号」と「ティグリス」を建造するのを助けた<ref name="footprint">{{Cite book|title=South American Handbook|last=Box|first=Ben|publisher=[[:en:Footprint Books|Footprint Handbooks]]|year=1998|pages=292|isbn=978-0-8442-4886-8}}</ref>。トール・ヘイエルダールは、チチカカ湖の葦船がエジプトのパピルス船に由来することを証明しようとした。 |
チチカカ湖のボリビア側の町である[[スリキ島]]の葦船職人は、[[トール・ヘイエルダール]]が「ラー2号」と「ティグリス」を建造するのを助けた<ref name="footprint">{{Cite book|title=South American Handbook|last=Box|first=Ben|publisher=[[:en:Footprint Books|Footprint Handbooks]]|year=1998|pages=292|isbn=978-0-8442-4886-8}}</ref>。トール・ヘイエルダールは、チチカカ湖の葦船がエジプトのパピルス船に由来することを証明しようとした。 |
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チチカカ湖の南東岸近くには、古代都市国家[[ティワナク]]遺跡がある。ティワナクの遺跡からは、当時の[[ティワナク#石材加工技術|卓越した石材加工技術]]の存在がうかがえる<ref name="Isbell2004a">Isbell, W. H., 2004, ''Palaces and Politics in the Andean Middle Horizon.'' in S. T. Evans and J. Pillsbury, eds., pp. 191-246. [http://www.hup.harvard.edu/catalog/EVAPAL.html?show=contents Palaces of the Ancient New World.] Dumbarton Oaks Research Library and Collection Washington, D.C.</ref>。精巧な彫刻やモノリスを作成するために使用された緑色の[[安山岩]]は、チチカカ湖の対岸にある{{仮リンク|コパカバーナ (ボリビア)|en|Copacabana, Bolivia|label=コパカバーナ}}半島に由来すると見られる<ref name="Sangines1970">Ponce Sanginés, C. and G. M. Terrazas, 1970, ''Acerca De La Procedencia Del Material Lítico De Los Monumentos De Tiwanaku.'' Publication no. 21. Academia Nacional de Ciencias de Bolivia</ref>。一つの理論として、40トン以上の重さのこれらの巨大な安山岩石は、葦船に載せられてチチカカ湖上を約90キロメートル輸送された可能性がある<ref>Harmon, P., 2002, [http://www.archaeology.org/interactive/tiwanaku/project/experiment.html Experimental Archaeology], Interactive Dig - Archaeology Magazine's Online Excavations web page, [http://www.archaeology.org/ Archaeology Magazine] .</ref>。{{Clear}}<center><gallery widths="180"> |
チチカカ湖の南東岸近くには、古代都市国家[[ティワナク]]遺跡がある。ティワナクの遺跡からは、当時の[[ティワナク#石材加工技術|卓越した石材加工技術]]の存在がうかがえる<ref name="Isbell2004a">Isbell, W. H., 2004, ''Palaces and Politics in the Andean Middle Horizon.'' in S. T. Evans and J. Pillsbury, eds., pp. 191-246. [http://www.hup.harvard.edu/catalog/EVAPAL.html?show=contents Palaces of the Ancient New World.] Dumbarton Oaks Research Library and Collection Washington, D.C.</ref>。精巧な彫刻やモノリスを作成するために使用された緑色の[[安山岩]]は、チチカカ湖の対岸にある{{仮リンク|コパカバーナ (ボリビア)|en|Copacabana, Bolivia|label=コパカバーナ}}半島に由来すると見られる<ref name="Sangines1970">Ponce Sanginés, C. and G. M. Terrazas, 1970, ''Acerca De La Procedencia Del Material Lítico De Los Monumentos De Tiwanaku.'' Publication no. 21. Academia Nacional de Ciencias de Bolivia</ref>。一つの理論として、40トン以上の重さのこれらの巨大な安山岩石は、葦船に載せられてチチカカ湖上を約90キロメートル輸送された可能性がある<ref>Harmon, P., 2002, [http://www.archaeology.org/interactive/tiwanaku/project/experiment.html Experimental Archaeology], Interactive Dig - Archaeology Magazine's Online Excavations web page, [http://www.archaeology.org/ Archaeology Magazine] .</ref>。 |
