コンテンツにスキップ

伊藤泰憲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊藤 泰憲
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県久居市(現:津市
生年月日 (1952-09-25) 1952年9月25日(72歳)
身長
体重
178 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1970年 ドラフト5位
初出場 1973年5月29日
最終出場 1981年4月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

伊藤 泰憲(いとう やすのり、1952年9月25日 - )は、三重県久居市(現:津市[1]出身の元プロ野球選手内野手外野手)。右投右打。

来歴・人物

[編集]

三重高校では、1年生の時から1968年1969年の甲子園に控え外野手として出場。3年生となった翌1970年春の甲子園には左翼手として出場し、大会第1号本塁打を放つ。この大会では準々決勝に進出するが、この大会に優勝した箕島高のエース島本講平に抑えられ敗退[2]。高校同期に宮本四郎、1年下に水谷新太郎がいる。

同年のドラフト5位で中日入団[1]1972年にはチームメイトの三沢淳と共にジュニアオールスターに出場、本塁打を放つ。1974年ウエスタン・リーグで本塁打王と打点王の2冠を獲得[1]、長距離打者として期待されたが二軍暮らしが長かった。しかし徐々に力をつけ1976年には73試合に出場、右の代打の切り札として起用された。1978年には一塁手、外野手として41試合に先発出場、うち5試合には五番打者に抜擢される。1979年には打率.284の好記録を残した。1980年は主に三塁手として起用されるが、打撃面で低迷。同年オフに自由契約となり南海に移籍[1]。ここでは活躍の場がなく他球団のテストを受けるも1981年限りで現役引退[1]

現在は名古屋市昭和区御器所でスポーツ店「スポーツ35」を営む。また少年野球チーム「東名古屋スターズ」監督も務める。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1973 中日 3 5 5 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .400 .400 .400 .800
1974 13 15 12 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 2 0 1 7 0 .083 .267 .083 .350
1975 4 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
1976 73 65 57 7 11 3 0 5 29 11 0 0 1 0 6 0 1 21 2 .193 .281 .509 .790
1977 58 56 47 4 9 2 0 1 14 4 0 0 0 1 8 2 0 12 0 .191 .304 .298 .601
1978 93 181 157 19 34 4 2 6 60 12 2 1 1 0 22 1 1 47 6 .217 .317 .382 .699
1979 56 91 81 14 23 4 3 3 42 10 0 2 0 0 9 3 1 22 0 .284 .363 .519 .881
1980 40 71 67 7 14 2 1 0 18 4 0 0 0 0 2 0 2 12 3 .209 .254 .269 .522
1981 南海 11 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:9年 351 490 432 52 94 15 6 15 166 41 2 4 2 1 49 6 6 124 11 .218 .305 .384 .690

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 35 (1971年 - 1980年)
  • 50 (1981年)

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、56ページ
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年

外部リンク

[編集]