御嵩駅
御嵩駅 | |
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観光案内所が入居する駅舎 | |
みたけ MITAKE | |
◄HM09 御嵩口 (0.6 km) | |
所在地 | 岐阜県可児郡御嵩町中2302-2 |
駅番号 | HM 10 |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 広見線 |
キロ程 | 22.3 km(犬山起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗降人員 -統計年度- |
1,012人/日 -2020年- |
開業年月日 | 1952年(昭和27年)4月1日 |
備考 |
* 無人駅(自動券売機 有) 駅集中管理システム未導入 管理駅:犬山 |
御嵩駅(みたけえき)は、岐阜県可児郡御嵩町中(なか)にある名古屋鉄道広見線の駅。駅番号はHM10。同線の終着駅である。
概要
[編集]駅自体は御嵩町中(1955年の合併前は可児郡中町)にあるが、道路の反対側から住所が御嵩町御嵩に変わる。現在は普通電車が1時間あたり2本程度運行されているのみだが、昭和時代は新名古屋方面からの直通特急・高速・急行も運行されており、平成に入ってからも、朝と平日の夕方から夜に犬山・名古屋方面(主に中部国際空港ゆき)へ直通する電車(4両編成)があった。
2008年(平成20年)6月29日のダイヤ改正により、当駅から発車する電車はすべて2両編成の新可児止まりとなり、午前10時以降の運行列車はワンマン化された。なお、当駅ではmanaca(相互利用ICカード)は使用できない。
この駅は名鉄全駅で最も標高が高い場所に位置している(2001年以降。それ以前は谷汲駅や八百津駅、美濃駅など、この駅より標高の高い場所に位置する駅が存在した)。
歴史
[編集]当駅は御嵩町中心部への旅客専用駅として設けられたため、かつて運行していた亜炭の貨物列車は引き続き御嵩口駅(当駅開業前は御嵩駅と呼称)から発着した[1]。
- 1952年(昭和27年)4月1日:開業。
- 2008年(平成20年)6月29日:無人化[2]。
- 2009年(平成21年)
- 2011年(平成23年)5月15日:かも1グランプリin御嵩の開催に伴い、臨時に駅係員を配置。
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駅員配置時代の駅舎(2007年)
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無人化後閉鎖された窓口 (2008年)
駅構造
[編集]駅舎は三角屋根の木造平屋。無人化後、窓口跡は2009年4月から観光案内所として使われているが、2020年以降はコロナ禍により営業休止となっている。
行き止まりのプラットホーム1面1線で、4両の電車が停車できる無人駅である。かつては1面2線だった[3]。新可児駅まで交換設備はなく、留置線もないため、当駅へ来た電車は行き先を新可児行きに変更し、そのまま折り返して行く。
当駅での夜間滞泊は設定されていない。このため、始発列車は新可児方面から回送され、最終列車とその1本前の列車も、到着後に新可児駅まで回送されている。
犬山駅管理の無人駅。駅集中管理システムについては導入されていないため、自動券売機[4]は設置済みだが、自動改札機・自動精算機は設置されておらず、名鉄の他の無人駅とは別形式となっている。故障時などに使うインターホンは犬山駅につながる。 ただしワンマン運転の列車であっても新可児駅 - 当駅間の途中駅とは異なり、到着時にはすべてのドアが開けられる。無人化当初は切符回収箱はなかったが、折り返し間合い時間が短い運転士の負担を軽減するためもあり、現在は旧改札の柵に取り付けられた。ただし、到着前の車内放送では、先頭車両最前扉から下車する様に案内されるため、先頭車両最前扉から下車する旅客に対しては、車内で乗車券の回収を行う。
2010年10月15日発売のfengから出たADVゲーム「星空へ架かる橋」の原作ゲーム中に主人公が最初に転校して降り立つ山比古駅のモデルとなった。ただし、作品内容は御嵩町と直接関係があるものではない。
路線 | 行先 |
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HM 広見線(新可児〜御嵩)[5] | 新可児ゆき[6] |
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ホーム
-
駅名標
配線図
[編集] ← 新可児方面 |
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凡例 出典:[7] |
利用状況
[編集]現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
- 『名鉄120年:近20年のあゆみ』によると2013年度当時の1日平均乗降人員は1,311人であり、この値は名鉄全駅(275駅)中206位、広見線(11駅)中6位であった[8]。
- 『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は2,929人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中145位、広見線・八百津線(16駅)中5位であった[9]。
『岐阜県統計書』『御嵩町統計書』および名鉄広見線活性化協議会の資料、名鉄の移動等円滑化取組報告書によると、年間乗車人員、年間乗降人員、一日平均乗降人員の推移は以下の通りである。
年 | 年間統計 | 一日平均 乗降人員 | 備考 | |
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乗車人員 | 乗降人員 | |||
1955(昭和30)年度 | 431453 | 859251 | [10] | |
1956(昭和31)年度 | 459219 | 917818 | [11] | |
1957(昭和32)年度 | 507443 | 1011416 | [12] | |
1958(昭和33)年度 | 522872 | 1049951 | [13] | |