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ファイル:Reed Islands of Lake Titicaca.jpg|チチカカ湖に[[ |
ファイル:Reed Islands of Lake Titicaca.jpg|チチカカ湖に[[浮島|浮かぶ葦の島]] |
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ファイル:Iles Flottantes Titicaca (pixinn.net).jpg|[[チチカカ湖]]で[[トトラ]]を収穫するウル人。これは伝統的に[[葦船]]を作るために使用されてきた |
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ファイル:Urso man pulling boat.jpg |
ファイル:Urso man pulling boat.jpg|トトラ葦でできた船を引くウル人の男性 |
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ファイル:Titicaca.JPG|葦船で働くウル人の姿 |
ファイル:Titicaca.JPG|葦船で働くウル人の姿 |
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[[イースター島]]でもトトラ葦を使って葦船が建造された。興味深いことに、この船のデザインは、ペルーで使用されている物とよく一致している<ref>Heiser C. B. (1974) [https://web.archive.org/web/20120908020556/http://www.botany.org/plantsciencebulletin/psb-1974-20-2.php "Totoras, Taxonomy, and Thor"] ''Plant ScienceBulletin'', '''20''' (2).</ref>。 |
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== 日本神話における「葦船」 == |
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日本における文献資料で「葦船」の最古の例は[[古事記]]の[[国産み]]神話で、[[イザナミ]]と[[イザナギ]]の間に生まれた[[ヒルコ]] |
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の処遇に登場する。 |
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《原文》興而生子水蛭子此子者入葦船而流去 [[:s:zh:古事記/上卷|古事記(上巻)]] |
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《書き下し文》興して生める子は水蛭子。この子は葦船に入れて流し去てき |
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この「葦船」が文字通りに葦で作った船だったかの解釈には異同がある。たとえば[[日本書紀纂疏]]においては、 |
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葦船ハ葦一ヲ以テ船トナリ <ref>{{Cite web|url=http://codh.rois.ac.jp/iiif/iiif-curation-viewer/index.html?pages=200020493&pos=83&lang=ja|title=日本書紀纂疏|accessdate=2020-11-03|publisher=人文学オープンデータ共同利用センター|author=一条兼良|authorlink=一条兼良|website=日本古典籍データセット|page=82}}</ref> |
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とあり、あたかも葦一本をとってそれを船にしたかのごとく解している<ref>西村(1916). p. 205.</ref>。[[本居宣長]]はこの部分について、「さも有りなむ。」と裏書きした後、「また、葦を多く集めて、からみ作りたるにてもあるべし。」と記して、先人の説を正面切って否定はしないが、実際は物理的に作られた葦船だったともしている<ref>西村(1916). pp. 205-206.</ref>。 |
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吉田東伍は「葦舟はけだし竹筏にして」「葦船の葦はイカタの料にして、竹と同しかるべし」としており、船材としての葦とは竹のことだとしている<ref>{{Cite book|title=倒叙日本史: 神代及上古編|publisher=早稲田大学出版部|year=1913|author=吉田東伍|author-link=吉田東伍|url=https://books.google.co.jp/books?id=ydOq6OjjrqgC&hl=ja&pg=PP258#v=onepage&q&f=false|language=ja|pages=212, 214|volume=10}}</ref>。