専修大学北海道短期大学
表示
専修大学北海道短期大学 | |
---|---|
大学設置/創立 | 1968年 |
廃止 | 2017年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人専修大学 |
本部所在地 | 北海道美唄市字美唄1610-1 |
学部 |
みどりの総合科学科 商経社会総合学科 |
研究科 |
環境システム専攻 農業科学専攻 園芸緑地学専攻 |
専修大学北海道短期大学(せんしゅうだいがくほっかいどうたんきだいがく、英語: Hokkaido College, Senshu University)は、北海道美唄市字美唄1610-1に本部を置いていた日本の私立大学である。1968年に設置され、2017年に廃止された。大学の略称は専北短、(法人内で)北短(ほくたん)。2012年度をもって閉校となった。閉校後、校舎・敷地等はディスカバリー有限責任事業組合が買取り、同北海道事業所として使用されている[1]。
概観
[編集]前史
[編集]- 1964年8月に専修大学北海道校友会総会の席上で、北海道在住の卒業生から分校を誘致して欲しいとの強い要望があり、この総会には元北海道開発庁長官だった川島正次郎ら大学首脳陣も出席していたため、北海道にて開学を決定する[2]。
- 農業を主軸とする美唄市は、農業従事者不足を解消するため、大学の誘致に積極的であった。また、日本の有数の産炭地として三井美唄炭鉱が廃坑し、代替振興策として大学誘致に伴い企業等も誘致を強く希求。1964年より学校法人専修大学が分校を北海道に設置する構想を察知した美唄市幹部は、再三に渡って全市をあげて学校法人専修大学に対し、強く要望した。これに対し、大学当局も農工業従事者養成する学部設置に動いた。美唄市では、市有地を10万坪を寄付し、これによって短期大学設立に至った[3]。
大学全体
[編集]- 学校法人専修大学により専修大学美唄農工短期大学として1968年に設置された。
- かつては 5 学科を有する総合短期大学だったが、学科再編により 2 学科になった。
- 法人の本部がある専修大学神田キャンパス内に「専修大学北海道短期大学東京事務所」があった(その後、「石巻専修大学・専修大学北海道短期大学東京事務所」に改組)。
建学の精神(校訓・理念・学是)
[編集]- 専修大学北海道短期大学における建学の精神は「国家・社会に対する報恩奉仕」となっている。
教育および研究
[編集]- 専修大学北海道短期大学には商業・経済系の専門科目や日本全国でも数少ない農業系のカリキュラムがある。
学風および特色
[編集]- 専修大学北海道短期大学は、1968年の開道100年という節目の年を記念に、学校法人専修大学により設置された短大となっている。
- 男女共学であるが、旧来より男子学生の割合の方が多い。
- かつて、土木科・造園林学科其々を卒業後、相互の学科の2年次に編入し 3年間で2学科を勉強するという 「3年2学科制度」が設置されていた。
- 土木科、農業機械科、造園林学科(後のみどりの総合科学科)では、玉掛け・フォークリフト運転者・クレーン運転士など数多くの資格を在学生に取得させていた。
- キャンパス内にスキー場・ロッジ・リフトがあり、地域住民に開放されていた。構内に唯一スキー場がある大学といわれていた[4]。
- 定期試験制度を行わず、授業中のテストや、レポート、ゼミナール討論といった日頃の授業や学習から多面的に評価しているところに特色がある。
- 「学華」(短期大学の花)として、ほおのきを選んでいたことがある。このことから、教員の著作が「ほおのき文庫」と名づけられ、閉学後は専修大学図書館が一括管理をしている。
沿革
[編集]- 1967年(昭和42年) - 学校法人専修大学理事会、評議委員会で「専修大学美唄農工短期大学」の設置が決まる
- 1968年(昭和43年)
- 4月 - 専修大学美唄農工短期大学(せんしゅうだいがくびばいのうこうたんきだいがく)として開学。農業機械科、農業土木科、農業経営科を設置
- 6月 - 開学式を挙行
- 1972年(昭和47年) - 土木科、商科の設置認可
- 1973年(昭和48年)4月 - 専修大学北海道短期大学に名称変更。土木科、商科を設置。農業土木科を廃止。農業経営科を学生募集停止
- 1974年(昭和49年) - 農業経営科を廃止
