松平正貞

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松平正貞
時代 江戸時代中期
生誕 天和2年(1682年
死没 寛延2年1月29日1749年3月17日
別名 主膳(通称
戒名 雲興院殿龍峯玄門大居士
墓所 埼玉県新座市野火止の平林寺
官位 従五位下、織部正、河内守備中守、
備前
幕府 江戸幕府
上総大多喜藩
氏族 大河内松平家
父母 父:松平正久、母:中嶋氏
兄弟 正貞正佐正武正方
正室:戸田忠真の娘
久瑞
養子:正温養女(久瑞の娘・松平正温正室)

松平 正貞(まつだいら まささだ)は、江戸時代中期の大名上総大多喜藩の第2代藩主。大河内松平宗家4代。

生涯[編集]

天和2年(1682年)、初代藩主松平正久の長男として生まれる。元禄9年(1696年)12月22日、従五位下・織部正に叙任する。宝永2年(1705年)閏4月9日、河内守にあらため、9月25日には備中守を称した。享保5年(1720年)6月27日、5月に死去した父の跡を継ぐ。このとき、弟の正佐に新田2000石を分与して、別家を立てさせている。享保15年(1730年)3月15日、奏者番となる。延享3年(1743年)11月20日、備前守に改める。寛延2年(1749年)1月29日、前年冬に死去した嫡男・久瑞の後を追うように死去した。享年68。跡を養子の正温が継いだ。