パウサニアス

パウサニアス[1](パウサニアース[2]、古希: Παυσανίας, Pausanias、115年頃 - 180年頃[2])は、ローマ帝国期ギリシアの旅行家で地理学者。『ギリシア案内記』の著者として知られる[1]。この著作は当時のギリシアの地誌や歴史、神話伝承、モニュメントなどについて知る手がかりとなっている。
生涯
[編集]パウサニアスの生没年や出身地については、『ギリシア案内記』の記述からおおまかに推測されるのみで、はっきりしたことはわかっていない[3]。しかし、小アジアのリュディア地方について詳細に述べている部分があることから、この地方の出身であるとする説が有力である[3]。当時のリュディア地方はローマ帝国のアシア属州に属していた。
パウサニアスはその生涯でギリシア以外にもパレスチナやエジプト、リビュア、イタリアなどを訪れている[3]。
同時代人に、第二次ソフィストのパウサニアス(アイリアノスの師でヘロデス・アッティコスの弟子、カッパドキアのカイサレイア出身)という人物がおり[2][4]、かつては同一視されていた[4]。
『ギリシア案内記』
[編集]『ギリシア案内記』[1](Ἑλλάδος Περιήγησις[5] または Περιήγησις τῆς Ἑλλάδος[2])はパウサニアスがギリシア各地で直接見聞してまとめた旅行記で、全10巻からなる。『ギリシア記』[6]『ギリシア誌』[7]『ヘラドス・ペリエーゲーシス』[8]などとも呼ばれる。「ペリエーゲーシス」すなわち案内記は伝統的な文学ジャンルであり、例えば前3世紀のヘラクレイデスの案内記が断片のみだが現存している[5]。
『ギリシア案内記』の成立年代は、160年から176年頃(アントニヌス・ピウスからマルクス・アウレリウス治下)と推定されている[2][6]。これは同時代に建てられたヘロデス・アッティコス音楽堂の記述などによる[6]。当時のギリシアは、『ギリシア案内記』の中でも言及されているように、ハドリアヌスやヘロデス・アッティコスの経済援助によって衰退からの復興が進められていた[9]。
オリュンピアやデルポイの神域に関する記述では、古代オリンピックやピュティア大祭などの競技祭の施設や優勝者を記念する彫像などについて、逸話も交えて描写している。神域で行われた宗教的儀式についても丁寧に記述している[10]。本書によってのみ伝わる神話伝承もある[2]。
受容
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同時代からの評価はきわめて限られたものであったと考えられている[12]。 これに対し、近代以降は宗教学・神話学・歴史学・考古学・美術史学などの分野で注目されるようになった[2]。
特にハインリヒ・シュリーマンは、ホメロスとパウサニアスの記述を参照しながらミケーネの発掘に臨んだことで知られる[2][13]。古典学者にして『金枝篇』の著者でもあるジェームズ・フレイザーは、社会人類学的関心のもと訳注を刊行している[14]。パルテノン神殿にあったアテナ・パルテノス像などの美術品は、本書のおかげで復元可能となっている[15]。
各巻題名と内容
[編集]日本語訳
[編集]- 『ギリシア案内記』馬場恵二訳、岩波書店〈岩波文庫〉(抜粋訳)
- 上: 1991年、ISBN 4003346017(1巻を収める)
- 下: 1992年、ISBN 4003346025(2巻・10巻を収める)
- 『ギリシア記』2冊組、飯尾都人訳、龍溪書舎、1991年、ISBN 4844783335(全訳)
- 『ギリシア案内記』周藤芳幸訳、京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、全5冊予定
- 第2冊: 2020年、ISBN 9784814002252(3巻・4巻)
脚注
[編集]- 1 2 3 久保正彰、平凡社 改訂新版 世界大百科事典『パウサニアス』 - コトバンク
- 1 2 3 4 5 6 7 8 松原國師『西洋古典学事典』京都大学学術出版会、2010年。ISBN 9784876989256。899頁。
- 1 2 3 飯尾都人『ギリシア記』附巻解説、龍溪書舎、1991年、pp.3-4.
- 1 2 馬場恵二訳『ギリシア案内記(上)』岩波書店〈岩波文庫〉、1991年。299頁。
- 1 2 馬場恵二「パウサニアス『ギリシア案内記』研究-パウサニアスと古代アテネ市内地誌-」『明治大学人文科学研究所紀要』10、1990年。CRID 1050576059522930432。1頁。
- 1 2 3 『ギリシア記』附巻解説、p.2.
- ↑ J.J.バハオーフェン 著、吉原達也; 平田公夫 訳『母権制 : 古代世界の女性支配-その宗教と法に関する研究 下巻』白水社、1993年。384頁。
- ↑ “[地02]『ギリシア案内記』|おこしやす!西洋古典叢書”. note(ノート) (2025年4月3日). 2026年5月16日閲覧。
- ↑ 南川高志 著「ローマ帝国とギリシア文化」、藤縄謙三 編『ギリシア文化の遺産』南窓社、1993年。ISBN 4816501142。85-86;90頁。
- ↑ 芳賀京子「フェイディアス作、《アテナ・パルテノス》(2)非ギリシア人の知覚する美と神性」『美術史学』第31・32号、東北大学大学院文学研究科美術史学講座、2010年。 NAID 40018874860。70頁。
- ↑ 芳賀京子「フェイディアス作、《アテナ・パルテノス》(1)賦与された機能と知覚される神性」『美術史学』第29号、東北大学大学院文学研究科美術史学講座、2008年。 NAID 40016668874。143頁。
- ↑ 『ギリシア記』附巻解説、p.14.
- ↑ 周藤芳幸『ミケーネ文明 : 古代ギリシアの原像』岩波書店〈岩波新書〉、2026年。ISBN 9784004321040。11;15頁。
- ↑ ロバート・アッカーマン著、小松和彦監修、玉井暲監訳『評伝J・G・フレイザー その生涯と業績』法蔵館、2009年。ISBN 9784831872166。113f頁。
- ↑ 船岡美穂子『西洋美術史学の歴史と方法』放送大学教育振興会〈放送大学大学院教材〉、2026年。ISBN 9784595142376。49頁。