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松本礼児

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松本 礼児(まつもと れいじ、1943年2月17日[1] - 2011年12月19日)は、日本作詞家。本名:今福正[2]

来歴

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長野県松本市出身。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て上智大学卒業後、日本航空に入社。

国際線のチーフパーサーとして勤務していたが、30代前半の頃、たまたま機内でレコード会社キャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)の社長と知り合い、引き抜かれる形で1976年に入社。以後、制作部の責任者として森昌子前川清夏川りみなどを手掛けた異色の経歴を持つ[3][4]

在職中の1979年石野真子の「ジュリーがライバル」で作詞家デビュー。1988年には大月みやこの「乱れ花」で第21回日本作詩大賞の優秀作品賞、第9回古賀政男記念音楽大賞を受賞した。1992年頃に作詞家として独立し、森繁久彌の最後の歌となった「何処(いずこ)へ」も作詞した。

2011年12月19日午前4時40分頃、東京都世田谷区内の自宅玄関前で全身に火傷を負っているところを妻によって発見され、病院に搬送されたが死亡した。2階で寝ていた妻がうめき声に気づき、外に出たところ、倒れた松本を発見したという[5]。近くにファンヒーターのタンクとライターが落ちていたことから、灯油をかぶって焼身自殺したとみられている[2]。満68歳没。

松本が常務理事を務めていた日本作詩家協会会長の湯川れい子によると、数年前から体調を崩しており、半年ほど前には結石の手術を受けたものの、経過が思わしくなかったという。「痛みが凄かったと聞いている。もともと笑顔の多い人だが最近は浮かない顔をしていることが多かった。物忘れも増え、精神面の落ち込みが激しかった」と振り返っている[6]

主な楽曲

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脚註

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関連項目

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外部リンク

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