九条道実
九条 道実(くじょう みちざね、正字体:九條 道實、1870年1月16日(明治2年12月15日[1])- 1933年〈昭和8年〉1月19日[1])は、日本の宮内官、政治家、華族。貴族院公爵議員。
1896年(明治29年)以降、式部官、掌典、掌典次長、侍従、掌典長などを歴任した[2]。
生涯
左大臣・九条道孝の長男として生まれる[1][3]。1889年(明治22年)イギリスに留学[2]。父の死去に伴い、1906年(明治39年)1月23日、公爵を襲爵[1][4]、貴族院公爵議員に就任し[5]、火曜会に所属し死去するまで在任した[2]。
1908年(明治41年)1月1日、式部官に専任され、高等官四等(奏任官)に叙され[6]、年俸900円を下賜されると共に掌典次長心得も命じられた[7]。
1909年(明治42年)12月25日、掌典次長に任じられ、高等官三等に陞叙した[8]。12月26日、二級俸を賜った[9]。
1912年(大正元年)9月21日、侍従に転任[10]。11月8日、祭官長に任じられた[11][12]。
1913年(大正2年)7月30日、明治天皇一周年祭権殿の儀にて祭官長として祭詞を奏上した[13]。7月31日、一周年祭が終わったことにより祭官職が廃止され[14]、道実以下祭官職に奉仕した者ら[注 1]に下賜があった[15]。8月9日、掌典次長に還任した[16]。
1914年(大正3年)1月17日、神宮勅使として大正天皇に御祭文を賜り、「能く申して奉れ」と勅せられた[17]。
1915年(大正4年)12月27日、掌典長に昇任した[18]。
1920年(大正9年)11月1日、明治天皇・昭憲皇太后の御霊代が明治神宮に奉納され、これに勅使として参向した[19]。12月20日、大正天皇に召され午餐を賜った[20]。
1924年(大正13年)12月14日、親任官待遇となった[21]。
1929年(昭和4年)10月、第58回神宮式年遷宮に勅使として参向した[注 2]。
1933年(昭和8年)1月16日、妹の貞明皇后が道真邸に行啓した[23]。1月19日、薨去した[1][24]。1月21日、貴族院より弔辞が贈られた[原文 1]。1月24日、葬儀が執り行われ、勅使として侍従甘露寺受長が、皇后宮使として皇后宮事務官大金益次郎が、皇太后宮使として皇太后宮事務官清閑寺良貞がそれぞれ差遣され、玉串を奉奠した[25]。
栄典
位階
- 年月日不明 - 従五位
- 年月日不明 - 正五位
- 1894年(明治27年) 6月30日 - 従四位[26]
- 1897年(明治30年) 7月 3日 - 正四位[27]
- 1906年(明治39年) 1月31日 - 従三位[28]
- 1912年(明治45年) 2月10日 - 正三位[29]
- 1919年(大正 8年) 2月20日 - 従二位[30]
- 1927年(昭和 2年) 3月 1日 - 正二位[31]
- 1933年(昭和 8年) 1月19日 - 従一位[32]
勲章
系譜
出典がない限り、霞会館 1996a, pp. 537–538を参照している。
脚注
注釈
原文
- ^ 『官報』第1817号、昭和8年1月23日
貴族院ハ議員舊堂上華族保護資金調査委員會委員華族世襲財産審議會會員華族世襲財産審議會議長神社制度調査會委員掌典長從一位勲一等公爵九條道實君ノ長逝ヲ追悼シ恭シク弔辭ヲ呈ス
出典
- ^ a b c d e 霞会館 1996a, p. 537.
- ^ a b c 衆議院 & 参議院 1990, p. 8.
- ^ 人事興信所 1925, p. く2.
- ^ 『官報』第6768号 1906.
- ^ 『官報』第6769号 1906.
- ^ 『官報』第7354号 1908, p. 10, 「叙任及辞令」.
- ^ 『官報』第7354号 1908, p. 12, 「叙任及辞令」.
- ^ 『官報』第7954号 1909, p. 11, 「叙任及辞令」.
- ^ 『官報』第7954号 1909, p. 21, 「叙任及辞令」.
- ^ 『官報』第45号 1912, p. 2, 「叙任及辞令」.
- ^ 『官報』第84号 1912, p. 5, 「辞令」.
