ヴェルギナ
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![]() ピリッポス2世のものとされる墳墓 | |||
英名 | Archaeological Site of Aigai (modern name Vergina) | ||
仏名 | Site archéologique d'Aigai (nom moderne Vergina) | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (1), (3) | ||
登録年 | 1996年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
使用方法・表示 |
ヴェルギナ (ギリシア語: Βεργίνα[1])はギリシャ共和国の中央マケドニア地方に属する町。テッサロニキから南西に80km、ピエリア山の山麓に位置する。人口は約2,000人。マケドニア王国の首都アイガイ(ギリシア語: Αιγαί、現代ギリシャ語の発音ではエゲ)とされる遺跡が存在し、1996年にユネスコの世界遺産に登録されている。
概要[編集]
マケドニア王国の都アイガイとして栄えた。国都は前5世紀末にペラへと遷されるが、引き続き王国の中で重要な地位を占めた。この街でアルゲアス朝のバシレウス(君主)のピリッポス2世はパウサニアスによって殺害されたとされる。
1977年町に存在する遺跡が、ギリシャの考古学者マノリス・アンドロニコスによりピリッポス2世の墓であると主張されたことで有名となった。事の真偽はいまだ明らかとなっていないが、ヴェルギナの遺跡が考古学上重要な位置を占めていることは確かである。
ピリッポス2世の骨を納めた納骨箱であるとアンドロニコスが断定した黄金の箱には光線を有した星の模様が描かれていた。この模様はヴェルギナの太陽と呼ばれ、古代マケドニアの象徴とされるようになった。
1991年にユーゴスラビアからマケドニア共和国が独立した際、国旗にこのヴェルギナの太陽を使用したため、ギリシャが反発し国際問題となった。1995年にマケドニアは国旗の形状を変更することに同意した。
1850年代からヴェルギナ周辺の丘陵は考古学者の興味を集めていた。古代マケドニアの首都アイガイがこの近辺にあることが有力視されており、これらの丘には王墓がつくられたのではないかと予想されていた。発掘は1861年にフランスの考古学者レオン・ウーゼーのもとで始まった。この発掘で古代マケドニアの宮殿跡の一部が見つかった。発掘作業はマラリアの感染を恐れて中断された。
1937年にテッサロニキ・アリストテレス大学の発掘隊が調査を再開した。さらに多くの遺物が発見されたが、1939年にイタリア王国との戦争が始まると調査は中断された。第二次世界大戦とそれに続く内戦が終結すると発掘が再開され、1950年代、1960年代には宮殿跡の全貌が明らかとなった。アンドロニコスは遺跡をマケドニア王の墓であると主張した。
1977年にアンドロニコスは6週間の発掘作業を行い、盗掘にあっていない墳墓を発見した。さらにいくつかの墳墓が1980年に発見された。アンドドロニコスはこれらの内の一つをピリッポス2世の墓であると発表し議論が巻き起こった。
これらの発掘物は一時的にテッサロニキ考古学博物館に展示されていたが、1997年より、ヴェルギナに建てられた地下博物館に収められている。
世界遺産[編集]
登録基準[編集]
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
- (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
- (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
参照[編集]
脚注[編集]
- ^ ギリシア語ラテン翻字: Vergina