石井朝夫
Tomoo Ishii | |
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基本情報 | |
名前 | 石井 朝夫 |
生年月日 | 1923年6月9日 |
没年月日 | 2022年1月24日(98歳没) |
身長 | 167 cm (5 ft 6 in) |
体重 | 65 kg (143 lb) |
国籍 |
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出身地 | 静岡県田方郡対島村富戸(現・伊東市富戸) |
経歴 | |
殿堂表彰者 | |
選出年 | 2014年 |
選出部門 | レジェンド |
石井 朝夫(いしい ともお、1923年6月9日 - 2022年1月24日)は、静岡県田方郡対島村富戸(現・伊東市富戸)出身のプロゴルファー。
経歴・人物[編集]
15歳でゴルフを始め、戦時中は徴用工として働いた。復員後は川奈ホテルGCに戻ったものの再雇用されず、路頭に迷った[1]。新橋でゴルフショップを経営していた松島杲三[2]に泣きつき、ショップの屋根裏に住まわせてもらい、食住の安定感を保ちながらプロゴルファーとして上を目指した[1]。30歳になった1953年に読売プロで初優勝を飾る。優勝賞金は30万円、2位が20万円で“ワンパット10万円のスリル”というキャッチフレーズが話題になったが、第1回は林由郎が勝ち、第2回に優勝した石井は賞金30万円の入った袋の封を切らずに松島の夫人に差し出した[1]。後に80歳を過ぎても松島が経営するゴルフ練習場で、お礼奉公と称してギャラなしでレッスンを担当している[1]。
1961年の第2回中日クラウンズではオービル・ムーディ( アメリカ合衆国)とのプレーオフを制して7年ぶりに優勝し、日本のゴルフ史上初めて優勝副賞に提供されたトヨタ・パブリカを獲得[3]。40歳になった1963年に実力が開花し、関東オープンと第1回日本シリーズで優勝。石井は4OBを含む7オーバー80の乱調で首位の橘田規に8打差の最悪スタートとなったが、2日目にコースレコードの5アンダー68で追い込み橘田に2打差の2位に急浮上[4]。千葉・紫に舞台を移した3日目に2アンダー70のベストスコアでトップに立つと、最終日も70のベストスコアで、終わってみれば2位に8打差の楽勝であった[4]。優勝賞金100万円と副賞の日産・セドリックを獲得したが、初日最下位からの"ゴボウ抜き優勝”という離れ業は後にも先にも、この時の石井だけである[4]。シンガポールオープンでアラン・ブルックス(
南アフリカ共和国)の2位[5]、香港オープンでは謝永郁(
中華民国)の2位に入る[6]。同年と1964年には2年連続でカナダカップ日本代表に選出され、団体では両年共に橘田とペアを組む。同年は団体でジャック・ニクラス&アーノルド・パーマー(
アメリカ合衆国)、セバスチャン・ミゲル&ラモン・ソタ(
スペイン)、ゲーリー・プレーヤー&レティーフ・ウォルトマン(南アフリカ)、アル・ボーディング&スタン・レオナルド(
カナダ)、ブルース・クランプトン&ブルース・デブリン(
オーストラリア)、ドナルド・スウェレンス&フローリー・ファンドンク(
ベルギー)、アルフォンソ・アンジェリーニ&オビディオ・ボロネージ(
イタリア)に次ぎ、ニール・コールズ&バーナード・ハント(
イングランド)、ブライアン・ハゲット&デイブ・トーマス(
ウェールズ)と並んで8位タイと健闘。個人でもニクラス、ミゲル、プレーヤー、ソタ、ボーディング、クランプトン、パーマー、チチ・ロドリゲス(
プエルトリコ)に次ぎ、ジャン・ガライアルド(
フランス)と並んで9位タイに入った。
1964年はニクラス&パーマー(アメリカ)、ロベルト・デ・ビセンツォ&レオポルド・ルイス( アルゼンチン)、デニス・ハッチンソン&プレーヤー(南アフリカ)、アンゲル・ミゲル&ソタ(スペイン)、アリス&ハント(イングランド)、テッド・マカレナ&ポール・スコデラー(
ハワイ)、ボーディング&ジョージ・クヌードソン(カナダ)に次ぐ8位に入った。1964年のキャピトルヒルズオープン(
フィリピン)でアジアサーキット日本人選手初優勝を飾ると、同年[7]と1965年[8]にはマレーシアオープン2連覇を達成。キャピトルヒルズオープンはピーター・トムソン(オーストラリア)と211(-2)の同点で最終ラウンドに入り、石井は最終ラウンド69(-2)を放ち、地元のベン・アルダとセレスティーノ・トゥゴットに勝った[9] [10]。トムソンは最終ラウンドで失敗し、284(E)でソロ4位でフィニッシュした[9]。マレーシアオープンは橘田がハゲット(ウェールズ)と並ぶ2位タイに入って日本人ワンツーとなり、1965年の同大会ではガイ・ウォルステンホルム(イングランド)と呂良煥(中華民国)を抑えた。
