松平信行 (旗本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
 
松平 信行
時代 江戸時代中期‐後期
生誕 延享3年(1746年
死没 文政4年10月23日1821年11月17日
改名 関起宗→松平信行
別名 嘉吉→主計→舎人→市正
戒名 円修院殿
墓所 東京都文京区小日向の深光寺
官位 従五位下、淡路守、兵庫頭
幕府 江戸幕府小普請奉行勘定奉行→西丸旗奉行
主君 徳川家治家斉
氏族 関家大河内松平家
父母 父:関盛時
養父:松平信成
兄弟 関盛有松平信行佐野敬明恵順
女(曽我助簉室)、女(能勢頼護室)
多与(松平信成の娘)
松平信栄松平信敬信孟、女(権太泰栄室)
女(小川正方室)、女(佐橋佳富室)

松平 信行(まつだいら のぶゆき)は、江戸時代中期から後期の旗本寄合)。堅綱大河内松平家6代。石高は1000石。

生涯[編集]

延享3年(1746年)に旗本・関盛時の次男として江戸で生まれる。松平信成の養子となり[1]明和6年(1769年)12月22日に初めて将軍家治御目見する。安永5年(1776年)9月11日に西丸小納戸となり、12月16日に布衣の着用を許される。安永8年(1779年)4月18日に寄合に列する。

安永9年(1780年)4月5日に家督を相続する。11月24日に徒頭寛政4年(1792年)9月25日に御先鉄砲頭、寛政8年(1796年)2月26日に小普請奉行となる。9月13日、従五位下淡路守に叙任される。享和2年(1802年)6月21日に勘定奉行(公事方)となる。文化9年(1812年)11月24日に西丸旗奉行となる。

文政4年(1821年)10月23日に死去した。享年76。

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 大河内松平家と関家は何重もの縁組で結ばれており、関盛時の父関永張大河内重綱の孫にあたる。