筒石駅

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筒石駅
駅舎(2017年7月)
つついし
Tsutsuishi
能生 (7.5 km)
(4.2 km) 名立
地図
青.筒石駅、灰.旧筒石駅跡
所在地 新潟県糸魚川市大字仙納字大谷928[2]
北緯37度7分39.4秒 東経138度3分38.2秒 / 北緯37.127611度 東経138.060611度 / 37.127611; 138.060611座標: 北緯37度7分39.4秒 東経138度3分38.2秒 / 北緯37.127611度 東経138.060611度 / 37.127611; 138.060611
所属事業者 えちごトキめき鉄道[1]
所属路線 日本海ひすいライン[1]
キロ程 40.9 km(市振起点)
から50.3 km
米原から335.4 km
電報略号 ツツ[1]
駅構造 地下駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度-
17人/日(降車客含まず)
-2021年-
開業年月日 1912年大正元年)12月16日*[1]
備考 無人駅
* 1969年昭和44年)9月29日に現在地へ移転。
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筒石駅(つついしえき)は、新潟県糸魚川市大字仙納(せんのう)字大谷にある、えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインである[1]

歴史[編集]

北陸本線のもっとも東側の区間は、直江津駅を起点として1911年明治44年)に起工され、同年7月1日名立駅まで、そして1912年大正元年)12月16日糸魚川駅まで開通した[3]。この糸魚川延長の際に筒石駅も開設された[4]。筒石の集落が積極的に駅の誘致運動をおこなったが、当時の村長が藤崎集落出身であったことから、筒石と藤崎の中間付近に駅が設置されることになった。また当時は磯部村に属していたことから、磯部駅との名前が提案されたが、群馬県内の信越本線磯部駅が既に存在していたため、筒石駅という名前が採用されることになった[5]1913年(大正2年)4月1日青海駅 - 糸魚川駅間の開通に伴って北陸本線が全通し、それまで信越線と呼ばれていた直江津 - 糸魚川間も北陸本線の一部となって[6]、当駅は北陸本線の駅となった。

開業してからは、豊漁になると貨車に魚箱を積み込むために婦人たちが列をなし、また高田方面へ行商に行く人たちで賑わっていた[5]。しかし当初から地すべりに悩まされる駅で、駅構内の線路が変形しホームまで土砂が押し寄せる事態が数度繰り返された[7]。こうした防災上の問題点、線路容量の逼迫から、1963年(昭和38年)6月14日に複線化ルートの調査が開始され[8]、結論として現在線の線増ではなく新線の建設と結論付けられた[9]

その後の詳細なルート選定に際し、当初筒石駅は付近がトンネルとなるためいずれの案でも廃止となる計画であったが、能生町内では筒石駅がなくなることへの反発が強く、1965年(昭和40年)に入り国鉄は筒石駅のトンネル内設置を決定[10]1969年(昭和44年)9月29日に新駅に移転[11]、10月1日付で書類上の貨物営業を廃止し、旅客駅となった[12]

1984年(昭和59年)2月1日には荷物の取扱を廃止し[7]、1987年(昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化が実施されると、北陸本線は西日本旅客鉄道(JR西日本)の所属となり、筒石駅もJR西日本に承継された[12]。1日の乗車客数は20人前後であったが、特殊な立地条件から監視要員を兼ねて、業務委託駅としてジェイアール西日本金沢メンテック(現:JR西日本金沢メンテック)の社員5名が交替で24時間、年中無休で常駐して窓口業務のほか列車到着ごとにホームでの安全確認や乗降客への案内、地上駅舎への連絡を行っていた(JR時代の管理元は糸魚川地域鉄道部)。また、普通列車の到着時は、必ず地上の駅員がホームまで降りて客の乗降に立ち会い、ホームから客が全員退去したことを確認していた[13]

2015年平成27年)3月14日北陸新幹線長野 - 金沢間開業に際して、並行在来線としてこの区間の北陸本線は経営分離され、筒石駅もえちごトキめき鉄道の所属となった[1][14]。2019年、1日の平均利用客数が20人前後と落ちこんでいることを受け、同年3月16日に無人駅となった[14][15][16]

年表[編集]

駅構造[編集]

筒石駅上りホーム(JR西日本時代)