1966年はハロルド・ヘニング(南アフリカ)、トムソン、アルダに次ぐ3位で3連覇を逃す[11]。1967年にはタイランドオープンで郭吉雄(中華民国)、トニー・ジャックリン(イングランド)に勝利するなど[12]アジアサーキット通算4勝を挙げ、マスターズには1964年から1966年まで3年連続で招待されるなど、海外でも活躍。
シニアツアー入りしてからも数々とタイトルを獲得し、日本プロシニア(50歳以上)、日本プログランドシニア(60歳以上)、日本プロゴールドシニア(68歳以上)とすべてのカテゴリーで日本一に輝いている[13]。
1984年には日本プロスポーツ功労賞、1997年には日本プロスポーツ功労者文部大臣顕彰を受賞[13]。2014年、陳清波、杉原輝雄、岡本綾子と共に第3回日本プロゴルフ殿堂入りを果たす[14]。
主な優勝[編集]
レギュラー[編集]
- 1953年 - 読売プロ
- 1961年 - 中日クラウンズ
- 1963年 - 関東オープン ・ 日本シリーズ
- 1965年 - 関東オープン
- 1967年 - ゴールデンマッチ
- 1968年 - ゴールデンマッチ
- 1969年 - 西日本サーキット長崎
- 1971年 - 長野県オープン
シニア[編集]
- 1973年 - 関東プロシニア
- 1977年 - 日本プロシニア
- 1978年 - 関東プロシニア
- 1979年 - 関東プロシニア
- 1980年 - 関東プロシニア
- 1984年 - 日本プログランドシニア
- 1985年 - 日本プログランドシニア ・ 関東プログランドシニア
- 1986年 - 日本プログランドシニア ・ 関東プログランドシニア ・ ヤナセカップ
- 1987年 - ヤナセカップ
- 1988年 - 関東プログランドシニア
- 1989年 - 関東プログランドシニア
- 1990年 - 鳳凰カップスーパーシニア
- 1991年 - 日本プロゴールドシニア ・ 関東プロゴールドシニア ・ 日本プロゴールドシニアトーナメント
- 1992年 - 関東プロゴールドシニア
- 1994年 - 関東プロゴールドシニア
- 1997年 - 日本プロゴールドシニア
海外[編集]
- 1964年 - キャピトルヒルズオープン ・ マレーシアオープン
- 1965年 - マレーシアオープン
- 1967年 - タイランドオープン
海外メジャー選手権成績[編集]
大会 | 1964 | 1965 | 1966 |
---|---|---|---|
マスターズ | T40 | T26 | CUT |
DNP = 出場せず
CUT = ハーフウェイ・カット
T =順位タイ
黄色はトップ10入り。
脚注[編集]
- ^ a b c d Golferweb(74)プロの恩返し~賞金を差し出した石井(朝)の気質
- ^ 女子プロ育ての親、松島さん死去
- ^ 中日クラウンズ | CBCテレビ | クラウンズの歴史
- ^ a b c ゴルフ日本シリーズの歴史 第1回 – GOLF報知
- ^ “Brookes (9 under par) wins big golf”. The Straits Times (Singapore): p. 1. (1963年2月25日) 2020年3月3日閲覧。
- ^ “Yung Yo is new HK Open champ”. The Straits Times. Reuter (Singapore): p. 17. (1963年3月11日) 2020年3月3日閲覧。
- ^ “Ishii's Title”. The Straits Times (Singapore): p. 18. (1964年3月16日) 2020年3月7日閲覧。
- ^ “Malayan open crown to Ishii”. The Straits Times (Singapore): p. 19. (1965年3月15日) 2020年3月7日閲覧。
- ^ a b “Ishii's 69 for 280 Captures Manila Golf by Two Strokes”. The New York Times. (1964年3月2日) 2020年10月6日閲覧。
- ^ “Ishii wins 'Capitol'”. The Straits Times: p. 18. (1964年3月2日) 2020年10月6日閲覧。
- ^ “Henning triumphs”. The Straits Times (Singapore): p. 20. (1966年3月14日) 2020年3月8日閲覧。
- ^ “Ishii wins by four strokes”. The Straits Times (Singapore): p. 20. (1967年3月21日) 2020年3月12日閲覧。
- ^ a b 石井朝夫 | 日本プロゴルフ殿堂
- ^ 顕彰者紹介 | 日本プロゴルフ殿堂
- ^ 石井朝夫会員 訃報