- ^ 『大正天皇実録補訂版』第四, p. 89, 大正元年十一月八日条.
- ^ 『大正天皇実録補訂版』第四, p. 155, 大正二年七月三十日.
- ^ 『官報』第302号 1913, p. 5, 「彙報(官庁事項):廃職」.
- ^ 『大正天皇実録補訂版』第四, p. 156, 大正二年七月三十一日.
- ^ 『官報』第310号 1913, p. 3, 「叙任及辞令」.
- ^ 『大正天皇実録補訂版』第四, p. 213, 大正三年一月十七日.
- ^ 『官報』第1023号 1915, p. 14, 「叙任及辞令」.
- ^ 『大正天皇実録補訂版』第五, p. 387, 大正九年十一月一日条.
- ^ 『大正天皇実録補訂版』第五, p. 392, 大正九年十二月二十日条.
- ^ 『官報』第3701号 1924, p. 10, 「叙任及辞令」.
- ^ 『官報』第817号 1929, p. 4.
- ^ 『官報』第1812号 1933, p. 11, 「宮廷録事:皇太后宮行啓」.
- ^ 『官報』第1818号 1933, p. 11, 「彙報(官庁事項):官吏薨去」.
- ^ 『官報』第1819号 1933, p. 5, 「宮廷録事:勅使皇后宮使皇太后宮使」.
- ^ 『官報』第3301号 1894, p. 25, 「叙任及辞令」.
- ^ 『官報』第4201号 1897, p. 4, 「叙任及辞令」.
- ^ 『官報』第6774号 1906, p. 12, 「叙任及辞令」.
- ^ 『官報』第8591号 1912, p. 2, 「叙任及辞令」.
- ^ 『官報』第1964号 1919, p. 6, 「叙任及辞令」.
- ^ 『官報』第57号 1927, p. 3, 「叙任及辞令」.
- ^ 『官報』第1815号 1933, 「叙任及辞令」.
- ^ 『官報』第1310号附録 1916, p. 2, 「辞令」.
- ^ 『官報』第1285号 1931, p. 2, 「叙任及辞令」.
- ^ 『官報』第1814号 1933, 「叙任及辞令」.
- ^ 霞会館 1996a, p. 670.
- ^ 霞会館 1996b, pp. 251–252.
- ^ 霞会館 1996a, p. 269.
- ^ 霞会館 1996a, p. 31.
- ^ 霞会館 1996a, p. 278.
参考文献
書籍
- 『人事興信録:第7版』人事興信所編、人事興信所、1925年。
- 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』衆議院・参議院編、大蔵省印刷局、1990年。
- 『平成新修旧華族家系大成:上巻』霞会館編、吉川弘文館、1996年。
- 『平成新修旧華族家系大成:下巻』霞会館編、吉川弘文館、1996年。
- 『大正天皇実録補訂版:第四』宮内省図書寮編修、ゆまに書房、2019年。ISBN 978-4-8433-5042-3。
- 『大正天皇実録補訂版:第五』宮内省図書寮編修、ゆまに書房、2020年。ISBN 978-4-8433-5043-0。
官報
- 『官報』第3301号、1894年7月2日。
- 『官報』第4201号、1894年7月5日。
- 『官報』第6768号、1906年1月24日。
- 『官報』第6769号、1906年1月25日。
- 『官報』第6774号、1906年2月1日。
- 『官報』第7354号、1908年1月4日。
- 『官報』第7954号、1909年12月27日。
- 『官報』第8591号、1912年2月12日。
- 『官報』第45号、1912年9月24日。
- 『官報』第84号、1912年11月9日。
- 『官報』第302号、1913年8月1日。
- 『官報』第310号、1913年8月11日。
- 『官報』第1023号、1915年12月28日。
- 『官報』第1023号、1915年12月28日。
- 『官報』第1310号、1916年12月13日。
- 『官報』第1964号、1919年2月21日。
- 『官報』第3701号、1924年12月22日。
- 『官報』第57号、1927年3月11日。
- 『官報』第817号、1929年9月17日。
- 『官報』第1285号、1931年4月15日。
- 『官報』第1815号、1933年1月20日。
- 『官報』第1818号、1933年1月24日。
- 『官報』第1819号、1933年1月25日。
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