新内駅
新内駅 | |
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2009年8月1日時点の様子 | |
にいない Niinai | |
(11.1 km) 新得► | |
所在地 | 北海道上川郡新得町新内西5線 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 根室本線 |
キロ程 | 127.7[2] km(滝川起点) |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1907年(明治40年)9月8日[3] |
廃止年月日 | 1966年(昭和41年)10月1日[3] |
備考 | 旧線廃止伴い廃駅となる。 |
新内駅(にいないえき)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)根室本線に存在した駅(廃駅)である。事務管理コードは▲110410[4]。
歴史
[編集]落合駅から狩勝信号場を経てこの新内までの線路は、狩勝峠をこえていたため景色がよく日本三大車窓の一つとされた。戦前から佐幌岳のスキー客などにも利用されていた。おもな取り扱い貨物は花崗岩、木材であった。
1966年(昭和41年)9月30日に落合から新狩勝トンネルを経て新得に至る新線が開業し、翌日の10月1日に旧線と共に廃駅となった。駅前には小規模な市街地があったが、新線の開通とともに消滅した。
年表
[編集]- 1907年(明治40年)9月8日 - 官設鉄道十勝線の落合・帯広間が開通。新内信号所として開設[3]。当分の間旅客貨物を取り扱わず[3]。
- 1909年(明治42年)12月15日 - 一般運輸業を開始し新内駅となる[3]。
- 1913年(大正2年)12月10日 - 滝川駅から釧路駅までが釧路本線となったため当駅も釧路本線の駅となる。
- 1919年(大正8年)5月1日:当駅含む山部駅 - 新得駅間の管轄を旭川管轄から釧路管轄とする[5]。
- 1921年(大正10年)8月5日 - 西和田駅から根室駅までの延伸により現在の根室本線が全通し、同時に滝川駅から根室駅までが根室本線とされたため当駅も根室本線の駅となる。
- 1923年(大正12年)4月1日:当駅含む山部駅 - 新得駅間の管轄を釧路管轄から再び旭川管轄とする[5]。
- 1949年(昭和24年)12月1日:当駅含む布部駅 - 新得駅間の管轄を旭川鉄道管理局管轄から再び釧路鉄道管理局管轄とする[5]。
- 1966年(昭和41年)
- 1979年(昭和54年) - 狩勝実験線が廃止となる。
駅名の由来
[編集]地名より。アイヌ語の「ニウンナイ(ni-un-nay)」(樹が・ある・川)に由来する[9][7][10]。佐幌川の支流としてパンケニウンナイ(上のニウンナイ)、ペンケニウンナイ(下のニウンナイ)の2つの川が新内地区の南側を流れており、この名が地名となったと推測される[10]。
駅跡とSLホテル
[編集]1978年(昭和53年)から、当駅跡に59672号蒸気機関車と20系寝台車を設置してSLホテルが運営されていたが、ホテルの閉鎖後は放置されていた。傷みが激しいため寝台車の撤去が検討されていたが、NPO法人「旧狩勝線を楽しむ会」[11]が中心となり存続運動を展開し、維持活動を条件に保存が決まった。2006年(平成18年)7月8日よりインフォメーションセンターとして使用されていたナハネ20 132が、2010年(平成22年)9月7日より「旧狩勝線資料館」としてリニューアルオープンした。2019年(令和元年)現在、まれに宿泊すること[12]もできる。
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59672号
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ナロネ21 551(2022年現在、20系A寝台車としては隣りのナロネ22 153と並んで唯一の保存車)
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ナロネ22 153
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ナハネ20 132
また、2008年(平成20年)より、駅構内の2番線と3番線跡に作業用の軌道自転車を利用したトロッコ鉄道が設置された[13]。
当駅前後の廃線跡はフットパスとして整備されており、新得駅近くのSL広場から当駅までの約10 kmは「狩勝ポッポの道」として歩行者、自転車、乗馬の専用道となっている。また、当駅から旧狩勝トンネルまでの約7 kmと併せ約17 kmが旧狩勝線フットパスとして整備されている[14]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ 狩勝信号場 (8.7km)。昭和3年版 線路一覧略図 札幌鉄道局発行による。
- ^ 昭和3年版 線路一覧略図 札幌鉄道局発行による。
- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、885頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、232頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b c 『釧路鉄道管理局史』日本国有鉄道釧路鉄道管理局、1972年10月14日、25頁。doi:10.11501/12757877。
- ^ 1966年(昭和41年)9月19日日本国有鉄道公示第568号「一般運輸営業を開始」
- ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、224頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 1966年(昭和41年)9月19日日本国有鉄道公示第569号「一般運輸営業を廃止」
- ^ 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、60頁。NDLJP:1029473。
- ^ a b 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日、320頁。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ 旧狩勝線を楽しむ会
- ^ 宿泊イベントの一例
- ^ “「エコトロッコ」とは?”. 狩勝高原エコトロッコ鉄道. 2019年2月10日閲覧。
- ^ “北海道ウォーキング・ルート情報〈十勝圏 〉旧狩勝線フットパス” (PDF). 北海道. 2015年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月10日閲覧。
関連項目
[編集]- 日本の鉄道駅一覧
- 鶴見事故
- 宮脇俊三 - 紀行作家の宮脇俊三は、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)年8月に父・宮脇長吉に随伴して北海道富良野市の石綿鉱山を視察したが、その際更に足を延ばして根室行きの列車に乗り、富良野駅 - 当駅間を往復した。著書『時刻表昭和史』の「第8章 急行1列車稚内桟橋行 - 昭和17年」にて、その時の様子を描写している。(『こんな駅で下車する客は珍しいのであろう、駅長が駅舎のなかへ招じ入れてくれた。8月11日というのに、ダルマストーブに薪が燃えていた』ということも付記されている)
外部リンク
[編集]- NPO法人 旧狩勝線を楽しむ会
- 狩勝高原エコトロッコ鉄道 - 駅跡に開設されたトロッコ鉄道