[[西村眞次]]はこれについて、「難波の葦は伊勢の浜荻<ref>{{Cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E9%9B%A3%E6%B3%A2%E3%81%AE%E8%91%A6%E3%81%AF%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E3%81%AE%E6%B5%9C%E8%8D%BB-589322|title=難波の葦は伊勢の浜荻とは - コトバンク|accessdate=2020-11-03|publisher=株式会社朝日新聞社}}</ref>」というように一般に植物名の使い分けが厳密を欠く場合があるのは確かにしても、記紀は竹と葦は識別して記しているため、やはり葦は葦だと解すべきとしている<ref>西村(1916). p. 206.</ref>。西村眞次はつづけて[[松村任三]]の言葉として、昔の日本では海辺や川岸に葦が非常に多く産していたことを紹介し、それを受けて、資源として得やすく加工しやすかった葦は、初期の歴史においては木材より多く船材として利用されていたのではないかと結論している<ref>西村(1916). p. 207.</ref>。なお、[[笠井新也]]は国産み神話に関連して、「当時産後の不潔物等も、葦などに包んで流し捨てるという風習のあった事が想像出来る」としており、葦の使用を認めている<ref>{{Cite journal|journal=人類學雜誌|author=笠井 新也|author-link=笠井新也|year=1915|title=水上住居の遺風としての産屋|volume=30|issue=4|pages=146-147|language=ja|DOI=10.1537/ase1911.30.144}}</ref>。 |
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国産み神話以外では、南波松太郎が、[[神武東征]]において、[[速吸門]]で遭遇した[[椎根津彦|珍彦(うづひこ)]]が乗っていた[[亀甲]]を葦船としている<ref>{{Cite journal|journal=関西造船協会誌|author=南波 松太郎|year=1955|title=日本に残存せる古代船舶資料|volume=80|page=8|language=ja|DOI=10.14856/kansaiks.80.0_1|ISSN=0389-9101}} 図24および図25。また、図7と図8においてはスウェーデンのペトログリフと[[銅鐸]]に描かれた船の類似も指摘している。</ref>。 |
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== その他の例 == |
== その他の例 == |
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* [[北アメリカ|北米]]で広く存在する{{仮リンク|ツーリー|en|Tule|label=}}葦は、さまざまな[[インディアン]]によって葦船を建造するために使用された。 [[オローニ族]]、{{仮リンク|湾岸ミーウォク族|en|Bay Miwok|label=}}、{{仮リンク|海岸ミーウォク族|en|Coast Miwok|label=}}の人々は、サンフランシスコ湾の河口で使用する船を作るためにツーリーを使用した<ref>Jones TL and Klar K (2007) [https://books.google.com/books?id=fFX066QfQv8C&printsec=frontcover&source=gbs_v2_summary_r&cad=0#v=onepage&q=&f=false ''California prehistory: colonization, culture, and complexity''] Walnut Creek, CA: Altamira Press.</ref>。{{仮リンク|チュマシュ族|en|Chumash people|label=}}のうち、北部の集団はツーリーを使って葦の漁業カヌーを作っていた<ref>Hogan CM (2008) [http://www.megalithic.co.uk/article.php?sid=18502 ''Morro Creek''] Megalithic Portal, ed. Andy Burnham.</ref> |
* [[北アメリカ|北米]]で広く存在する{{仮リンク|ツーリー|en|Tule|label=}}葦は、さまざまな[[インディアン]]によって葦船を建造するために使用された。 [[オローニ族]]、{{仮リンク|湾岸ミーウォク族|en|Bay Miwok|label=}}、{{仮リンク|海岸ミーウォク族|en|Coast Miwok|label=}}の人々は、サンフランシスコ湾の河口で使用する船を作るためにツーリーを使用した<ref>Jones TL and Klar K (2007) [https://books.google.com/books?id=fFX066QfQv8C&printsec=frontcover&source=gbs_v2_summary_r&cad=0#v=onepage&q=&f=false ''California prehistory: colonization, culture, and complexity''] Walnut Creek, CA: Altamira Press.</ref>。{{仮リンク|チュマシュ族|en|Chumash people|label=}}のうち、北部の集団はツーリーを使って葦の漁業用カヌーを作っていた<ref>Hogan CM (2008) [http://www.megalithic.co.uk/article.php?sid=18502 ''Morro Creek''] Megalithic Portal, ed. Andy Burnham.</ref> |
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* ペルーやボリビアだけでなく、[[エチオピア |