駅舎は海抜約60メートルの地点に位置するが、上下線ともホームは全長11,353メートルの頸城トンネル内(海抜約20メートル)にある[1][16]。駅舎は鉄骨造平屋建て延べ床面積61.6平方メートルである[23]

トンネルの断面積を抑えながらプラットホームを設置する目的で、ホーム部分はトンネル片側面に幅2メートルの単式ホームを加えた特殊断面とした。これを上下線でずらして互い違いに配置する相対式ホーム(千鳥式ホーム)2面2線である[1]。直江津方面行きのホームが市振寄りに、金沢・富山方面行きのホームが直江津寄りにあり、どちらもホームの長さは140メートルある[24]分岐器絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。

駅舎の改札口からホームまでは、途中まで建設時の斜坑(筒石斜坑)を活用した階段で降りて行き[25]、途中で上りと下りそれぞれのホームへと分岐している。改札から下りホームまでは290段[1][14][26]176メートル[16]、同じく上りホームまでは280段[1][14][26]212メートルである[16]エスカレーターエレベーターは設置されていない[14][25]

列車が通過する際ホームは風穴のようになるため、風圧によって非常に強い風が吹き抜ける。このためホームと通路とは頑丈な引き戸で遮断されており、待合所もこの扉の内側にある[1][14]

のりば[編集]

ホーム 路線 方向 行先
西側 日本海ひすいライン 下り 直江津方面
東側 上り 糸魚川方面
  • 案内上ののりば番号は設定されていない。
地図
1.地上駅舎、2.地下通路、3.上下ホームへの分岐、4.上り待合室、5.地下ホーム

駅スタンプなど[編集]

JR時代には赤い地紋の青春18きっぷ(赤券)を発売していた[27][28]。特殊な駅構造を反映し、駅スタンプも「日本でも珍しいトンネル地下駅」であった。2007年(平成19年)4月からは入場券購入者に対し、絵はがき状の「入坑・入場証明書」を希望者に配布している[26]。これらはえちごトキめき鉄道移管後も無人化まで継続されていた。

無人化後は、来駅記念入場券を糸魚川駅能生駅直江津駅の窓口で販売している[16]

利用状況[編集]

2021年(令和3年)度の1日平均乗車人員17人である[29]

近年の1日平均乗車人員の推移は下記の通り[30][31][32]

年度 1日平均
乗車人員
2004年 68
2005年 67
2006年 62
2007年 57
2008年 59
2009年 60
2010年 49
2011年 46
2012年 42
2013年 39
2014年 37
2015年 29[33]
2016年 28[34]
2017年 23[35]
2018年 19[36]
2019年 15[37]
2020年 16[38]
2021年 17[39]

駅周辺[編集]

筒石駅の入口を示す看板(2016年3月)
北陸自動車道高架下より筒石漁港方面を望む

駅舎からしばらく曲がりくねった坂道を登ると数戸の人家がある。そこから北東方向に300メートルほど起伏のある道を進み、北陸自動車道高架をくぐったあたりで眼下には日本海が見えるようになる。そこからさらに北東方向へ下り坂を500メートルほど行った海辺に筒石の集落が開けている。

1969年(昭和44年)9月の移転前の筒石駅は集落から西に少々離れた海岸沿いにあり、跡地には石碑が建っている。

筒石の集落には小学校郵便局がある。また筒石の海辺には国道8号が所在する。

バス路線[編集]

「磯部小学校入口」停留所にて、下記の路線バスが発着する。

隣の駅[編集]

