清水精三郎
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清水 精三郎(しみず せいざぶろう、万延元年10月25日[1](1860年11月19日) - 昭和9年(1934年)12月5日[1])は、日本の外交官。駐ペルー公使。位階および勲等は従三位・勲二等。
経歴
[編集]武蔵国大里郡大幡村(現在の埼玉県熊谷市)に四分一啓次郎の二男として生まれ、清水賢良の養子となった[1][2]。1890年(明治23年)に高等文官試験に合格し、外務省試補となった[2]。1894年(明治27年)ホノルル領事官補。1895年香港領事官補。1896年(明治29年)香港二等領事。1897年(明治30年)バンクーバー二等領事。1902年(明治35年)待命。1903年(明治36年)シカゴ領事。1908年(明治41年)オタワ総領事。1909年(明治42年)外務書記官・外務大臣官房会計課長。1913年(大正2年)シドニー総領事[1]。1921年(大正10年)、駐ペルー特命全権公使となり、1925年(大正14年)に退官した。1928年(昭和3年)日濠協会専務理事。1930年(昭和5年)日加協会理事。1934年(昭和9年)勲二等瑞宝章[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 「故清水精三郎叙勲ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113132600
- ^ a b 人事興信録 1915.
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。