コンテンツにスキップ

紀元前248年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
世紀 前4世紀 - 前3世紀 - 前2世紀
十年紀 前260年代 前250年代
前240年代
前230年代 前220年代
前251年 前250年 前249年
紀元前248年
前247年 前246年 前245年

紀元前248年(きげんぜん248ねん)は、ローマ暦の年である。

当時は、「ガイウス・アウレリウス・コッタプブリウス・セルウィリウス・ゲミヌス共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元506年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前247年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法

[編集]

できごと

[編集]

インド

[編集]

中国

[編集]
  • 蒙驁の楡次・新城・狼孟を攻撃し、37城を奪った。
  • 春申君が「淮北は斉に接する重要な土地であるから直轄の郡とし、江東を封地としたい」と要望し、考烈王が聞き入れた。春申君はかつてのの王城(蘇州)を自らの居城とした。

誕生

[編集]

死去

[編集]

脚注

[編集]

注釈

出典

関連項目

[編集]