新内駅

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新内駅
Niinai Stn.JPG
2009年8月1日時点の様子
にいない
Niinai
落合 (16.8[1] km)
(11.1 km) 新得
所在地 北海道上川郡新得町新内西5線
北緯43度9分33.0秒 東経142度48分56.0秒 / 北緯43.159167度 東経142.815556度 / 43.159167; 142.815556座標: 北緯43度9分33.0秒 東経142度48分56.0秒 / 北緯43.159167度 東経142.815556度 / 43.159167; 142.815556
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 根室本線
キロ程 127.7[2] km(滝川起点)
駅構造 地上駅
開業年月日 1907年明治40年)9月8日[3]
廃止年月日 1966年昭和41年)10月1日[3]
備考 旧線廃止伴い廃駅となる。
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1977年撮影の新内駅跡と周囲約1 km×1.5 km範囲。下が新得方面。駅舎は中央の小さな白い空き地にあった。下へ左斜めに向かう道が駅前通りで、かつては小さな街が形成されていたが全てなくなっている。新得方面にはR200の180度急カーブの路盤跡が残るが、落合方面はゴルフ場への新道が敷かれている。島ホーム側が落合側に少しずれた相対式ホーム2面2線と、駅舎横の落合側に貨物ホームと引込み線、駅裏に貨物積卸線とストックヤードを有する木材搬出の駅の一つであった。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

新内駅(にいないえき)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)根室本線に存在した廃駅)である。

駅名はアイヌ語の「ニ・ウン・ナイ」(木の沢)に由来する[4]

概要[編集]

1966年(昭和41年)9月30日に落合から新狩勝トンネルを経て新得に至る新線が開業したのに伴う、本駅の所在する旧線の廃止により、翌日の10月1日に廃駅となった。落合駅から狩勝信号場を経てこの新内までの線路は、狩勝峠をこえていたため景色がよく日本三大車窓の一つとされた。戦前から佐幌岳のスキー客などにも利用されていた。おもな取り扱い貨物は花崗岩、木材であった。駅前には小規模な市街地があったが、新線の開通とともに消滅した。

歴史[編集]

駅跡とSLホテル[編集]

1978年(昭和53年)から、当駅跡に59672号蒸気機関車と20系寝台車を設置してSLホテルが運営されていたが、ホテルの閉鎖後は放置されていた。傷みが激しいため寝台車の撤去が検討されていたが、NPO法人「旧狩勝線を楽しむ会」[7]が中心となり存続運動を展開し、維持活動を条件に保存が決まった。2006年(平成18年)7月8日よりインフォメーションセンターとして使用されていたナハネ20 132が、2010年(平成22年)9月7日より「旧狩勝線資料館」としてリニューアルオープンした。2019年(令和元年)現在、まれに宿泊すること[8]もできる。

また、2008年(平成20年)より、駅構内の2番線と3番線跡に作業用の軌道自転車を利用したトロッコ鉄道が設置された[9]

当駅前後の廃線跡はフットパスとして整備されており、新得駅近くのSL広場から当駅までの約10 kmは「狩勝ポッポの道」として歩行者、自転車、乗馬の専用道となっている。また、当駅から旧狩勝トンネルまでの約7 kmと併せ約17 kmが旧狩勝線フットパスとして整備されている[10]

隣の駅[編集]

日本国有鉄道
根室本線 旧線ルート(廃止)
落合駅 - 狩勝信号場 - 新内駅 - 新得駅

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 狩勝信号場 (8.7km)。昭和3年版 線路一覧略図 札幌鉄道局発行による。
  2. ^ 昭和3年版 線路一覧略図 札幌鉄道局発行による。
  3. ^ a b c d e 石野哲(編) 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、885頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  4. ^ 札幌鉄道局編 編 『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、60頁。NDLJP:1029473 
  5. ^ 1966年(昭和41年)9月19日日本国有鉄道公示第568号「一般運輸営業を開始」
  6. ^ 1966年(昭和41年)9月19日日本国有鉄道公示第569号「一般運輸営業を廃止」
  7. ^ 旧狩勝線を楽しむ会
  8. ^ 宿泊イベントの一例
  9. ^ 「エコトロッコ」とは?”. 狩勝高原エコトロッコ鉄道. 2019年2月10日閲覧。
  10. ^ 北海道ウォーキング・ルート情報〈十勝圏 〉旧狩勝線フットパス (PDF)”. 北海道. 2015年1月2日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2019年2月10日閲覧。

関連項目[編集]

  • 日本の鉄道駅一覧
  • 鶴見事故
  • 宮脇俊三 - 紀行作家の宮脇俊三は、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)年8月に父・宮脇長吉に随伴して北海道富良野市の石綿鉱山を視察したが、その際更に足を延ばして根室行きの列車に乗り、富良野駅 - 当駅間を往復した。著書『時刻表昭和史』の「第8章 急行1列車稚内桟橋行 - 昭和17年」にて、その時の様子を描写している。(『こんな駅で下車する客は珍しいのであろう、駅長が駅舎のなかへ招じ入れてくれた。8月11日というのに、ダルマストーブが燃えていた』ということも付記されている)

外部リンク[編集]