* ペルーやボリビアだけでなく、[[エチオピア]]でも葦船が造られている<ref>de Graafa M, van Zwietenb PAM, Machielsb MAM, Lemmac E, Wudnehd T, Dejene E and Sibbing FA () [https://archive.today/20120911055429/http://www.sciencedirect.com/science?_ob=ArticleURL&_udi=B6T6N-4K3N5PK-1&_user=10&_rdoc=1&_fmt=&_orig=search&_sort=d&_docanchor=&view=c&_searchStrId=945973133&_rerunOrigin=scholar.google&_acct=C000050221&_version=1&_urlVersion=0&_userid=10&md5=52cd42b08087fa104d94afa29375d19b "Vulnerability to a small-scale commercial fishery of Lake Tana's (Ethiopia) endemic Labeobarbus compared with African catfish and Nile tilapia: An example of recruitment-overfishing?"] ''Fisheries Research'', '''82''' (1-3) 304-318.</ref>。そして最近まで[[ケルキラ島]]でも使用されていた<ref>Sordinas A (1970) [https://web.archive.org/web/20110721075451/http://cmm.corfuculture.gr/default.asp?id=25&mnu=25&LangID=English "Stone implements from northwestern Corfu"], Anthropological Research Center, [[:en:University of Memphis]].</ref>。 |
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* [[エウセビオス|カイサリアのエウセビオス]]の伝えるところによれば、[[シュメール神話#創造神話|シュメールの洪水神話]]においては[[アトラ・ハシース|ジウドスラ]]は葦船を作って生き延びたと、少なくとも[[ベロッソス]]の時代までは信じられていた |
* [[エウセビオス|カイサリアのエウセビオス]]の伝えるところによれば、[[シュメール神話#創造神話|シュメールの洪水神話]]においては[[アトラ・ハシース|ジウドスラ]]は葦船を作って生き延びたと、少なくとも[[ベロッソス]]の時代までは信じられていた |
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* モキヒ(Mokihi)は[[ニュージーランド]]の先住民・[[マオリ]]の船で、ラウポやコラリという葦から作られる。ワイタキ川[http://www.waitaha.org/traditional-mokihi-sails-again/]とサウスウェストランド[ |
* モキヒ(Mokihi)は[[ニュージーランド]]の先住民・[[マオリ]]の船で、ラウポやコラリという葦から作られる。ワイタキ川[http://www.waitaha.org/traditional-mokihi-sails-again/]とサウスウェストランド[https://web.archive.org/web/20120405065508/http://www.ramsar.org/cda/es/ramsar-activities-wwds-world-wetlands-day-2002-19749/main/ramsar/1-63-78%5E19749_4000_2__]では現存する |
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* 「祈りの船」は、毎年何千人もの人々が小さな葦の船でお香やろうそくを燃やし、夜に川に浮かべて、願いや祈りを運ぶ[[ヒンズー教]]の宗教祭で使用される |
* 「祈りの船」は、毎年何千人もの人々が小さな葦の船でお香やろうそくを燃やし、夜に川に浮かべて、願いや祈りを運ぶ[[ヒンズー教]]の宗教祭で使用される |
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* 1836年、[[:en:Narcissa Whitman|Narcissa Whitman]]は、{{仮リンク|フォート・ボイス|en|Fort Boise|label=}}のスネークフォートで[[インディアン]]が馬で曳いていた葦船について記述している<ref>{{Cite book|last=Eells|first=Myron|title=Marcus Whitman, pathfinder and patriot|publisher=Alice Harriman Company|year=1909|accessdate=2009-12-10|url=https://archive.org/details/marcuswhitmanpa02eellgoog}}</ref> |
* 1836年、[[:en:Narcissa Whitman|Narcissa Whitman]]は、{{仮リンク|フォート・ボイス|en|Fort Boise|label=}}のスネークフォートで[[インディアン]]が馬で曳いていた葦船について記述している<ref>{{Cite book|last=Eells|first=Myron|title=Marcus Whitman, pathfinder and patriot|publisher=Alice Harriman Company|year=1909|accessdate=2009-12-10|url=https://archive.org/details/marcuswhitmanpa02eellgoog}}</ref> |
