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GKデザイングループ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社 ジイケイデザイン機構
GK Design Group, Inc.
種類 株式会社
市場情報 未上場
略称 GKデザイン, GK
本社所在地 日本の旗 日本
171-0033
東京都豊島区高田3丁目30-14
山愛ビル目白ハイツ 2F
設立 1957年
業種 サービス業
法人番号 4013301004937
事業内容 デザインコンサルティング、デザイン業務、企画、調査等の受託
代表者 田中一雄CEO
資本金 5,000万円
主要子会社
関係する人物 榮久庵憲司(創設者)
外部リンク www.gk-design.co.jp
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GKデザイングループは、東京に所在する株式会社GKデザイン機構を中核とした、多領域のデザインファーム(分野および地域別の関連子会社)を抱える、企業グループである。東京の他に、京都広島ロサンゼルスアトランタアムステルダム、そして上海に拠点を持つ。 戦後日本デザインの概念を持ち込んだ会社であり、現代においてフリーランスデザイン会社として世界最大である。

概要

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1952年昭和27年)、創設者の榮久庵憲司東京藝術大学の6人のメンバーが「これからは生活の身の回りの道具をちゃんとデザインしていかなきゃいけない」と、GKの名の由来にもなった小池岩太郎助教授("GK"は"グループオブ小池"の頭文字)のもとでグループを結成したのが出発点[1]。 かれらの創作はドイツのバウハウスなど海外の動向に応えるものだったが、スローガンの「モノの民主化」「美の民主化」からわかるように、戦後日本をよりよい方向に立て直そうとする表現運動の側面も持っていた。[2]

1953年(昭和28年)東京で設立。東京芸術大学で教鞭を執っていた小池岩太郎を中心に、学生だった榮久庵憲司岩崎信治柴田献一伊東治次らで結成される。のちに小池岩太郎はGKの活動から身を引くが、榮久庵が中心となり世界でも数少ない総合的なデザイン・グループとして成長する。1957年(昭和32年)会社組織に移行し、GKインダストリアルデザイン研究所となる。

発足時から続くヤマハの楽器、家具、オーディオ、ヤマハ発動機のオートバイ、丸石自転車のデザインや、ロングセラー商品として戦後日本デザインの傑作の一つに挙げられるキッコーマン醤油瓶1960年)、大阪万博1970年)の環境デザインなどを手がける。

1980年代より分社化を進め,製品デザインの企画デザインを行うGKインダストリアルデザイン、環境デザイン等を行うGK設計、オートバイやスポーツ・レジャー製品等のデザインなどを扱うGKダイナミックスパッケージ・デザインやCI等を行うGKグラフィックスなど,数社に分れる。

地域拠点は、京都にGK京都、広島にGKデザイン総研広島、海外拠点にロサンゼルスアトランタアムステルダム上海がある。

沿革

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1950 - 1959 GKの誕生

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戦後の荒廃の中で生活の復元を求めた50年代。1952年「工芸にかわるインダストリアルデザインを」と唱えた東京藝術大学の学生グループが、担当教官・小池岩太郎助教授の名を冠するGroup of Koike=GKを称し、活動を始めた。「モノの民主化」「美の民主化」を標榜し、 デザインの道を歩み始めた。 1957年、GKインダストリアルデザイン研究所を設立。

1960 - 1969 GKの創世記

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1960年「世界デザイン会議」の開催と相まって「メタボリズム運動」が立ち上がる。建築界に興った「メタボリズム運動」に榮久庵憲司がデザイナーとして参画したことが、「日本万国博覧会 EXPO'70」でストリート・ファニチュアと呼ばれる領域の確立に繋がり、専門分野を超えてデザインの領域を広げることとなった。 また、GKは「道具論」を基軸に様々な提案を携え参加。 これを機に「蘇生する家具」「核住居」「装置広場」「都市住居」などの提案による「道具論」の実践的研究がスタートする。行政が国土・地域開発に力を注ぐ一方、 企業は、新製品開発にこぞってその優を競い始めた。 GKもそれらに対してデザイン活動の幅を徐々に広げる。  

1970 – 1979 若き事業開発期

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70年代はGKが広く関わった大阪万博の開催で幕を開ける。 73年、アジア初の世界インダストリアルデザイン会議が京都で開催され、GKはその運営に積極的に参画した。 その成果を通じて改めて日本が世界から注目される中、GKは京都、ロサンゼルスと、地域拠点・海外拠点を開設する。

