豊田章男
とよだ あきお 豊田 章男 | |
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生誕 |
1956年5月3日(68歳) 愛知県名古屋市 |
国籍 | 日本 |
出身校 |
慶應義塾大学法学部卒業 バブソン大学大学院修了 |
職業 | トヨタ自動車社長 |
親戚 |
豊田佐吉(曾祖父) 豊田喜一郎(祖父) 豊田章一郎(父) 豊田達郎(叔父) |
豊田 章男(とよだ あきお、1956年5月3日 - )は、日本の実業家である。学位はMBA(バブソン大学・1982年)。トヨタ自動車株式会社代表取締役社長 (第6代、工販分離前から数えると第11代[1])。2012年5月より日本自動車工業会会長も兼務。自動車競技にも出場しており、その際の愛称・自称はモリゾウ。
ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング副社長、学校法人トヨタ東京整備学園理事長(第5代)などを歴任した。
経歴
生い立ち
豊田章一郎、博子の長男として愛知県名古屋市に生まれた。母博子は三井財閥一族の伊皿子家八代目、元三井銀行取締役三井高長の三女[2]。
愛知教育大学附属名古屋中学校、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部卒業。バブソン大学経営大学院終了(MBA)。
高校在学中には一時アメリカ合衆国ハワイ州に渡り、バラク・オバマらを輩出したプナホウスクールに学んだ[3]。慶應義塾大学法学部法律学科在学中にはホッケー部に在籍、ホッケー男子日本代表にも選出されている[3]。
大学卒業後は再び渡米。当初は語学習得を目的としていたが[3]、バブソン大学(マサチューセッツ州)のビジネススクールに入学、MBAを取得(1982年)した。
金融業界から自動車業界に
MBAを取得したのち、アメリカ合衆国の投資銀行(A. G. Becker & Co.)にて勤務した[4][5]。1984年、投資銀行を辞し、トヨタ自動車に入社した。トヨタ自動車への転職を決意した章男に対し、父である章一郎は「(章男を)部下に持ちたいと思う人間は今のトヨタにはいない」[6]と戒めたうえで、特別扱いはしないと言い渡された。そのため、章男はトヨタ自動車に対して履歴書を提出したうえで、一般の平社員として入社が認められた[6]。
入社後は、生産管理や国内営業などを担当した。係長から平社員への降格人事も経験したものの[6]、販売部門への「カイゼン」活動の横展開などを通じ、販売部門の改革を主導した[3]。1998年には、自動車関連の情報を総合的に提供するウェブサイト「GAZOO.com」を立ち上げた[7]。その後、アメリカ合衆国カリフォルニア州にて、ゼネラルモーターズとの合弁企業「NUMMI」の副社長を務めた。
経営者として
2000年に取締役、2002年に常務取締役、2003年に専務取締役、2005年に副社長に就任した。役員になってからは「GAZOO」や「G-BOOK」などの情報事業、中国やベトナムなどのアジア事業や北米事業を担当し、各地域の系列会社の社長や会長も歴任した。また、世界戦略として推進した「トヨタIMVプロジェクト」の立ち上げを統括したほか、調達部門のトップも歴任した。国内営業を担当する役員に就任して以来、各地の自動車ディーラーに対して飛び込み営業を自ら実施しており、各店に対し頭を下げて回るなど積極的な営業活動を行っている[8]。
2009年1月20日、豊田の社長昇任を含む人事案が、トヨタ自動車から正式発表された[9]。記者会見に臨んだ豊田は「自動車業界が二十一世紀も必要とされるのか、今が瀬戸際」[10]との危機感を表明した。この人事案は、同年6月の株主総会にて提案予定と発表された[9]。同年6月23日、株主総会により人事案が承認され、代表取締役社長に就任した。
2010年1月、新型プリウスをめぐる世界規模でのリコール問題が拡大するなか、ダボス会議への出席を優先し、表舞台での対応を佐々木真一副社長らに委ねた。結果として豊田が記者会見を開くことが遅れたため、一部メディアから批判を浴びた[11][12]。2月24日にはアメリカ合衆国下院監視・政府改革委員会の公聴会に出席し、リコール問題についての質疑応答が実施された。なお、豊田は英語で応じることもできたが、この時は正確に意味を伝えるためにあえて通訳を介して質問に答えた。
2013年から、レクサスインターナショナル、第1トヨタ、第2トヨタ、ユニットセンターの4つの事業ユニットを各副社長と分担する、事実上の4トップの新体制を開始し、豊田はレクサスインターナショナルを担当することになった[13]。
人物像
自身の最高傑作を問われたチャールズ・チャップリンが「ネクスト・ワン(次の作品だよ)」と答えた逸話に因み、「ネクスト・ワン」を座右の銘とする[4]。社長就任に際しては「現場に一番近い社長でありたい」[10]との抱負を語り「『現地現物』で一つずつ問題を解決したい」[10]との目標を掲げており、ディーラーである神奈川トヨタ自動車会長の上野健彦は「章男氏は現場をよく知り、言葉が通じやすい」[9]と内評を明らかにしている。
- モータースポーツ