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* 2007年、{{仮リンク|アボラ探険隊|en|Abora (expeditions)|label=}}の第3次航海として、ドイツの科学者ドミニク・ゲルリッツが船長を |
* 2007年、{{仮リンク|アボラ探険隊|en|Abora (expeditions)|label=}}の第3次航海として、ドイツの科学者ドミニク・ゲルリッツが船長を務める葦船が大西洋を西から東に渡ろうとニューヨークから出発した |
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* 一部の[[網代船]]も葦で作られている(下の写真を参照) |
* 一部の[[網代船]]も葦で作られている(下の写真を参照) |
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* 現存する日本最古の歴史書・『[[古事記]]』の記述によれば、[[イザナミ]]と[[イザナギ]]の間に生まれた長子の[[ヒルコ]]、次子の[[アハシマ]]はいずれも障害児だったため、葦船に乗せられ海に流されたという。 |
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ファイル:Passengers Maneuver Motorcycle out of Reed Boat - Near Hampi - India.JPG|{{仮リンク|網代船|en|Coracle|label=}}を使った渡し船からバイクを降ろそうとする乗客。[[ハンピ (インド)]]村近くで撮影。2008年7月 |
ファイル:Passengers Maneuver Motorcycle out of Reed Boat - Near Hampi - India.JPG|{{仮リンク|網代船|en|Coracle|label=}}を使った渡し船からバイクを降ろそうとする乗客。[[ハンピ (インド)]]村近くで撮影。2008年7月 |
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ファイル:Tigris Model Pyramids of Guimar.jpg|「ティグリス」の模型。[[グイマーのピラミッド]]にて([[テネリフェ島]]) |
ファイル:Tigris Model Pyramids of Guimar.jpg|「ティグリス」の模型。[[グイマーのピラミッド]]にて([[テネリフェ島]]) |
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ファイル:Peru Huanchaco Typical Fisherman reed boats.jpg|ペルーの海岸で積まれている葦船 |
ファイル:Peru Huanchaco Typical Fisherman reed boats.jpg|ペルーの海岸で積まれている葦船 |
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ファイル:Fishermen, Lake Tana (2260748777).jpg|葦船([[:en:Tankwa|tankwas]])を使う漁師たち。北エチオピアの[[タナ湖]] |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite book|last=Swall|first=Corinne|last2=Nuyens III|first2=Louis|title=Tule reed boat workbook : a voyage of adventure|publisher=Mother Lode Musical Theatre, Watershed Preservation Network|year=2003|location=Kentfield, CA|url=https://web.archive.org/web/20120304100237/http://www.motherlodemusical.org/tule.html|accessdate=2020-11-01}} |
* {{Cite book|last=Swall|first=Corinne|last2=Nuyens III|first2=Louis|title=Tule reed boat workbook : a voyage of adventure|publisher=Mother Lode Musical Theatre, Watershed Preservation Network|year=2003|location=Kentfield, CA|url=https://web.archive.org/web/20120304100237/http://www.motherlodemusical.org/tule.html|accessdate=2020-11-01}} |
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* {{Cite journal|journal=人類學雜誌|author=西村 眞次|title=葦船に關する研究|volume=31|pages=204-214|date=1916-06-25|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/ase1911/31/6/31_6_204/_article/-char/ja|issue=6|DOI=10.1537/ase1911.31.204|accessdate=2020-11-01|authorlink=西村眞次}} |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* [http://www.worldofboats.org/boats/view/175/39 World of Boats (EISCA) Collection ~ Vietnamese Basket Boat] |