1980 – 1989 活発な新事業展開

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GKは「創造産業を目指して–toward Creative Industry」をスローガンに1985年「GK展’80」を開催する。 GKの新たな時代へ向けての方向を探すことがその目的であった。 GK各分野の新たな専門性を世に問うた「12のコンセプト」は、 時を越えて未だ新しく、 今日のGKの機軸となっている。国営事業の分割・民営化が進む中、GKグループは専門領域別の分社化を進める。 同時に、広島、アムステルダムなど地域拠点・海外拠点をさらに開設。 新事業展開を活発化し、現在に至るGKグループの骨格が形成されることとなる。  

1990 – 1999 激動の20世紀末

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GKは社会の構造変化に強いグループの構築を進め、新しい世紀に向けた、知的創造力の形成をめざす。 急速に伸展する中国にも拠点を置き、来るべきアジアの新時代に備える。1997年「道具の美学–since 1952」をテーマに「GKグループ展」を開催。 半世紀にわたる足跡を示すと共に、 新世紀への提案を広く世界へ問うた。 さらにはGKの基幹研究である「道具論」を学術的に展開すべく「道具学会」を設立。  

2000 – 21世紀の視点

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2002年「日本科学未来館」の展示デザインを通じ「デジタル時代」の中での道具文化の重要性を改めて解く。経済発展と歩みを共にした20世紀から、デザインは今、地球環境食料資源情報教育文化格差問題など、より複雑化する社会の中で、多くの課題に解決策を提示する使命を担っている。2012年GKは創立60周年を迎える。2013年には「榮久庵憲司とGKの世界 鳳が翔く」展を開催。GKデザイングループは、「組織的創造力」を基本とし、真の豊かさに向けての革新的回答を提供してゆく。 [3]

主な作品

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GKデザイングループ出身の著名人

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書籍

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  • 栄久庵祥二 (監訳), マイケル・アルホフ (編集), ティム・マーシャル (編集), GKデザイン機構 (翻訳)『現代デザイン事典―変容をつづけるデザインの諸相』鹿島出版会、2012年。ISBN 978-4306094208 
  • GKデザイングループGK史編纂委員会『GK Design 50years 1952‐2002―デザイン世界探求』六耀社、2002年。ISBN 978-4897374550 
  • GKインダストリアルデザイン研究所 (著), 川添 登 (著)『GKの世界―インダストリアルデザインの発想と展開』講談社、1983年。ISBN 978-4062001762 
  • GKインダストリアルデザイン研究所『インダストリアル・デザイン―マスプロ時代のグッド・デザイン』講談社、1965年。 
  • ウォルター・ドーウィン・ティーグ (著)『デザイン宣言―美と秩序の法則』GKインダストリアルデザイン研究所 (翻訳)、美術出版社、1966年。 

脚注

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  1. ^ 東洋経済ONLINE「鉄道デザイン」プロはここまで考えている GKデザイングループに直撃インタビュー
  2. ^ 「モノの民主化」から出発した60年の歩み――榮久庵憲司とGKの世界展 2013年8月13日
  3. ^ GKデザイングループの沿革(活動の概要)
  4. ^ 日本の現代デザイン(1)
  5. ^ a b c d e f 栄久庵 憲司 JAPAN DESIGNERS”. 2017年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月11日閲覧。
  6. ^ 世田谷美術館 企画展 「デザインが導く世界 榮久庵憲司とGKの世界 - 鳳が翔く(おおとりがゆく)」ご案内 ヤマハ
  7. ^ コスモ石油FAQ(よくあるご質問)”. 2014年5月13日閲覧。
  8. ^ a b c d AXIS Vol. 166. アクシス. (2013) 
  9. ^ a b インタビュー14: 栄久庵憲司氏
  10. ^ 校章について|福山市立大学
  11. ^ 大坂直樹 (2019年10月17日). “過剰装飾なし、JR東の観光列車は新基準になる?”. 東洋経済新報社. 2020年2月8日閲覧。
  12. ^ “宇都宮LRTのシンボルカラーが「黄色」のワケ”. 東洋経済オンライン. (2017年11月7日). https://toyokeizai.net/articles/-/195367?page=2 2024年7月16日閲覧。 
  13. ^ 芳賀・宇都宮LRT車両「ライトライン」お披露目式”. GKデザイン機構 (2021年6月8日). 2024年7月16日閲覧。

外部リンク

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