細川利昌

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細川利昌
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛文12年6月4日1672年6月28日
死没 正徳5年6月3日1715年7月3日
改名 采女(幼名)、利昌
墓所 東京都品川区北品川の東海寺妙解院
官位 従五位下采女正
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉家宣家継
肥後熊本新田藩
氏族 高瀬細川家
父母 父:細川利重、母:高正院
兄弟 利昌宣紀
正室:細川綱利娘吉姫
側室:晴雲院、戸川氏、坂本氏
利方利恭利英利乙津田正明
小笠原長員木村豊幸細川有孝養女、
長岡豊之
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細川 利昌(ほそかわ としまさ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名肥後国熊本新田藩2代藩主。官位従五位下・采女正。

生涯[編集]

寛文12年(1672年)6月4日、初代藩主・細川利重の長男として誕生。

貞享4年(1687年)、父の死去により跡を継ぎ、元禄元年(1688年)12月に従五位下、采女正に叙任する。正徳5年(1715年)6月3日に死去した。享年44。跡を次男・利恭が継いだ。

系譜[編集]