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=== NHK入局後 ===
=== NHK入局後 ===
* 「[[ここはふるさと 旅するラジオ]]」新潟県からの中継の週の担当([[NHKラジオ第1放送|ラジオ第1]]、ふるさとサポーターとして出演)
* 「[[ここはふるさと 旅するラジオ]]」新潟県からの中継の週の担当([[NHKラジオ第1放送|ラジオ第1]]・[[NHK-FM放送|FM]]、ふるさとサポーターとして出演)
** [[2009年]]度([[10月12日]]〜[[10月15日]]。その時のMCは[[2001年]]〜[[2005年]]まで[[NHK新潟放送局]]に勤務していた[[阿部悌]])
** [[2009年]]度([[10月12日]]〜[[10月15日]]。その時のMCは[[2001年]]〜[[2005年]]まで[[NHK新潟放送局]]に勤務していた[[阿部悌]])
** [[2010年]]度([[10月4日]]~[[10月7日]]。その時のMCは以前[[NHK新潟放送局]]に勤務していた[[森下和哉]])
** [[2010年]]度([[10月4日]]~[[10月7日]]。その時のMCは以前[[NHK新潟放送局]]に勤務していた[[森下和哉]])

2014年3月26日 (水) 13:19時点における版

こまさ ゆかこ
小正 裕佳子
プロフィール
本名 小正 裕佳子
出身地 日本の旗 日本 兵庫県宝塚市
生年月日 (1983-05-17) 1983年5月17日(40歳)
血液型 A型
最終学歴 東京大学大学院医学系研究科修士課程修了
職歴 NHKアナウンサー(新潟
活動期間 2006年頃~
(NHKアナウンサーとしては2009年4月~2012年7月31日
出演番組・活動
出演経歴 本文参照
その他 身長:163cm
備考
にいがた観光特使

小正 裕佳子(こまさ ゆかこ、1983年5月17日 - )は、日本の医療従事者。NHKの元アナウンサー

人物

1983年5月17日兵庫県宝塚市出身。宝塚市立宝塚第一小学校神戸女学院中学部・高等学部を経て東京大学医学部健康科学・看護学科卒業後、同大学院医学系研究科修士課程修了。

神戸女学院中等部時代から大学2年までの8年間バスケットボールをやっていて、大学ではバスケットボールサークルに所属していた。

大学1年時、株式会社TCCにスカウトされファッションモデルとして活動開始。講談社の雑誌KING読者モデル採用。学部生時代よりテレビ・ラジオなどへも出演[1][2]

自らのモットーは「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。」(新約聖書ローマの信徒への手紙」12章12節。新共同訳[3]

後述のNHK退職に当たって、新潟県から『にいがた観光特使』に委嘱された[4]

主な経歴

過去の出演番組

学生時代

NHK入局後

その他多数

メディア

  • 新潟日報オピニオンコラム『風の案内人』[10](2013年6月24日、7月20日、9月28日付)
今後も数ヶ月に1回登板予定。

同期の女性アナウンサー

※小正以外では佐々木と牛田と池田が地デジ大使に就任(こちらは前任者退局の穴埋め)。合原も遅れて地デジ大使に就任。

脚注

  1. ^ 「小正裕佳子のミスキャン日記」
  2. ^ 「lovey-dovey」
  3. ^ NHK時代のアナウンサー・パーソナルページに表記があった。
  4. ^ a b 小正裕佳子 元アナウンサーから退職のあいさつ NHK新潟放送局 アナウンサー・キャスターブログ 2012年8月1日付
  5. ^ 「東大ミスコン関係インタビュー」
  6. ^ 「理系ナビ表紙の人」
  7. ^ NHK新潟の同女性大使は荒木美和以来。
  8. ^ 東日本大震災・福島原発事故に関する「ニュース」と「お知らせ」, 桑野協立病院(2013年1月24日), 2013年6月30日閲覧
  9. ^ 二本松市ウクライナ視察報告集 (PDF) 福島県二本松市
  10. ^ 原則として月末最終土曜日の朝刊に掲載されるコラム