- 1976年(昭和51年)4月 - 専攻科(土木工学専攻、農業機械専攻)の設置認可・設置
- 1977年(昭和52年) - 創立10周年記念式典を挙行
- 1983年(昭和58年)
- 1986年(昭和61年) - 短期大学後援会が発足
- 1987年(昭和62年) - 環境科学研究所を設置
- 1987年(昭和62年) - 創立20周年記念式典を挙行。環境科学研究所を設置
- 1990年(平成2年) - 社会人聴講生制度を開設。
- 1991年(平成3年) - リフト完備型のスキー場を開設[7]
- 1992年(平成4年)4月 - 専攻科に造園林学専攻設置認可・設置
- 1993年(平成5年) - 創立25周年記念式典を挙行
- 1995年(平成7年) - 社会人聴講生制度を廃止。科目等履修生制度を開設
- 2003年(平成15年)4月 - 土木科を環境システム科に、農業機械科を農業科学科に、造園林学科を園芸緑地科に改組
- 2005年(平成17年)4月 - 専攻科の土木専攻を環境システム学専攻に、農業機械専攻を農業科学専攻に、造園林学専攻を園芸緑地学専攻に改組
- 2006年(平成18年)4月 - 農業機械科・土木科・造園林学科をみどりの総合科学科に、商科・経済科を商経社会総合学科に改組。環境科学研究所を地域総合科学研究センターに改組
- 2010年(平成22年)4月23日 - 2011年度以降の学生募集停止を発表。2011年度をもって閉校となる予定であったが、学生が在籍していたことから2012年度も授業等を実施
- 2013年(平成25年)
- 2016年(平成28年)10月 - 専修大学北海道短期大学記念碑を建碑
- 2017年(平成29年)4月19日 - 廃止[10]。
基礎データ
[編集]所在地
[編集]- 本部キャンパス(北海道美唄市字美唄1610-1)
象徴
[編集]- 専修大学北海道短期大学のカレッジマークは専修大学と同じものとなっている。
教育および研究
[編集]組織
[編集]学科
[編集]- みどりの総合科学科
- 商経社会総合学科
専攻科
[編集]- 環境システム専攻
- 農業科学専攻
- 園芸緑地学専攻
別科
[編集]- なし
過去の学科体制
[編集]- 農業土木科
- 農業経営科
- 土木科
- 農業機械科
- 造園林学科
- 環境システム科
- 農業科学科
- 商科
- 園芸緑地科
- 経済科
取得資格について
[編集]附属機関
[編集]- 地域総合科学研究センター
研究
[編集]- 地域総合科学研究センターにて各教員の専門分野に関する研究を支援している。当初は環境科学に特化していたが、この中には、まちづくりや福祉、農業、環境保全、エネルギーなど、全国で唯一の総合短期大学にふさわしい地域に密着したテーマが設定されている。その他、学生教育の工夫改善に関するテーマなどもある。
- 「地域総合科学研究センター報告」がある。
学生生活
[編集]部活動・クラブ活動・サークル活動
[編集]- 専修大学北海道短期大学のクラブ活動
- 体育系:陸上競技・柔道・スキー・軟式野球ほか
学園祭
[編集]- 専修大学北海道短期大学の学園祭は「北鳳祭」と呼ばれ毎年、概ね6月に行われていた。学園祭では養牛を解体し、丸焼きにした焼肉パーティーが一般市民にも開放され行われていたといい、学長以下教職員も参加していた[11]。
スポーツ
[編集]- 柔道部が盛んで、正力松太郎杯北海道学生柔道体重別選手権大会の女子48Kg以下級で優勝した実績がある。
- 軟式野球部は、2007年春季リーグの全日本大学軟式野球選手権大会道予選で準優勝した。
- 硬式野球部は、1999年札幌学生野球リーグ1部で活躍。
大学関係者と組織
[編集]大学関係者一覧
[編集]プロジェクト:大学/人物一覧記事についての編集方針(ガイドライン)「記載する人物」により、単独記事のない人物(赤リンクまたはリンクなし)は掲載禁止となっています。記事のある人物のみ追加してください。(2021年12月) |
大学関係者
[編集]- 相馬勝夫:初代学長
- 山田忍:2代学長
- 吉田富穂:3代学長
- 正富宏之:4代学長、山科芳麿賞受賞者
- 泉武夫:6代学長
- 新家憲:7代学長
- 矢野建一:10代学長
- 俵浩三(造園林学科名誉教授)
- 相田慎一(経済科教授)