* [https://web.archive.org/web/20110102201737/http://www.worldofboats.org/boats/view/175/39 World of Boats (EISCA) Collection ~ Vietnamese Basket Boat] |
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* [https://www.flickr.com/photos/majesticmoose/2425279698/ Papyrus reed boat or "tankwa", Lake Tana] by Majestic Moose. Flikr, April 2008, retrieved March 26, 2010 |
* [https://www.flickr.com/photos/majesticmoose/2425279698/ Papyrus reed boat or "tankwa", Lake Tana] by Majestic Moose. Flikr, April 2008, retrieved March 26, 2010 |
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* [http://www.window2baku.com/eng/Ancient/9gobustan.htm Gobustan] from "Window to Baku" |
* [http://www.window2baku.com/eng/Ancient/9gobustan.htm Gobustan] from "Window to Baku" |
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* [http://donsmaps.com/gobustan.html The Rock Engravings of Gobustan] |
* [http://donsmaps.com/gobustan.html The Rock Engravings of Gobustan] |
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* [http://www.atlantisbolivia.org/porfiriolimachi.htm Porfirio Limachi, reed ship builder] |
* [http://www.atlantisbolivia.org/porfiriolimachi.htm Porfirio Limachi, reed ship builder] |
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* [http://www.cargo-link.de/sponsoring.html The Viracocha Expedition], construction photo |
* [https://web.archive.org/web/20050817233105/http://www.cargo-link.de/sponsoring.html The Viracocha Expedition], construction photo |
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* [http://www.wpn.org/wpn/photogallery_tuleboat.htm Tule Boat Photo Gallery] |
* [http://www.wpn.org/wpn/photogallery_tuleboat.htm Tule Boat Photo Gallery] |
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* [http://nativecc.com/Ohlonecanoe.html Tule reed canoe], [[オローニ族|Ohlone]], launched on Lake Merced, San Francisco |
* [http://nativecc.com/Ohlonecanoe.html Tule reed canoe], [[オローニ族|Ohlone]], launched on Lake Merced, San Francisco |
2020年11月3日 (火) 10:03時点における版
葦船(あしぶね)や草いかだ(くさいかだ)は、丸木舟や他のいかだなどとともに、最も古くから知られている船のひとつである。伝統的漁船としてよく使われてきたが、その大半は板張りの船に取って代わられた。しかし今でも使われている地域もいくらかはある。葦船は通常、何らかのタールで防水されているため、葦船と草いかだは区別できる[1]。小舟やいかだだけでなく、小さな浮島も葦で作ることができる。
いままで発見された中で最古の葦船の遺物は7000年前のもので、クウェートで発見された。葦船は初期のペトログリフ(岩面彫刻)にも描かれており、古代エジプトでは一般的だった。有名な例は、赤ん坊のモーセを入れるのに使われた「パピルスで編んだかごを取り、それにアスファルトと樹脂とを塗っ」たものである(:en:Ark of bulrushes)。また、ペルーとボリビアでも早くから作られており、非常に類似したデザインの船はイースター島でも発見された。葦船は今でもペルー、ボリビア、エチオピアなどで使われており、最近までケルキラ島でも使用されてた。ノルウェーの人類学者で冒険家のトール・ヘイエルダールの探険航海と研究により、葦船の構造と能力についての理解が深まった。
歴史
