細川利恭

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細川利恭
時代 江戸時代中期
生誕 元禄14年5月1日1701年6月6日
死没 寛延2年6月3日1749年7月16日
改名 仁三郎(幼名)→利恭
墓所 東京都品川区北品川の東海寺妙解院
官位 従五位下、備後
幕府 江戸幕府
肥後熊本新田藩主
氏族 細川氏
父母 父:細川利昌、母:晴雲院(林氏)
兄弟 利方利恭利英利乙津田正明小笠原長員木村豊章
正室:なし
側室:富里(栗山氏、梅仙院)、
トヤ(筧氏)、レノ、カツ、トセ
利久景業、房姫(細川利寛正室)、娘(増山正贇正室)
養子:利寛

細川 利恭(ほそかわ としやす)は、肥後熊本新田藩の第3代藩主。

生涯[編集]

元禄14年(1701年)5月1日、第2代藩主・細川利昌の次男として生まれる。長兄の利方が病弱だったため世子となり、正徳5年(1715年)の父の死去により跡を継いだ。享保元年(1716年)7月に従五位下、備後守に叙任する。寛保2年(1742年)3月7日、病気のため兄・利方の子で娘婿の利寛に家督を譲って隠居した。

寛延2年(1749年)6月3日に死去した。享年49。