- 小酒井正和(商経社会総合学科准教授)
- 河西勝(専修大学美唄農工短期大学時代の講師)
- 工藤英一(客員教授)
- 岡村俊民(客員教授)
- 大谷俊昭(客員教授)
- 山口甲(客員教授)
出身者
[編集]施設
[編集]キャンパス
[編集]- 交通アクセス:
- 設備:駆動実習棟・セベック会館[12]・体育館・図書館・実習室・大食堂・研究室・相馬記念会館[13]・スキー場・ロッジほか専大ファームなどがある。キャンパスの総面積は1,230,000m2。
対外関係
[編集]地方自治体との協定
[編集]- 美唄市と地域協定連携を締結している。
系列校
[編集]社会との関わり
[編集]- 「美唄歌舞裸(かぶら)祭り」という地域のイベントに参加していた。
- 1981年に中国の農業機械研究者が本学に研究留学。以来交流が続き[14]、その後、中国の江沢民元国家主席と会見したことがある。
- 創立30周年を迎えた1998年には、美唄市長らを迎えて「創立30周年記念の植樹」を行ったことがある。
卒業後の進路について
[編集]就職について
[編集]- 農業機械科:農業機械メーカーや農業自営業などの就職者が多いものとなっていた。
- 土木科:建設業への就職者が割合として多いものとなっていた。
- 造園林学科:造園・建設業への就職者が多いものとなっていた。
- 商科:卸売・小売・サービス業への就職者が多いものとなっていた。
- 経済科:卸売・小売・サービス業への就職者が多いものとなっていた。
編入学・進学実績
[編集]脚注
[編集]- ^ 美唄の旧専修大道短大がスポーツ施設や新薬研究拠点に2020年8月9日閲覧。
- ^ 専修大学百年史編さん委員会『専修大学百年史 下巻』1981、p1535~1536参照
- ^ 美唄市史編さん委員会『美唄市史』1970、p811参照
- ^ 『専修大学120年』1999.12.15、p124参照
- ^ 造園林学科の設置時の学生数は男子27であった
- ^ 経済科の設置時の学生数は71(うち女子3)であった
- ^ なお、開設当初より一般市民にも開放。『専修大学115年』1995.8.20、p95参照
- ^ “専修大学北海道短期大学卒業生の皆さまへ”. 専修大学北海道短期大学. 2013年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月9日閲覧。
- ^ “専修大学北海道短期大学閉学式の御案内”. 専修大学北海道短期大学. 2013年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月17日閲覧。
- ^ “専修大学北海道短期大学(平成29年4月廃止)”. 専修大学 2019年6月6日閲覧。
- ^ 『専修大学115年』1995.8.20、p95参照
- ^ 学生会館として建設。専修のS・美唄のB・農工のAI・カレッジのCのアルファベットの頭文字をとって命名した(専修大学百年史編さん委員会『専修大学百年史 下巻』1981、p1541~1542参照)
- ^ 当短大の初代学長にあたる「相馬勝夫」に因む。また、相馬勝夫が私財を投じて教職員宿舎として建設(専修大学百年史編さん委員会『専修大学百年史 下巻』1981、p1538参照)
- ^ 『専修大学120年』1999.12.15、p124参照
参考文献
[編集]- 『全国学校総覧』
- 『短期大学一覧』
- 『日本の私立短期大学』(日本私立短期大学協会発行:1980年)
- 『進学年鑑』(『私大コース』シリーズ別冊)
- 『全国短期大学高等専門学校一覧』(文部省高等教育局技術教育課監修)
- 『短期大学教育』第49号(日本私立短期大学協会発行:1992年)
- 『短大蛍雪』(全国短大&専修・各種学校受験年鑑シリーズ。旺文社)
- 『全国短期大学受験要覧』(廣潤社)
- 『全国短期大学案内』(教学社)
- 『全国短期大学受験案内』(晶文社)
- 『全国短期大学案内』(梧桐書院)
- 『短大蛍雪』(2000年5月臨時増刊。旺文社)
- 『専修大学北海道短期大学』入学案内小冊子
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 専修大学北海道短期大学(平成23年度より学生募集停止) - ウェイバックマシン(2014年5月31日アーカイブ分)