右の画像は葦船と人間のペトログリフである。葦船はスカンジナビアの洞窟壁画に描かれているものと似ており、トール・ヘイエルダールはスカンジナビア人が今日のアゼルバイジャンに相当する地域から来たと結論した。ゴブスタン国立保護区には、12,000年前にこれらの洞窟に住んでいた狩猟採集民によって彫られた6,000以上のペトログリフがある。当時、カスピ海の湖面は今よりもはるかに高く、丘の低い岩に打ち寄せていた。
また、エジプトのキフト(コプトス)にあるワディ・ハンママート(:en:Wadi Hammamat)には、紀元前4000年のエジプトの葦船の絵がある[2]
今まで発見された中で最古の葦(とタール)で作られた船の遺物は、クウェートのファイラカ島で見つかった7000年前の航海用ボートのものである[3]。
古代のエジプト人は、ナイル川とデルタで広く栽培されていたパピルス(カミガヤツリ)から船を作っていた。この葦は、他にも多くの目的、特にパピルス紙を作るためにも使用された[4]。カヤツリグサ属の他の葦も同様に使用された可能性がある[4]。テオプラストスは著書「植物の歴史(:en:Historia Plantarum)」[5]で、オデュッセウスが帰宅後に、妻への求婚者たちを殺害した際、彼らの退路を断つため、アンティゴノス王の船から持ち出した索具で扉を固定していた[6]が、その索具はパピルスから作られていたと述べている[4]。ナイル川の航行に適した軽い小船は、パピルスを切っている姿を描いた第4王朝のレリーフに示されているように、パピルスの茎で作られ、それを使って索具や帆を作り、葦船を作った[4]。
聖書によれば、ファラオがすべてのヘブライ人の男性を殺すための布告を出したとき、赤ん坊のモーセは母親によって救われた。母親が彼をナイル川に隠す際に[7]、パピルスで作られたかご(小船)が使われた[4]。また、預言者イザヤは、イザヤ書18:2でエチオピアの葦の船について言及している。
トール・ヘイエルダール
近代的な意味では、ノルウェーの人類学者で冒険家のトール・ヘイエルダール(1914年-2002年)の冒険航海と研究により、葦船の構造と能力がよりよく理解されるようになった。
ヘイエルダールは、古代の地中海やアフリカの人々がカナリア海流に乗って航海して、大西洋を横断して、南北アメリカに到達した可能性があることを実証したいと考えていた。1969年、ヘイエルダールは古代エジプトの太陽神にちなんで「ラー」と名付けた葦船を建造した。その設計は古代エジプトのモデルと図面に基づいていた。船はチャド共和国のチャド湖から招請した船大工によって建造された。原料のパピルスの茎はエチオピアのタナ湖のものを使った。モロッコ海岸(サフィ市)から大西洋を横断しようとして出航した。数週間後、設計ミスと舵の喪失により、「ラー」の船体は大きく浸水していた。最終的に「ラー」は放棄された[8]。
翌年、ヘイエルダールは新しい船、「ラーII号」で再挑戦した。今回はボリビアのチチカカ湖の船大工が建造した。再び、船はモロッコから出航し、今回は成功してバルバドスに到着した[9]。
1978年、ヘイエルダールは3番目の葦船である「ティグリス」を建造した。この船の建造目的は、メソポタミアとインダス文明が、貿易と移住を通じて結びついていた可能性の実証だった。「ティグリス」はイラクで建造され、ペルシア湾を航海して、インダス文明のあったパキスタンを経由して、最終的には紅海にまで入った。彼女は5ヶ月間耐航性のある状態で海にとどまった。その後、アフリカの角で激化していた地域紛争への抗議として、「ティグリス」はジブチの海上で燃やされた[10]。
チチカカ湖の葦船
トトラ葦は南アメリカ、特にチチカカ湖周辺、そしてイースター島でも育つ。これらの葦は、コロンブス以前の南米のさまざまな文明で葦船を造るために使用されてきた。「バルサ」と呼ばれる船は、小型の釣り用カヌーから30メートル長までさまざまな大きさの物がある。それらは、海抜3810メートルのペルー・ボリビア国境にあるチチカカ湖で今でも使用されている[11]。
ウル族(ウル人、ウロス人)はインカ文明以前の先住民である。彼らは今でも、チチカカ湖に点在する人工の浮島に住んでいる。これらの島々もトトラ葦でできている[12]。それぞれの浮島に、同じく葦でできた3〜10軒の家が建っている[11]。ウル族は今でもトトラ葦船を造っており、釣りや水鳥狩りに使用している
チチカカ湖のボリビア側の町であるスリキ島の葦船職人は、トール・ヘイエルダールが「ラー2号」と「ティグリス」を建造するのを助けた[13]。トール・ヘイエルダールは、チチカカ湖の葦船がエジプトのパピルス船に由来することを証明しようとした。
チチカカ湖の南東岸近くには、古代都市国家ティワナク遺跡がある。ティワナクの遺跡からは、当時の卓越した石材加工技術の存在がうかがえる[14]。精巧な彫刻やモノリスを作成するために使用された緑色の安山岩は、チチカカ湖の対岸にあるコパカバーナ半島に由来すると見られる[15]。一つの理論として、40トン以上の重さのこれらの巨大な安山岩石は、葦船に載せられてチチカカ湖上を約90キロメートル輸送された可能性がある[16]。
-
チチカカ湖に浮かぶ葦の島
-
トトラ葦でできた船を引くウル人の男性
-
葦船で働くウル人の姿
イースター島でもトトラ葦を使って葦船が建造された。興味深いことに、この船のデザインは、ペルーで使用されている物とよく一致している[17]。
日本神話における「葦船」
日本における文献資料で「葦船」の最古の例は古事記の国産み神話で、イザナミとイザナギの間に生まれたヒルコ の処遇に登場する。
《原文》興而生子水蛭子此子者入葦船而流去 古事記(上巻) 《書き下し文》興して生める子は水蛭子。この子は葦船に入れて流し去てき
この「葦船」が文字通りに葦で作った船だったかの解釈には異同がある。たとえば日本書紀纂疏においては、
葦船ハ葦一ヲ以テ船トナリ [18]
とあり、あたかも葦一本をとってそれを船にしたかのごとく解している[19]。本居宣長はこの部分について、「さも有りなむ。」と裏書きした後、「また、葦を多く集めて、からみ作りたるにてもあるべし。」と記して、先人の説を正面切って否定はしないが、実際は物理的に作られた葦船だったともしている[20]。
