「パルテノン神殿」の版間の差分

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1975年、ギリシア政府はパルテノン神殿など[[アテナイのアクロポリス|アクロポリス]]の建造物の修復へ本格的に乗り出し、幾許かの遅れがあったが1983年にアクロポリス博物館の維持運営を担う委員会が設立された<ref>[http://www.arcchip.cz/w09/w09_lambrinou.pdf Lina Lambrinou, "State of the Art: ‘Parthenon of Athens: A Challenge Throughout History"] (pdf file) with bibliography of interim conservation reports;</ref>。後に計画には[[欧州連合]]が資金的・技術的支援を提供した。考古学委員会はアクロポリスに残る文化遺跡を徹底的に記録し、建築家がコンピューターを導入して本来の位置を解析した。特に重要で壊れやすい彫刻類はアクロポリス博物館に移された。マーブルブロックを吊り上げるクレーンも、使用しない時には目立たないように屋根の勾配に沿って折り畳めるものが導入された。
 
修復作業を通じ、過去に行われた補修が適切さに欠けていたところも発見された。これらは取り除かれ、慎重に回復が行われている<ref>[http://cipa.icomos.org/fileadmin/papers/Athens2007/FP111.pdf "The Surface Conservation Project"] (pdf file). Once they had been conserved the West Frieze blocks were moved to the museum, and copies cast in artificial stone were reinstalled in their places.</ref>。ブロックの固定には腐食を防ぐために[[鉛]]のコーティングが施された[[鉄]]製のH型金具が元々は用いられてたが、19世紀の補修ではこのようなコーティングが為されなかったため[[錆]]など腐食によって金具が膨張し、大理石を割ってしまうなど損傷を拡大させていた<ref>{{cite web |title =Unlocking the Mysteries of the Parthenon |author=Hadingham, Evan |publisher= Smithsonian Magazine |date=2008年 |url=http://www.smithsonianmag.com/history-archaeology/parthenon.html |language=英語|accessdate=2008-02-22}}</ref>。そのため、金属製器具は強さと軽さを兼ね備え、腐食にも強い[[チタン]]が用いられるようになった<ref name="osaka-u">{{cite web|url=http://material3.osawa.p.dendai.ac.jp/kougi/quize/QA_Ans1.html|language=日本語|title=材料常識?問題(初級編)回答|publisher=[[東京電機大学]]工学部機械工学科材料工学研究室|author=豊田政男|accessdate=2010-06-20}}</ref>。
 
パルテノン神殿を1687年以前の形に復元することは事実上難しいが、爆破による損傷はできるだけ軽減される。特にアテナイは地震が起こる地区であるため構造の欠陥を補強することや<ref>{{cite web|url=http://www.s.arch.mie-u.ac.jp/hanazato-lab/Parthenon.pdf |format=PDF|language=日本語|title=Structual Study of Parthenon Athens (パルテノン神殿の耐震性)|author=花里利一|publisher=[[三重大学]]工学部建築学科|accessdate=2010-06-20}}</ref>、円柱や楣石の欠けた箇所を大理石セメントで丁寧に埋めることが行われている。このように、大理石はかつてと同様にペンテリコン山から切り出されてほとんど全ての主要部分に用いられながら、必要に応じて近代的な材料が投入されつつ再建は行われている。
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