安井大吉

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安井 大吉(やすい だいきち、1891年2月4日[1] - 1968年8月17日[2])は、日本政治家衆議院議員(1期)。浦和市長(1期)。旧姓、花沢[3]

来歴[編集]

静岡県出身[3][注釈 1]日本大学法学部で学ぶ[2]岐阜県羽島郡[2]同県地方課長、庶務課長[2]東京都区政課長、財政課長、厚生局長、生活局長を歴任し[2]1942年から1944年まで第4代浦和市長を務める[1][2]

戦後の1953年、時の首相吉田茂予算委員会での発言に対する懲罰動議が可決されたため、可決の原因となった広川弘禅(広川は鳩山一郎三木武吉らに同調し採決を欠席、のち内閣不信任案の可決、解散(バカヤロー解散)に繋がる)の対立候補として第26回衆議院議員総選挙東京3区から自由党公認で立候補して当選した(広川は分党派自由党から立候補し、落選)[4]。次の1955年第27回衆議院議員総選挙で落選した(逆に対立候補の広川は日本民主党から立候補し、当選)[4]。以後の立候補はない。

この他大洋商事社長などを務めた[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』667頁では「東京都出身」と記載。

出典[編集]

  1. ^ a b 『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、708頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』667頁。
  3. ^ a b 『大衆人事録』第14版、東京篇、1022頁。
  4. ^ a b 『朝日選挙大観』480頁。

参考文献[編集]

  • 『大衆人事録』第14版、東京篇、帝国秘密探偵社、1942年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
公職
先代
相川宗次郎
浦和市旗
浦和市旗
埼玉県旧浦和市長

1942年 - 1944年
次代
高橋泰雄