吉田東伍は「葦舟はけだし竹筏にして」「葦船の葦はイカタの料にして、竹と同しかるべし」としており、船材としての葦とは竹のことだとしている[21]。西村眞次はこれについて、「難波の葦は伊勢の浜荻[22]」というように一般に植物名の使い分けが厳密を欠く場合があるのは確かにしても、記紀は竹と葦は識別して記しているため、やはり葦は葦だと解すべきとしている[23]。西村眞次はつづけて松村任三の言葉として、昔の日本では海辺や川岸に葦が非常に多く産していたことを紹介し、それを受けて、資源として得やすく加工しやすかった葦は、初期の歴史においては木材より多く船材として利用されていたのではないかと結論している[24]。なお、笠井新也は国産み神話に関連して、「当時産後の不潔物等も、葦などに包んで流し捨てるという風習のあった事が想像出来る」としており、葦の使用を認めている[25]。
国産み神話以外では、南波松太郎が、神武東征において、速吸門で遭遇した珍彦(うづひこ)が乗っていた亀甲を葦船としている[26]。
その他の例
- 北米で広く存在するツーリー葦は、さまざまなインディアンによって葦船を建造するために使用された。 オローニ族、湾岸ミーウォク族、海岸ミーウォク族の人々は、サンフランシスコ湾の河口で使用する船を作るためにツーリーを使用した[27]。チュマシュ族のうち、北部の集団はツーリーを使って葦の漁業用カヌーを作っていた[28]
- ペルーやボリビアだけでなく、エチオピアでも葦船が造られている[29]。そして最近までケルキラ島でも使用されていた[30]。
- カイサリアのエウセビオスの伝えるところによれば、シュメールの洪水神話においてはジウドスラは葦船を作って生き延びたと、少なくともベロッソスの時代までは信じられていた
- モキヒ(Mokihi)はニュージーランドの先住民・マオリの船で、ラウポやコラリという葦から作られる。ワイタキ川[1]とサウスウェストランド[2]では現存する
- 「祈りの船」は、毎年何千人もの人々が小さな葦の船でお香やろうそくを燃やし、夜に川に浮かべて、願いや祈りを運ぶヒンズー教の宗教祭で使用される
- 1836年、Narcissa Whitmanは、フォート・ボイスのスネークフォートでインディアンが馬で曳いていた葦船について記述している[31]
- 2007年、アボラ探険隊の第3次航海として、ドイツの科学者ドミニク・ゲルリッツが船長を務める葦船が大西洋を西から東に渡ろうとニューヨークから出発した
- 一部の網代船も葦で作られている(下の写真を参照)
-
副葬品。小舟と二人の人物。上エジプトのゲベレイン。 おそらくナカダ2期の紀元前3400年から紀元前3200年。 粘土で覆われた葦、長さ46cm。
-
「ティグリス」の模型。グイマーのピラミッドにて(テネリフェ島)
-
ペルーの海岸で積まれている葦船
関連項目
脚注
- ^ McGrail S (1985) Towards a classification of Water transport World Archeology, 16 (3).
- ^ McGrail, Seán (2004) Boats of the World: From the Stone Age to Medieval Times Oxford University Press. ISBN 978-0-19-927186-3
- ^ Lawler, Andrew (June 7, 2002). “Report of Oldest Boat Hints at Early Trade Routes”. Science (AAAS) 296 (5574): 1791–1792. doi:10.1126/science.296.5574.1791. PMID 12052936 2008年5月5日閲覧。.
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- ^ オデュッセイア Odyssey book XXI. 390. どう訳すかは訳者によって異なるが、ウィリアム・クーパーは「エジプト葦の船用ロープ(A ship-rope of Ægyptian reed)」と記している。
- ^ 出エジプト記2:3
- ^ “ラー号(1969年)、 ラーII号(1970年) – The Kon-Tiki Museum”. The Kon-Tiki Museum. 2020年10月23日閲覧。
- ^ Ryne, Linn. Voyages into History
- ^ “ティグリス – The Kon-Tiki Museum”. The Kon-Tiki Museum. 2020年10月24日閲覧。
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参考文献
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- 西村 眞次 (1916-06-25). “葦船に關する研究”. 人類學雜誌 31 (6): 204-214. doi:10.1537/ase1911.31.204 2020年11月1日閲覧。.
外部リンク
- World of Boats (EISCA) Collection ~ Vietnamese Basket Boat
- Papyrus reed boat or "tankwa", Lake Tana by Majestic Moose. Flikr, April 2008, retrieved March 26, 2010
- Gobustan from "Window to Baku"
- The Rock Engravings of Gobustan
- Porfirio Limachi, reed ship builder
- The Viracocha Expedition, construction photo
- Tule Boat Photo Gallery
- Tule reed canoe, Ohlone, launched on Lake Merced, San Francisco
- Tule reed canoe, Modoc