1959(昭和34)年度 | 520161 | 1038651 | [14] | |
1960(昭和35)年度 | 549713 | 1101123 | [15] | |
1961(昭和36)年度 | 548382 | 1098092 | [16] | |
1962(昭和37)年度 | 566909 | 1141323 | [17] | |
1963(昭和38)年度 | 579357 | 1177391 | [18] | |
1964(昭和39)年度 | 603932 | 1229688 | [19] | |
1965(昭和40)年度 | 633579 | 1278504 | [20] | |
1966(昭和41)年度 | 623398 | 1251372 | [21] | |
1967(昭和42)年度 | 635066 | 1274532 | [22] | |
1968(昭和43)年度 | 624305 | 1253422 | [23] | |
1969(昭和44)年度 | 636591 | [24] | ||
1970(昭和45)年度 | 642000 | [25] | ||
1971(昭和46)年度 | 612000 | [26] | ||
1972(昭和47)年度 | 617000 | [27] | ||
1973(昭和48)年度 | 1213000 | [28] | ||
1974(昭和49)年度 | 1290000 | [28] | ||
1975(昭和50)年度 | 1269000 | [28] | ||
1976(昭和51)年度 | 1245000 | [28] | ||
1977(昭和52)年度 | 1207000 | [28] | ||
1978(昭和53)年度 | 1245000 | [28] | ||
1979(昭和54)年度 | 1228000 | [28] | ||
1980(昭和55)年度 | 1202000 | [28] | ||
1981(昭和56)年度 | 1163000 | [28] | ||
1982(昭和57)年度 | 1063000 | [28] | ||
1983(昭和58)年度 | 1020000 | [28] | ||
1984(昭和59)年度 | 1009000 | [28] | ||
1985(昭和60)年度 | 1026000 | [28] | ||
1986(昭和61)年度 | 1011000 | [28] | ||
1987(昭和62)年度 | 1010000 | [28] | ||
1988(昭和63)年度 | 1046000 | [28] | ||
1989(平成元)年度 | 1066000 | [28] | ||
1990(平成 | 2)年度1101000 | [28] | ||
1991(平成 | 3)年度1085000 | [28] | ||
1992(平成 | 4)年度1053000 | 2929 | [28][9] | |
1993(平成 | 5)年度1019000 | [28] | ||
1994(平成 | 6)年度1004000 | [28] | ||
1995(平成 | 7)年度1005000 | [28] | ||
1996(平成 | 8)年度994000 | [28] | ||
1997(平成 | 9)年度926000 | [28] | ||
1998(平成10)年度 | 859000 | [28] | ||
1999(平成11)年度 | 789000 | [28] | ||
2000(平成12)年度 | 765000 | [28] | ||
2001(平成13)年度 | 758000 | [28] | ||
2002(平成14)年度 | 665000 | [28] | ||
2003(平成15)年度 | 607000 | [28] | ||
2004(平成16)年度 | 587000 | 1625 | [28][29] | |
2005(平成17)年度 | 568000 | 1576 | [28][29] | |
2006(平成18)年度 | 531000 | 1472 | [28][29] | |
2007(平成19)年度 | 531000 | 1471 | [28][29] | |
2008(平成20)年度 | 517000 | 1434 | [28][29] | |
2009(平成21)年度 | 492000 | 1365 | [28][29] | |
2010(平成22)年度 | 497000 | 1378 | [28][30] | |
2011(平成23)年度 | 478000 | 1322 | [28][30] | |
2012(平成24)年度 | 462000 | 1281 | [28][30] | |
2013(平成25)年度 | 473000 | 1311 | [28][30] | |
2014(平成26)年度 | 1250 | [30] | ||
2015(平成27)年度 | 1271 | [30] | ||
2016(平成28)年度 | 1270 | [30] | ||
2017(平成29)年度 | 1255 | [30] | ||
2018(平成30)年度 | ||||
2019(令和元)年度 | 1281 | [31] | ||
2020(令和 | 2)年度1012 | [32] | ||
2021(令和 | 3)年度1047 | [33] |
斜体の値は千人単位(千人未満四捨五入)
駅周辺
[編集]主な施設
[編集]周辺は御嵩町の中心部である。役場や裁判所へは徒歩10分程度。鬼岩公園へはタクシーかふれあい予約バスに乗り換え。
バス路線
[編集]- ふれあい予約バス(かみのごう線)
- 右回り5便・左回り4便を、それぞれ2時間間隔で運行。土休運休。利用30分前までの予約が必要。
- みたけE-COバス
- 2009年10月1日より日曜日を除き、みたけE-COバスと呼ばれる電車利用促進の無料バスが南山台やグリーンテクノみたけへ試験的に運行されている。
隣の駅
[編集]- 名古屋鉄道
- HM 広見線(新可児〜御嵩)
- 御嵩口駅(HM09) - 御嵩駅(HM10)
脚注
[編集]
- ^ 名古屋鉄道株式会社(編)『この駅この町 沿線散歩・名鉄100駅』名古屋鉄道広報宣伝部、1986年、79頁。
- ^ 寺田裕一『改訂新版 データブック日本の私鉄』ネコ・パブリッシング、2013年、258頁。ISBN 978-4777013364。