えちごトキめき鉄道
日本海ひすいライン
能生駅 - 筒石駅 - 名立駅

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 鉄道友の会新潟支部『新潟県鉄道全駅 増補改訂版』新潟日報事業社、2015年6月30日、246頁。ISBN 9784861326066 
  2. ^ 沿線ガイド(筒石駅)日本海ひすいライン|えちごトキメキ鉄道”. えちごトキメキ鉄道. 2020年5月2日閲覧。
  3. ^ 『能生町史 下巻』p.155
  4. ^ 『能生町史 下巻』pp.156 - 158
  5. ^ a b 『越後の停車場』p.148
  6. ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』1巻 p.161
  7. ^ a b c 『能生町史 下巻』p.159
  8. ^ 『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』pp.1 - 2
  9. ^ 『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』pp.7 - 8
  10. ^ 『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』pp.18 - 24
  11. ^ 『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』p.37
  12. ^ a b c 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』2巻 p.142
  13. ^ “笑顔が似合う不便なホーム 筒石駅(新潟県、JR北陸線)”. 朝日新聞デジタル. (2011年7月26日). http://www.asahi.com/travel/hitoekigatari/TKY201107250434.html 2019年1月24日閲覧。 
  14. ^ a b c d e f 地下40mの筒石駅「貸し切り」はいいのだが…”. 日刊スポーツ (2019年10月10日). 2019年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月24日閲覧。
  15. ^ a b 筒石駅の駅員無配置駅(無人駅)化について”. えちごトキめき鉄道 (2018年2月18日). 2018年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月18日閲覧。
  16. ^ a b c d e “筒石駅が3月16日から無人駅に トンネル内にある珍しい駅”. 上越タウンジャーナル. (2019年2月18日). https://www.joetsutj.com/articles/87848556 2021年2月7日閲覧。 
  17. ^ 大正元年12月13日鉄道院告示第51号(『官報』第112号、大正元年12月13日、印刷局)
  18. ^ 大正2年3月26日鉄道院告示第14号(『官報』第194号、大正2年3月26日、印刷局)
  19. ^ 写真『鉄道物語』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. ^ 『最近国有鉄道災害記録』鉄道省工務局 編 (鉄道技術者新聞社, 1936)
  21. ^ 祖田圭介「北陸本線の線路改良,駅構内配線の興味」『鉄道ピクトリアル』第59巻第8号(通巻821号)、鉄道図書刊行会、2009年8月1日、pp.15-23、ISSN 0040-4047 
  22. ^ 郡司武編、『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR13』(『週刊朝日百科』2009年(平成21年)10月11日号)[要ページ番号]、朝日新聞出版
  23. ^ 『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』p.618
  24. ^ 『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』p.614
  25. ^ a b “頸城トンネル内の筒石駅 閉ざされた異空間 地上に駅舎、ホームは地下40メートル/新潟”. 毎日新聞. (2018年8月10日). https://mainichi.jp/articles/20180810/ddl/k15/040/052000c 2019年1月24日閲覧。 
  26. ^ a b c 糸魚川市 鉄道だよりウラ 並行在来線沿線を巡る”. 糸魚川市. 2018年8月23日閲覧。
  27. ^ “地鳴り 青春18きっぷで楽しみな旅”. 北國新聞 (北國新聞社). (2002年7月5日) [要ページ番号]
  28. ^ “(ひとえきがたり)筒石駅 新潟県、JR北陸線 笑顔が似合う不便なホーム”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 5(夕刊be火曜3面). (2011年7月19日) 
  29. ^ えちごトキめき鉄道ご利用状況
  30. ^ 令和元年度統計いといがわ 第10章 運輸・通信” (PDF). 糸魚川市. 2020年4月29日閲覧。
  31. ^ 平成27年度統計いといがわ 第10章 運輸・通信” (PDF). 糸魚川市. 2015年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月29日閲覧。
  32. ^ 平成24年度統計いといがわ 第10章 運輸・通信” (PDF). 糸魚川市. 2013年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月29日閲覧。
  33. ^ 平成27年度の乗車状況”. えちごトキめき鉄道. 2016年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月17日閲覧。
  34. ^ 平成28年度の乗車状況”. えちごトキめき鉄道. 2017年11月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月17日閲覧。
  35. ^ 平成29年度の乗車状況”. えちごトキめき鉄道. 2019年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月17日閲覧。
  36. ^ 2018年度の乗車状況”. えちごトキめき鉄道. 2019年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月17日閲覧。
  37. ^ 2019年度の乗車状況”. えちごトキめき鉄道. 2020年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月17日閲覧。
  38. ^ 2020年度の乗車状況”. えちごトキめき鉄道. 2021年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月3日閲覧。
  39. ^ 2021年度の乗車状況”. えちごトキめき鉄道. 2022年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月8日閲覧。

参考文献[編集]

  • 能生町史編さん委員会 編『能生町史 下巻』能生町役場、1986年6月30日。 
  • 朝日新聞新潟支局 編『越後の停車場』朝日新聞社、1981年12月15日。 
  • 日本国有鉄道岐阜工事局 編『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』日本国有鉄道岐阜工事局、1970年3月25日。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]