- 豊田は以前から自動車開発時に試乗テストを担当するテストドライバーの業務を理解したいと考えており、「自動車会社の一員として、評価の仕方を教えてほしい」[14]と成瀬弘に頭を下げて指導を求めた。成瀬はトヨタグループの開発ドライバー数百名の中で頂点に立つマスターテストドライバーとして知られ、「トップガン」の異名を持つほどの技術の持ち主であり[15]、豊田は急ブレーキなどの訓練だけで2年をかけるなど成瀬の薫陶を受けた[16]。その結果、豊田自身も国際C級ライセンスを取得しており、クルマ好き、レース好きで知られるようになった。トヨタ・アルテッツァやレクサス・IS、レクサス・LF-Aに搭乗し、「モリゾウ」の名で度々ニュルブルクリンク24時間レースに出場している。排気量5000cc、423馬力の大出力エンジンを搭載するスポーツカー「レクサス・IS F」の開発にも自らかかわった。「クルマファンのみなさんに、最初に86を見ていただきたい!」[17]との思いから、富士スピードウェイで開催された「ガズーレーシングフェスティバル」にて、観客らの前で自らドライバーとしてサーキットを走行し、完成した「トヨタ・86」を披露した[17]。
- カーデザイン
- 豊田は営業・販売など非技術系の分野を手がけることが多かったが、技術畑にも関心が強い。前述の開発時の試乗テストに限らず、カーデザインについても熱心に取り組んでおり、モーターショーの際にはカーデザイナーとともにブースを巡って研鑽を積むのが恒例となっている[18]。モーターショーでのデザインの勉強について、豊田は「東京モーターショーも、『クルマの味づくり』に向けたトレーニングの大切な場所」[18]だと述べている。
- サッカー
- またサッカーにも造詣が深く、トヨタが事実上の親会社となっているJリーグ所属の名古屋グランパスの取締役を2010年7月より務めている。多忙の中でスタジアムに度々足を運んでおり、名古屋がJ1初優勝を決めた試合にもかけつけている[19]。
経営政策
- 販売への「カイゼン」の活用
- 「カイゼン」活動に代表されるトヨタ生産方式がトヨタ自動車の生産部門にて確立され始めたころ、生産部門だけでなく販売部門にも「カイゼン」を導入するよう主張した[3]。これらの活動を通じて販売部門の改革を働きかけ、納車時間の短縮などを主導した[3]。
- 情報通信技術の活用
- 情報通信技術の活用に積極的な姿勢を示している。
- インターネットを通じトヨタ自動車のみならず自動車に関連する情報を提供しようと、ウェブサイト「GAZOO.com」を立ち上げ、その拡大に力を注いだ[7]。また、車載端末を通じた情報提供を行うサービス「G-BOOK」の立ち上げにも尽力した[20]。これらの事業は立ち上げ当初から現在まで豊田が一貫して担当しており、ライフワークの一つとなっている。
- ハイブリッドカーの価格戦略
- 2009年に本田技研工業がハイブリッドカー「2代目インサイト」を発売すると、トヨタ自動車も同じくハイブリッドカー「3代目プリウス」を発売した。2代目プリウスより性能を向上させたにもかかわらず、トヨタ自動車は3代目プリウスの販売価格を大きく引き下げた。この価格戦略について、豊田は「間口を広げる」[21]狙いがあると述べており、価格の引き下げによって購買層の拡大を図ることを明らかにした。3代目プリウスは好評を博し、発売後1か月で約18万台を受注した[22]。なお、この受注数は、同時期のインサイトの受注数のおよそ10倍とされる[22]。
家族・親族
- 曽祖父 豊田佐吉(トヨタグループ創祖)
- 祖父 豊田喜一郎(トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)創業者)
- 祖母 二十子(元高島屋社長飯田新七の娘)
- 父 豊田章一郎(トヨタ自動車名誉会長)
- 母 博子(元三井銀行取締役三井高長の娘、元三井合名副社長三井高寛の孫)
- 妻 裕子(元三井物産副社長田淵守の娘)
系譜
- 早川隆著『日本の上流社会と閨閥』111頁によると、
- 「佐吉は幼い時から細工物に興味を持ち、大きくなると機織り機の動きに異常な関心を持ち、これを何とかモーターで動かす動力織機にできないものかと寝食を忘れて発明に没頭した。機織り機の動きを知るため、女性が織っているそばでじっと観察していて変人扱いされたという伝説が残っている。発明家というのは往々、変人扱いされるものだが明治三十六年、豊田式紡織機を完成させ、折からの紡績ブームに乗って殺到する注文をつぎつぎ引き受け、明治四十年、豊田紡織を創立、事業を発展させていった。」という。
- 神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 257-258頁によると、
- 「豊田家の閨閥だが、掲載した略系図でもわかるように、名の知れた家系のわりには華麗さがない。これは質実剛健を旨とする豊田家に似つかわしいといえる。あえていえば、喜一郎の妻・二十子がデパートの名門高島屋の創業一族で、四代目の飯田新七の長女[24] 。いま一つが章一郎の妻となったのが、三井財閥一族の伊皿子家八代目、元三井銀行取締役三井高長の三女・博子。この二家がきわだつ存在である。奇縁としては、略系図には載せきれなかったが、高島屋の飯田家を通して豊田家は日産自動車の創業者鮎川家とも親戚になっている。鮎川義介の妻・美代が飯田家の出身。つまり、トヨタ自動車と日産自動車の創業者の妻は、ともに飯田家の出身で従姉妹という間柄なのである。さらに政治家との繋(つな)がりを見ると、章一郎の妹・和可子が大昭和製紙の斉藤家に嫁ぎ、夫は元静岡県知事の斉藤滋与史である。また、章一郎の二人の子供は、長女の厚子が財務官僚の藤本進に嫁ぎ、長男の章男は昭和六十年に三井物産副社長田淵守の長女・裕子と結婚している。」という。