- ^ 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 下巻』アルファベータブックス、2019年、186頁。ISBN 978-4865988482。
- ^ 高額紙幣非対応。
- ^ 御嵩駅 - 電車のご利用案内、2019年3月23日閲覧
- ^ “御嵩(HM10)(みたけ) 路線一覧”. 名古屋鉄道. 2021年10月3日閲覧。
- ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第816号 2009年3月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、巻末折込「名古屋鉄道 配線略図」
- ^ 名鉄120年史編纂委員会事務局(編)『名鉄120年:近20年のあゆみ』名古屋鉄道、2014年、160-162頁。
- ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、651-653頁。
- ^ 岐阜県総務部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和30年』、岐阜県、1957年、10 運輸・通信
- ^ 岐阜県総務部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和31年』、岐阜県、1958年、11 運輸・通信
- ^ 岐阜県総務部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和32年』、岐阜県、1959年、12 運輸・通信
- ^ 岐阜県総務部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和33年』、岐阜県、1960年、12 運輸・通信
- ^ 岐阜県総務部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和34年』、岐阜県、1961年、12 運輸・通信
- ^ 岐阜県総務部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和35年』、岐阜県、1962年、12 運輸・通信
- ^ 岐阜県総務部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和36年』、岐阜県、1963年、12 運輸・通信
- ^ 岐阜県企画管理部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和37年』、岐阜県、1964年、12 運輸・通信
- ^ 岐阜県企画管理部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和38年』、岐阜県、1965年、12 運輸・通信
- ^ 岐阜県企画管理部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和39年』、岐阜県、1966年、272頁
- ^ 岐阜県企画管理部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和40年』、岐阜県、1967年、278頁
- ^ 岐阜県企画部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和41年』、岐阜県、1968年、258頁
- ^ 岐阜県企画部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和42年』、岐阜県、1969年、288頁
- ^ 岐阜県企画開発部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和43年』、岐阜県、1970年、280頁
- ^ 岐阜県企画開発部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和44年』、岐阜県、1971年、11 運輸・通信
- ^ 岐阜県企画開発部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和45年』、岐阜県、1972年、11 運輸・通信
- ^ 岐阜県企画部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和46年』、岐阜県、1973年、282頁
- ^ 岐阜県企画部統計課(編)『岐阜県統計書 昭和48年』、岐阜県、1974年、11 運輸・通信
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao “御嵩町統計書 15-1:名古屋鉄道乗降客数の推移” (PDF). 御嵩町. 2021年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月6日閲覧。
- ^ a b c d e f “第2回名鉄広見線活性化協議会 会議資料2” (PDF). 名鉄広見線活性化協議会. 2021年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “第28回名鉄広見線活性化協議会 資料一式” (PDF). 名鉄広見線活性化協議会. 2021年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月6日閲覧。
- ^ “令和元年度 移動等円滑化取組報告書(鉄道駅)” (PDF). 名古屋鉄道. 2020年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月6日閲覧。
- ^ “令和2年度 移動等円滑化取組報告書(鉄道駅)” (PDF). 名古屋鉄道. 2021年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月6日閲覧。
- ^ “令和3年度 移動等円滑化取組報告書(鉄道駅)” (PDF). 名古屋鉄道. 2022年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月6日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 御嵩駅 - 名古屋鉄道