松平信行 (旗本)
表示
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
---|---|
生誕 | 延享3年(1746年) |
死没 | 文政4年10月23日(1821年11月17日) |
改名 | 関起宗→松平信行 |
別名 | 嘉吉→主計→舎人→市正 |
戒名 | 円修院殿 |
墓所 | 東京都文京区小日向の深光寺 |
官位 | 従五位下、淡路守、兵庫頭 |
幕府 | 江戸幕府小普請奉行→勘定奉行→西丸旗奉行 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
氏族 | 関家→大河内松平家 |
父母 |
父:関盛時 養父:松平信成 |
兄弟 |
関盛有、松平信行、佐野敬明、恵順 女(曽我助簉室)、女(能勢頼護室) |
妻 | 多与(松平信成の娘) |
子 |
信栄、信敬、信孟、女(権太泰栄室) 女(小川正方室)、女(佐橋佳富室) |
松平 信行(まつだいら のぶゆき)は、江戸時代中期から後期の旗本(寄合)。堅綱系大河内松平家6代。石高は1000石。
生涯
[編集]延享3年(1746年)に旗本・関盛時の次男として江戸で生まれる。松平信成の養子となり[1] 、明和6年(1769年)12月22日に初めて将軍家治に御目見する。安永5年(1776年)9月11日に西丸小納戸となり、12月16日に布衣の着用を許される。安永8年(1779年)4月18日に寄合に列する。
安永9年(1780年)4月5日に家督を相続する。11月24日に徒頭、寛政4年(1792年)9月25日に御先鉄砲頭、寛政8年(1796年)2月26日に小普請奉行となる。9月13日、従五位下・淡路守に叙任される。享和2年(1802年)6月21日に勘定奉行(公事方)となる。文化9年(1812年)11月24日に西丸旗奉行となる。
文政4年(1821年)10月23日に死去した。享年76。