高橋半助 | 寿子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豊田幹司郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豊田英二 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豊田鉄郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豊田佐助 | 今井真三 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豊田周平 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豊田平吉 | 百子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
なを | 後藤正 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
静子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豊田伊吉 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豊田芳年 | 豊田幸吉郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
えい | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
児玉一造 | 豊田大吉郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
児玉貞次郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豊田利三郎 | 豊田信吉郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
浅子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
愛子 | 豊田禎吉郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豊田佐吉 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
清水満昭 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
清水康雄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
絢子 | 豊田達也 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豊田喜一郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豊田達郎 | 由美子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
斉藤了英 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
たみ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
斉藤滋与史 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
二十子 | 古川康中 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
飯田新七 | 和可子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
飯田新太郎 | 啓子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
西田赫 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
紀子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
百合子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藤本進 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豊田章一郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三井高寛 | 三井高長 | 厚子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
博子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
興子 | 豊田章男 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三井高棟 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三井高公 | 田淵守 | 裕子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
田淵実 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
- ^ トヨタ自動車75年史 歴代の会長・副会長・社長(含 受章歴) トヨタ公式サイト
- ^ 神一行 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』258頁
- ^ a b c d e f 黒「トヨタ自動車次期社長豊田章男氏(52)――現場に学び、車づくり熱く」『日本経済新聞』44182号、日本経済新聞社、2009年1月21日、13面
- ^ a b 田端素央「トヨタ社長に章男氏――あえて登板――危機感高める」『総合/トヨタ社長に章男氏 あえて登板 危機感高める - FujiSankei Business i./Bloomberg GLOBAL FINANCE』産経デジタル、2009年1月10日。
- ^ 水島愛一朗「豊田章男 トヨタ再生!」 - 日本実業出版社、2009
- ^ a b c 島田耕「トヨタ社長に豊田章男氏――手腕は未知数――不遇も知る4代目」『総合/トヨタ社長に豊田章男氏 手腕は未知数 不遇も知る4代目 - FujiSankei Business i./Bloomberg GLOBAL FINANCE』産経デジタル、2009年1月21日。
- ^ a b 豊田章男「GAZOO.comが目指すもの」『豊田副社長インタビュー「GAZOO.comが目指すもの」 | GAZOO.com』トヨタ自動車、2006年10月。
- ^ 早坂礼子「トヨタ社長に章男氏――『閑散』名古屋――期待の切り札」『総合/トヨタ社長に章男氏 「閑散」名古屋 期待の切り札 - FujiSankei Business i./Bloomberg GLOBAL FINANCE』産経デジタル、2009年1月10日。
- ^ a b c 「トヨタ、豊田章男社長を発表――『次の100年』へ進路託す――章一郎氏奥田氏取締役退任へ」『日本経済新聞』44182号、日本経済新聞社、2009年1月21日、3面。
- ^ a b c 「新社長ら一問一答――トヨタのDNA継ぐ」『日本経済新聞』44182号、日本経済新聞社、2009年1月21日、13面。
- ^ “トヨタ“こども社長”やっと会見 「空々しい」対応に批判噴出”. 夕刊フジ. (2010年2月6日) 2010年2月10日閲覧。
- ^ “トヨタ社長の顔見えぬ対応 リコール拡大「隠れている」印象”. SankeiBiz (ブルームバーグ). (2010年2月5日) 2010年2月10日閲覧。
- ^ トヨタ、4トップ新体制の誓い 東洋経済ONLINE 2013年7月1日
- ^ http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20090623k0000m070102000c.html
- ^ http://response.jp/issue/2006/1204/article88996_1.html
- ^ http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20090623k0000m070102000c.html
- ^ a b 「『お待たせしました。86登場です!」」『「お待たせしました。86登場です!」|ドライバーモリゾウのBLOG』2011年11月27日。
- ^ a b 「『東京モーターショー』でトレーニング」『「東京モーターショー」でトレーニング|ドライバーモリゾウのBLOG』2011年12月4日。
- ^ J1:第31節 湘南 vs 名古屋 - J's GOAL2010年11月20日
- ^ 「ひと:豊田章男さん=トヨタ自動車の次期社長に決定」『ひと:豊田章男さん=トヨタ自動車の次期社長に決定 - 毎日jp(毎日新聞)』毎日新聞社、2009年1月21日。
- ^ 「ハイブリッドが新車の1割に――エコカー主役へ快走――『電気』も登場――価格・性能を競う」『日本経済新聞』44336号、日本経済新聞社、2009年6月28日、6面。
- ^ a b 「新型プリウス、発売1カ月で受注18万台に――トヨタ自動車」『NIKKEI NET:クルマ』日本経済新聞社、2009年6月20日。
- ^ 『豊田市トヨタ町一番地』(読売新聞特別取材班、24頁より)
- ^ 『第五版・財界人物選集』(1939年)には、長女ではなく三女とある
参考文献
- 早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 (角川書店 1983年 111-115頁)
- 神一行 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 (角川書店 2002年 246-260頁)
- 読売新聞特別取材班 『豊田市トヨタ町一番地』 (新潮社 2003年)
関連項目
外部リンク
- 【寄稿】基本に立ち戻る時=豊田章男トヨタ社長 | ウォール・ストリート・ジャーナル日本版
- ドライバーモリゾウのBLOG
- 豊田副社長インタビュー「GAZOO.comが目指すもの」 | GAZOO.com
ビジネス | ||
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トヨタ自動車社長 第6代 : 2009年 - |
次代 (現職) |
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先代 笹津恭士 |
トヨタ東京整備学園理事長 第5代 : 2007年 - 2009年 |
次代 佐々木眞一 |