テリー・チャイムズ
テリー・チャイムズ Terry Chimes | |
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生誕 | 1956年7月5日(68歳)[要出典]イングランド - ケント州ブロムリー |
出身地 | イングランド - ロンドン、ステップニー |
ジャンル | パンク・ロック、ヘヴィメタル、グラム・パンク、ロックンロール |
職業 | ミュージシャン、ドラマー、カイロプラクター |
担当楽器 | ドラムス、パーカッション |
活動期間 | 1976 – |
共同作業者 | ザ・クラッシュ、ジョニー・サンダース & ザ・ハートブレイカーズ、カウボーイズ・インターナショナル、ジェネレーションX、ロンドン・カウボーイズ、ハノイ・ロックス、ザ・チェリー・ボムズ、The Wyrd Things[1]、ブラック・サバス 、The Crunch |
テリー・チャイムズ (Terry Chimes、1956年7月5日 - )はイギリス、ロンドン・ステップニー出身のドラマー。パンク・ロックバンド ザ・クラッシュの初期メンバーである。1976年7月から11月までと1977年1月から4月にクラッシュに在籍。1982年5月から1983年2月にも、再度在籍した。1987年10月から12月と1988年5月には、ブラック・サバスのツアーにも参加している。
1994年からは、エセックスでカイロプラクティックを学んだ。
ザ・クラッシュ
[編集]チャイムズはミック・ジョーンズ、ポール・シムノンを擁するポストパンクバンド「ロンドンSS」のメンバーだった。この二人と彼は、ジョー・ストラマー、キース・レヴィンと組み、ザ・クラッシュを結成した。
チャイムズとレヴィンはその後バンドを去ったが、チャイムズはバンド名と同名のアルバム『The Clash (日本語題:白い暴動)』のレコーディングのため呼び戻された。このアルバムで、彼は「トーリー・クライムス (Tory Crimes)」とクレジットされている。アルバムがリリースされた後再びバンドを離れ、かわりにトッパー・ヒードンがその座についた。
1982年、ヒードンがドラッグ問題で解雇され、チャイムズはアメリカでのザ・フーの前座としてのツアーと、その後のイギリスツアーのために再参加。シングル「ロック・ザ・カスバ」のミュージックビデオにも登場している。
ザ・クラッシュ脱退後、チャイムズは1977年と1984年に短期的にジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ、1979年から1980年にはカウボーイズ・インターナショナル/ジェネレーションX、1982年にはロンドン・カウボーイズ、1985年にはハノイ・ロックス、1986年から1987年にはチェリー・ボムズ(元ハノイ・ロックスのアンディ・マッコイとナスティ・スーサイド、元シャム69/ワンダラーズ/ローズ・オブ・ザ・ニュー・チャーチのデイヴ・トレグナ)、The Wyrd Things、さらに1987年と1988年にはブラック・サバスのエターナル・アイドル・ツアーに参加した。
尚、1986年にはサマンサ・フォックスの「ドゥ・ヤ・ドゥ・ヤ (Wanna Please Me)」のミュージックビデオ[2]にチェリー・ボムズのナスティ・スーサイド、デイヴ・トレグナ、初期メンバーのティモ・カルティオと参加。更に1988年には、元PrimmersのCliff 'Skeats' Gravelleの企画ユニットであるCrash Clubの「Out of the Sky」のミュージックビデオ[3]にデイヴ・トレグナと参加している。
そして、1993年に日本でのみ発売されたLeslie McKeown's 70's Bay City Rollersのアルバム「Love Letter」[4]に参加した後、音楽業界の第一線から引退。カイロプラクティックの道を歩む。
現在
[編集]2003年、クラッシュのメンバーとしてロックの殿堂入りし、そこで彼はトッパー・ヒードンへの評価を述べた。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- The Crunchのfacebook[1]より
- Should I stay or should I go now? (2006年10月20日、BBC News Magazine)
- ブラック・サバス・オンライン:テリー・チャイムズ
- チャイムズ・カイロプラクティック