細川興治
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細川 興治(ほそかわ おきはる、1890年(明治23年)7月30日[1] - 1977年(昭和52年)8月16日[1][2])は、明治末から昭和期の宮内官、華族(子爵)。貴族院議員。
概要
[編集]清和源氏義季流谷田部細川家、細川興嗣(子爵)の長男として出生する[1][3]。父の隠居に伴い1909年(明治42年)7月27日、家督を相続して子爵を襲爵した[1]。1914年(大正3年)明治大学法学部を卒業し[2][3]、さらに東京帝国大学法科大学で学んだ[3]。1924年(大正13年)宮内省に出仕[2]。宮内属、陵墓監、宮内事務官などを歴任した[2]。
1946年(昭和21年)5月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[4][5]、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。1977年、死去。
栄典
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『最新華族名鑑』東華堂書店、1911年。
- 『茨城縣紳士錄 昭和10年』有備會出版部、1935年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 細川興嗣 |
子爵 (谷田部)細川家第3代 1909年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |