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「空気系」の版間の差分

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'''空気系'''(くうきけい)とは、主に[[ゼロ年代]]以降の日本の[[オタク]]系コンテンツにおいてみられる、[[美少女]]キャラクターのたわいもない会話や日常生活を延々と描くことを主眼とした作品群。'''日常系'''(にちじょうけい)ともいう<ref>『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』233頁。</ref>。これらは2006年頃から[[インターネット]]上で使われ始めた用語である<ref name="sekai-235">『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』235頁。</ref>。
'''空気系'''(くうきけい)とは、主に[[ゼロ年代]]以降の日本の[[オタク]]系コンテンツにおいてみられる、[[美少女]]キャラクターのたわいもない会話や日常生活を延々と描くことを主眼とした作品群。'''日常系'''(にちじょうけい)ともいう<ref>『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』233頁。</ref>。これらは2006年頃から[[インターネット]]上で使われ始めた用語である<ref>『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』235頁。</ref>。発祥元は[[ブログ]]とされ、その作品世界での「[[場の空気|空気]]」を描いていることから空気系といわれる<ref name="otaku">金田一「乙」彦 『オタク語事典2』 [[美術出版社]]、2009年、18頁。ISBN 978-4568221336。</ref>。空気系と日常系を別の作品傾向として使い分ける場合もあるが<ref>『“日常系アニメ”ヒットの法則』12頁。</ref>、本項では特に区別せず以下では空気系に統一する


==特徴==
==空気系作品の特徴==


「萌え4コマ」と呼ばれる[[萌え]]に重点を置いた[[4コマ漫画]]を原作とし、その後[[メディアミックス]]として[[アニメ]]化されることが多い<ref>『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』233-234頁。</ref>。
形式的な面では、「萌え4コマ」と呼ばれる[[萌え]]に重点を置いた[[4コマ漫画]]を原作とし、その後[[メディアミックス]]として[[アニメ]]化されることが多い<ref>『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』233-234頁。</ref>。


内容面では、空気系作品には以下のような傾向がみられる。
作品では困難との対峙や葛藤・本格的な[[恋愛]]といった{{仮リンク|ドラマツルギー|en|Dramaturgy}}を極力排除することで物語性が希薄化されており<ref name="sekai-234" /><ref name="post">[[宇野常寛]]「ポスト・ゼロ年代の想像力-ハイブリッド化と祝祭モデルについて」『思想地図〈vol.4〉特集・想像力』320頁。</ref>、代わりに魅力的な美少女キャラクターたちが効果的に配置されている([[東浩紀]]の提唱した「[[データベース消費]]」への適応といえる<ref>『ゼロ年代の想像力』297頁</ref>)。物語性が希薄であるは、原作が4コマ漫画であるという形式上の理由による面もある<ref name="sekai-234" />。


;物語性の排除
空気系作品の受容のされ方を、評論家の[[宇野常寛]]は「「[[萌え]]」サプリメント」<ref>『ゼロ年代の想像力』298頁。</ref>あるいは「事実上の[[ポルノグラフィ]]」<ref name="uno">宇野常寛「ポスト・ゼロ年代の想像力-ハイブリッド化と祝祭モデルについて」『思想地図〈vol.4〉特集・想像力』333頁(注釈10)。</ref>と形容しており、美少女キャラクターを萌えあるいは性愛の対象とする消費者にとって不都合な存在である男性キャラクターはあまり登場しない傾向にある<ref name="sekai-235" />。
:舞台の大半が現代日本の日常的な生活間(しばしば[[学校]]や登場人物の家の周辺<ref>「セカイと日常系」『ライトノベル研究序説』150頁。</ref>)に限定され<ref>『“日常系アニメ”ヒットの法則』27-28頁。</ref>、困難との対峙や葛藤・本格的な[[恋愛]]といった{{仮リンク|ドラマツルギー|en|Dramaturgy}}を極力排除することで物語性が希薄化されている<ref name="sekai-234" /><ref name="post">[[宇野常寛]]「ポスト・ゼロ年代の想像力-ハイブリッド化と祝祭モデルについて」『思想地図〈vol.4〉特集・想像力』320頁。</ref>。こは、原作が4コマ漫画であるという形式上の理由による面もある<ref name="sekai-234" />。
:ドラマツルギーを排除した結果、作品内で描かれるのは実質的には無内容なとりとめのない会話の繰り返し([[社会学者]]の[[北田暁大]]が[[つながりの社会性]]と名づけたような、自己目的化した形式主義的なコミュニケーション)となり<ref>『リトル・ピープルの時代』27頁。</ref><ref>宇野常寛 「[http://renzaburo.jp/contents/045-uno/045_main_016.html 5章「空気系」と擬似同性愛的コミュニケーション 3 「つながりの社会性」と空気系]」『政治と文学の再設定』 [[集英社WEB文芸RENZABURO]](2011年4月15日)</ref>、例えば空気系アニメの火付け役とされるアニメ『[[らき☆すた (アニメ)|らき☆すた]]』の第一話では登場キャラクターの[[女子高生]]らが[[チョココロネ]]などのお菓子の自己流の食べ方について雑談するさまが延々と描写される<ref>『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』234頁。</ref>。
:テレビアニメという形態で視聴することを考えると、物語性が後退していることはすなわち「第一話から順番に欠落無く鑑賞しなければストーリー展開についていけなくなる」といった事態が起こらないということでもあり、うっかり見逃したり途中から見始めたりしてもよいという意味で敷居が低いといえる<ref>『“日常系アニメ”ヒットの法則』96-99頁。</ref>。
;[[萌え]]系の美少女に絞ったキャラクター配置
:物語性の後退に代わって萌えにアピールした多数の美少女キャラクターが配置されており<ref>『“日常系アニメ”ヒットの法則』31頁。</ref>、[[批評家]]の[[東浩紀]]の提唱した「[[データベース消費]]」への適応といえる<ref>『ゼロ年代の想像力』297頁。</ref>。
:従来の男性向けの萌え系コンテンツで存在したような消費者の感情移入対象となる(しばしば没個性的な)男性主人公は空気系作品では消去されているが<ref name="kuukikei">宇野常寛 「[http://renzaburo.jp/contents/045-uno/045_main_014.html 5章「空気系」と擬似同性愛的コミュニケーション 1 「空気系」と萌え4コマ漫画]」『政治と文学の再設定』 集英社WEB文芸RENZABURO(2011年3月18日)</ref>、それでも作品自体は美少女キャラクターへの所有願望を満たすために(広義の[[ポルノグラフィ]]として)製作・受容されているといえる<ref name="kuukikei" /><ref>『ゼロ年代の想像力』298頁。</ref><ref name="uno">宇野常寛「ポスト・ゼロ年代の想像力-ハイブリッド化と祝祭モデルについて」『思想地図〈vol.4〉特集・想像力』333頁(注釈10)。</ref>。
:作中の美少女キャラクターを「萌え」や性愛の対象とする男性消費者にとって不都合な存在である男性キャラクターは物語の中核からは排除されるため<ref name="sekai-234" /><ref name="kuukikei" />、空気系作品で描かれるコミュニティはしばしば異性が排除され同性同士だけからなる[[ホモソーシャル]]<ref group="注">[[社会学者]]の[[イヴ・セジウィック]]が論じた[[ホモソーシャリティ]]は(女性を媒介として強化される)男性同士の社会的な絆のことであるが、ここでは男女問わず同性同士の関係性をさしてホモソーシャルとしている。多数の美少女キャラクターが登場する一般的な空気系作品であれば女性のみのコミュニティであり、[[#広義の空気系/メタ空気系|後述]]するアルタミラピクチャーズ的な青春映画では男性同士のコミュニティとなる場合もある。</ref>なコミュニティである<ref name="kuukikei" /><ref> 「ゼロ年代の想像力、その後」『ゼロ年代の想像力(文庫版)』419頁。</ref>。
:なお、動物を登場キャラクターとした漫画『[[ぼのぼの]]』のように、美少女を多数配置した萌え系の作風でない作品が空気系といわれることもある<ref name="otaku" />。
;虚構への現実の混入
:しばしば現代日本を舞台とすることもあっていわゆる[[巡礼 (通俗)|聖地巡礼]](アニメファンによる作品舞台の探訪)を誘発することがあるが、[[美術家]]・[[評論家]]の[[黒瀬陽平]]はそれと関連して「現実風景をトレースしてアニメの背景として利用する」という製作手法の存在(つまりアニメという虚構作品の中に現実の風景が侵食している)を指摘している<ref group="注">[[巡礼 (通俗)#聖地巡礼に関する論考]]を参照。</ref>。ほかにもアニメ『[[けいおん!]]』の作中に登場する[[楽器]]などのアイテムが実在のものをモデルにしていたためそれらの商品の売り上げが一時的に上がるという動きがあったり<ref group="注">[[けいおん!#その他の論点]]を参照。</ref>、『らき☆すた』においてオタク文化に精通している者でなければわからないような[[パロディ]]ネタが作品に多数仕込まれるなど<ref group="注">[[らき☆すた (アニメ)#その他関連等]]を参照。</ref>、空気系作品ではその虚構世界の中に現実の要素が混入されており、それが消費されている面もある。<ref>『“日常系アニメ”ヒットの法則』99-106頁。</ref><ref>宇野常寛 「[http://renzaburo.jp/contents/045-uno/045_main_018.html 5章「空気系」と擬似同性愛的コミュニケーション 5 データベースと聖地巡礼]」『政治と文学の再設定』 集英社WEB文芸RENZABURO(2011年5月27日)</ref>


==発生・流行までの経緯==
==発生・流行までの経緯==
オタク文化において空気系の流行以前に台頭していた作品類型としては、[[1990年代]]後半以降にアニメ『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』を嚆矢として出現した[[セカイ系]]と呼ばれる作品群がある。これは「社会領域(中景)を消去し主人公の周辺の狭い関係(近景)と世界規模の大問題(遠景)直結させる想像力」をさすが、評論家の[[前島賢]]は、セカイ系の興隆の影響下で誕生した新しいオタク文化での想像力(ポスト・セカイ系)のひとつとして、空気系を挙げている<ref>『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』226-234頁。</ref>。セカイ系では主人公とヒロインが「引き裂かれる」ことにリアリティを見出すのにし、空気系は「引き裂かれることのない」日常空間にリアリティ見出すものとし対比されることもある<ref>「セカイ系と日常系」『ライトノベル研究序説』150-151頁。</ref>
オタク文化において空気系の流行以前に台頭していた作品類型としては、[[1990年代]]後半以降にアニメ『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』を嚆矢として出現した[[セカイ系]]と呼ばれる作品群があ日常生活描く空気系とは対照的な世界規模危機扱っいた


また、1990年代後半からゼロ年代初頭にかけて、(成人向け)[[美少女ゲーム]]の分野で作風や受容のされ方に変質がみられるようになる。もともと美少女ゲームでは、作中に登場する美少女キャラクターを「攻略」してポルノシーンを観賞するための手段として、そのキャラクターと仲良くなるための過程にあたる日常のシーンが存在した。しかし、1997年に発売された『[[To Heart]]』では、本来は手段であったはずの美少女キャラクターとの日常のやりとりのシーンがゲームの楽しみとして受容された。それ以降、『To Heart』のように美少女キャラクターとの日常会話などに主眼を置いた消費のされ方をする美少女ゲームが増えていき、このような傾向が、のちの空気系作品の作風に繋がっていった。<ref>『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』70-73頁。</ref>
1990年代後半からゼロ年代初頭にかけて、(成人向け)[[美少女ゲーム]]の分野で作風や受容のされ方に変質がみられるようになる。もともと美少女ゲームでは、作中に登場する美少女キャラクターを「攻略」してポルノシーンを観賞するための手段として、そのキャラクターと仲良くなるための過程にあたる日常のシーンが存在した。しかし、1997年に発売された『[[To Heart]]』では、本来は手段であったはずの美少女キャラクターとの日常のやりとりのシーンがゲームの楽しみとして受容された。それ以降、『To Heart』のように美少女キャラクターとの日常会話などに主眼を置いた消費のされ方をする美少女ゲームが増えていき、このような傾向が、のちの空気系作品の作風に繋がっていった。<ref>『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』70-73頁。</ref>


1999年から、[[あずまきよひこ]]による[[4コマ漫画]]作品『[[あずまんが大王]]』の連載が開始された(2002年にテレビアニメ化)。女子高生たちのまったりとした学園生活を描いたこの作品が萌え4コマ・空気系というジャンルの嚆矢と考えられる<ref name="sekai-234">『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』234頁。</ref><ref>『ゼロ年代の想像力』237頁。</ref>。
1999年から、[[あずまきよひこ]]による[[4コマ漫画]]作品『[[あずまんが大王]]』の連載が開始された(2002年にテレビアニメ化)。女子高生たちのまったりとした学園生活を描いたこの作品が萌え4コマ・空気系というジャンルの嚆矢と考えられる<ref name="sekai-234">『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』234頁。</ref><ref>『ゼロ年代の想像力』237頁。</ref>。


2003年から連載の始まった[[谷川流]]の[[ライトノベル]]シリーズ『[[涼宮ハルヒシリーズ]]』はセカイ系の作品例として挙げられることが多いが、[[宇野常寛]]は空気系としての性質も合わせ持った作風と評価し、2006年に『[[涼宮ハルヒの憂鬱 (アニメ)|涼宮ハルヒの憂鬱]]』として[[京都アニメーション]]によってアニメ化された際には空気系のテイストが強調されるという形になっていると述べている。京都アニメーションはこの作品のヒット以降、『[[らき☆すた]]』『[[けいおん!]]』といった空気系作品のアニメ化を積極的に行っている。<ref name="post" />
2003年から連載の始まった[[谷川流]]の[[ライトノベル]]シリーズ『[[涼宮ハルヒシリーズ]]』はセカイ系の作品例として挙げられることが多いが、評論家の[[宇野常寛]]は空気系としての性質も合わせ持った作風と評価し、2006年に『[[涼宮ハルヒの憂鬱 (アニメ)|涼宮ハルヒの憂鬱]]』として[[京都アニメーション]]によってアニメ化された際には空気系のテイストが強調されるという形になっていると述べている。京都アニメーションはこの作品のヒット以降、『[[らき☆すた]]』『[[けいおん!]]』といった空気系作品のアニメ化を積極的に行っている。<ref name="post" />


2007年にアニメ化された[[美水かがみ]]の『らき☆すた』は、セカイ系の流行が過ぎ去って「物語の語りにくさ」が指摘される中で、物語性を放棄して[[二次創作]]の意欲を喚起するような魅力的なキャラクターによる人気によって支持を得た<ref>[[黒瀬陽平]]「新しい「風景」の誕生」『思想地図〈vol.4〉特集・想像力』131頁。</ref>。ただし、『涼宮ハルヒの憂鬱』『[[らき☆すた (アニメ)|らき☆すた]]』の制作に関わった[[山本寛 (アニメ演出家)|山本寛]]は、(『らき☆すた』のような)ネタ消費型アニメはその場しのぎのものと考えていて、今後は「物語の復権」の方法を模索する方向を目指したいと2009年の時点で発言している<ref>東浩紀・宇野常寛・黒瀬陽平・[[氷川竜介]]・[[山本寛 (アニメ演出家)|山本寛]]「物語とアニメーションの未来」『思想地図〈vol.4〉特集・想像力』208頁。</ref>。この作品のヒットをきっかけに、空気系の作風はライトノベルの分野に伝播し、作品舞台を学校の生徒会室の内部のみにほぼ限定した[[葵せきな]]の『[[生徒会の一存]]』といった作品が登場した<ref>『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』234-235頁。</ref>。
2007年にアニメ化された[[美水かがみ]]の『らき☆すた』は、セカイ系の流行が過ぎ去って「物語の語りにくさ」が指摘される中で、物語性を放棄して[[二次創作]]の意欲を喚起するような魅力的なキャラクターによる人気によって支持を得た<ref>[[黒瀬陽平]]「新しい「風景」の誕生」『思想地図〈vol.4〉特集・想像力』131頁。</ref>。ただし、『涼宮ハルヒの憂鬱』『[[らき☆すた (アニメ)|らき☆すた]]』の制作に関わった[[山本寛 (アニメ演出家)|山本寛]]は、(『らき☆すた』のような)ネタ消費型アニメはその場しのぎのものと考えていて、今後は「物語の復権」の方法を模索する方向を目指したいと2009年の時点で発言している<ref>東浩紀・宇野常寛・黒瀬陽平・[[氷川竜介]]・[[山本寛 (アニメ演出家)|山本寛]]「物語とアニメーションの未来」『思想地図〈vol.4〉特集・想像力』208頁。</ref>。この作品のヒットをきっかけに、空気系の作風はライトノベルの分野に伝播し、作品舞台を学校の生徒会室の内部のみにほぼ限定した[[葵せきな]]の『[[生徒会の一存]]』といった作品が登場した<ref>『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』234-235頁。</ref>。


2009年・2010年には[[かきふらい]]の『けいおん!』がアニメ化されてヒットしたが、(空気系作品の特徴である)男性キャラクターやドラマツルギーの排除が徹底的であったことがヒットの理由だとアニメ評論家の[[氷川竜介]]はみている<ref>[[東浩紀]]・宇野常寛・黒瀬陽平・氷川竜介・山本寛「物語とアニメーションの未来」『思想地図〈vol.4〉特集・想像力』198-199頁。</ref>この作品は前述のセカイ系の図式において中景だけなく遠景までをも消去し、近景しか存在しないという構造をつくってい作品として言及されることがある<ref>東浩紀・宇野常寛・黒瀬陽平・氷川竜介・山本寛物語とアニメーションの未来」『思想地図〈vol.4〉特集・想像力204頁。</ref>。
2009年・2010年には[[かきふらい]]の『[[けいおん!]]』がアニメ化されてヒットしたが、(空気系作品の特徴である)男性キャラクターやドラマツルギーの排除が徹底的であったことがヒットの理由だとアニメ評論家の[[氷川竜介]]はみており<ref>[[東浩紀]]・宇野常寛・黒瀬陽平・氷川竜介・山本寛「物語とアニメーションの未来」『思想地図〈vol.4〉特集・想像力』198-199頁。</ref>、[[黒瀬陽平]]はこの作品を空気系の到達点るとしてる<ref>「CYZO×PLANETS CROSS REVIEW 【ANIME】」『CYZO×PLANETS SPECIAL PRELUDE2011第二次惑星開発委員会、2010年、86、ISBN 978-4905325017。</ref>。


このほかゼロ年後半以降には、空気系らしい舞台設定ながらもタイトルに反した奇怪な設定の多い『[[日常 (漫画)|日常]]』や(空気系作品でよく描かれる女子高生ではなく)男子高校生の描写を中心にすえた『[[男子高校生の日常]]』といったように、空気系の定型を少し外した作品が登場している<ref>「[http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20111129-OYT8T00833.htm?from=navlk 「日常系マンガ」が人気…現実離れのステキ空間]」[[YOMIURI ONLINE]](2011年11月30日)</ref>。
==オタク文化外での動き==
[[宇野常寛]]はオタクという文化的トライブの外で同時期(ゼロ年代)にみられる空気系と同様の傾向として、広義の部活動を題材とした一連の日本の[[青春映画]]作品群([[矢口史靖]]監督・[[アルタミラピクチャーズ]]制作の『[[ウォーターボーイズ]]』や『[[スウィングガールズ]]』など)を挙げている<ref name="post"/><ref>『ゼロ年代の想像力』297-298頁。</ref>。そこでは、社会的に意義のある記録を打ち立てることではなく、部活動を通じて仲間と連帯することによる達成感が目的化している(アルタミラピクチャーズ・メソッド)。そして、この方法論に、「萌え」という要素を添加してオタク文化に取り込んだものが空気系作品と考えられるという(ただし空気系作品におい行われている男性キャラクター排除は、この青春映画作品ではみられない<ref name="uno"/>)。また、実写の映像作品の分における(『[[世界の中心で、をさけぶ]]』などの)[[純愛]]ブムからアルミラピクチャーズ・メソッドの青春映画移行が、オタクおける[[セカイ系]]から空気系移行対応しているという。


今後の空気系の動きについて、[[社会学者]]の[[宮台真司]]は2011年3月11日に発生した[[東日本大震災]]の影響下の日本では『[[けいおん!]]』のような日常ドラマは今後厳しいと述べている<ref>宮台真司「[http://nikkan-spa.jp/37231 「まどか☆マギカ」とは「セカイ系」を超越する絆の物語である]」『[[SPA!]]』2011年7月19日号、55頁、2011年9月12日閲覧。</ref>。宇野常寛も、東日本大震災の影響に言及しており、短期的には悲惨な災害の反動から空気系の流行が続くだろうが長期的に人気を維持するのは厳しく、最終的にはいわゆる「定番ジャンルのひとつ」に落ち着くだろうと予測している<ref> 「ゼロ年代の想像力、その後」『ゼロ年代の想像力(文庫版)』426頁・450頁。</ref>。
==脚注==

==広義の空気系/メタ空気系==

[[宇野常寛]]はオタクという文化的トライブの外で同時期(ゼロ年代)にみられる空気系と同様の傾向として、部活動を題材とした一連の日本の[[青春映画]]作品群([[矢口史靖]]監督・[[アルタミラピクチャーズ]]制作の『[[ウォーターボーイズ]]』や『[[スウィングガールズ]]』など)を挙げている<ref name="post"/><ref>『ゼロ年代の想像力』287-288頁。</ref>。そこでは、純愛の成就や社会的に意義のある記録を打ち立てることではなく、部活動を通じて仲間と連帯することによる達成感が目的化している(アルタミラピクチャーズ・メソッド)。そして、この方法論に、「萌え」という要素を添加してオタク文化に取り込んだものが(狭義の)空気系作品と考えられるという。前述の矢口史靖監督作品では狭義の空気系と違っ完全に異性キャラクターや恋愛要素が排除ているわけではないもの物語の中核には関与しないという形式がとられており、フォロワーともいえる類似した青春映画作品(『[[恋は五・七・五!]]』・『[[ブラブラバンバン]]』など)では同性だけのコミュニティというコンセプトは継承さていない<ref name="uno" /><ref>宇常寛 「[http://renzaburo.jp/contents/045-uno/045_main_015.html 5章「空気系」と擬似同性的コミュニケーション 2 『ウォーターボーイ』とゼロ年代の青春映画]」『政治と文学再設定』 集英社WEB芸RENZABURO(2011年4月8日)</ref>。さら、物語系コンテンツ以外にも、女性アイドルグループ[[AKB48]]のヒットも一連の空気系ブーム流れ位置づけることができるという<ref group="注">[[AKB48#セカイ系・サヴァイヴ系・空気系]]を参照。</ref>

このほか、宇野によればゼロ年代には空気系を自己言及的・批評的に捉えたメタ空気系ともいうべき作品がすでに登場しており、具体的には[[テレビドラマ]]『[[木更津キャッツアイ]]』・『[[仮面ライダー555]]』・アニメ『[[Angel Beats!]]』・映画『[[リンダ リンダ リンダ]]』を挙げている<ref>宇野常寛 「[http://renzaburo.jp/contents/045-uno/045_main_026.html 6章震災後の想像力 6 「大きな非物語」をどう表現するか]」『政治と文学の再設定』 集英社WEB文芸RENZABURO(2011年9月30日)</ref>。『木更津キャッアイ』<ref>「ゼロ年代の想像力、その後」『ゼロ年代の想像力(文庫版)』421頁。</ref>や『仮面ライダー555』<ref>『リトル・ピープルの時代』292-296頁。</ref>では、無時間的な場所設定や物語性の希薄化などの空気系的な設定を用いながらも、いつかは死ぬ生身の身体の有限性という現実の残酷さを描いている<ref group="注">『[[木更津キャッツアイ]]』では主人公のぶっさんが病気により余命半年と宣告されていると設定されており、『[[仮面ライダー555]]』ではオルフェノクと呼ばれる怪人は体が時々刻々と壊死してゆくと設定されている。</ref>。『Angel Beats!』はセカイ系と空気系の対立軸が打ち出されている面があり<ref>宇野常寛・黒瀬陽平・菊池俊輔・坂上秋成「惑星開発座談会 Angel Beats!」『PLANETS vol.7』第二次惑星開発委員会、2010年、304頁。ISBN 978-4905325000。</ref>、『リンダ リンダ リンダ』では、広義の空気系の発想を純化し、矢口史靖監督作品にみられる物語をドラマチックにするための演出(周囲との対立など)も極力排除することによって批評性を高めた作品となっている<ref>『ゼロ年代の想像力』302頁。</ref><ref>「ゼロ年代の想像力、その後」『ゼロ年代の想像力(文庫版)』425頁。</ref>。

==空気系アニメとアニメビジネスとの関係==

ゼロ年代後半の空気系アニメのヒットの象徴ともいえる『[[らき☆すた (アニメ)|らき☆すた]]』や『[[けいおん!]]』は、日本のコンテンツ産業が2005年~2006年頃をピークに縮小傾向にある中で[[DVD]]の累計売り上げ枚数がそれぞれ30万枚・50万枚近くに達しており<ref group="注">『けいおん!』については、第一期と第二期(『けいおん!!』)の合計枚数。</ref>、主題歌・劇中歌の[[音楽CD]]など他の関連グッズも含めて大きな商業的成功をおさめた<ref>『“日常系アニメ”ヒットの法則』14-22頁。</ref>。他方、これら一部の大ヒット作を除けば、空気系アニメのDVDは、DVD売り上げランキングにはほとんどランクインすることがなく、またテレビ放送時の[[視聴率]]の観点からみても(他ジャンルのテレビアニメと比較して)特別によい成績をおさめているわけではない<ref>『“日常系アニメ”ヒットの法則』35-36頁。</ref>。

こういった事実にもかかわらず多数の空気系アニメが製作・放送される背景には、ランキング圏外程度の売り上げであっとしても収益率を考えれば十分に制作費を回収して採算がとれるという事情がある。また、21世紀初頭の日本のアニメビジネスでは、[[深夜アニメ]]はその制作費の大半を(キャラクター商品の展開や広告収入ではなく)DVDの売り上げという形で回収するのが通例となっているが、セルDVDを多く売るためには「ストーリー性よりも[[萌え]]を重視したほうがよい」という定石があり、物語性を排除して多数の萌えキャラクターを効果的に配置した空気系アニメはそれに適した作品形態であるといえる。<ref>『“日常系アニメ”ヒットの法則』158-172頁。</ref>

==他の作品類型との関係==
;[[セカイ系]]
:セカイ系は「社会領域(中景)を消去し、主人公の周辺の狭い関係(近景)と世界規模の大問題(遠景)を直結させる想像力」をさすが、評論家の[[前島賢]]は、セカイ系の興隆の影響下で誕生した新しいオタク文化での想像力(ポスト・セカイ系)のひとつとして、空気系を挙げている<ref>『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』226-234頁。</ref>。『[[けいおん!]]』はセカイ系の図式において中景だけでなく遠景までをも消去し、近景しか存在しないという構造をつくっている作品として言及されることがあるが<ref>東浩紀・宇野常寛・黒瀬陽平・氷川竜介・山本寛「物語とアニメーションの未来」『思想地図〈vol.4〉特集・想像力』204頁。</ref>、いずれにせよ中景にあたる社会領域は消去されており、空気系のヒットは若者の社会に対する関心の衰退と関連づけられることがある<ref>[[中西新太郎]] 『シャカイ系の想像力 (若者の気分) 』 [[岩波書店]]、2011年、78頁。ISBN 978-4000284530。</ref>。
:セカイ系と空気系はしばしば対比させて言及される。山口直彦は、セカイ系では主人公とヒロインが「引き裂かれる」ことにリアリティを見出すのに対し、空気系は「引き裂かれることのない」日常空間にリアリティを見出すものとして対比した<ref>「セカイ系と日常系」『ライトノベル研究序説』150-151頁。</ref>。[[宇野常寛]]は、セカイ系(や後述するバトルロワイヤル系)が[[ポストモダン]]化の進行した現代社会の構造の比喩になっているのに対し{{#tag:ref|宇野がセカイ系を論じる際には、前述したような「中景を短絡した近景と遠景の直結」よりも「男性主人公がポストモダン的なアイデンティティの欠落・不全を異性に全人格的に承認されることによって埋め合わせようとする」という点に注目している面が強い<ref>『ゼロ年代の想像力』87頁。</ref>。その立場からは、ポストモダンの到来によって崩壊した「大きな物語」を補完するものとして男性的な擬似人格ではなく女性による承認を利用するのがセカイ系であり、「(拡張性がありルール自体の改変可能性を有するような)大きなゲーム」を利用するのがバトルロワイヤル系となる。|group="注"}}、空気系はそのような社会の「肌感覚を上手に切り取ったもの」であるため根本的にアプローチの仕方が異なっているという<ref>「ゼロ年代の想像力、その後」『ゼロ年代の想像力(文庫版)』431-432頁。</ref>。さらに、実写の映像作品の分野における(『[[世界の中心で、愛をさけぶ]]』などの)[[純愛]]ブームからアルタミラピクチャーズ・メソッドの青春映画への移行が、オタク文化における[[セカイ系]]から空気系への移行に対応しているとしている<ref name="post"/>。このほか、(セカイ系の流行の収束時期と空気系の黎明期がほぼ一致していることから)『エヴァ』に代表されるセカイ系の難解かつ肥大化する物語に疲弊した消費者が、単純で快楽的な空気系を好むようにシフトしたという見方もある<ref>『“日常系アニメ”ヒットの法則』109頁。</ref>。
;バトルロワイヤル系
:宇野常寛は著書『ゼロ年代の想像力』で、[[セカイ系]]に後続する想像力として特権的な「正義」が失墜し複数の小さな「正義」が入り乱れた闘争を描く「バトルロワイヤル系」の作品群(『[[DEATH NOTE]]』・『[[仮面ライダー龍騎]]』など)に注目した。このバイルロワイヤル系と空気系はつながりの社会性が浮上した現代的なコミュニケーション空間を前提として作品に織り込んだ点で共通しており<ref name="little">『リトル・ピープルの時代』297-298頁。</ref><ref>宇野常寛ほか「2010カルチャー総括座談会 漫画編」『CYZO×PLANETS SPECIAL PRELUDE2011』第二次惑星開発委員会、2010年、42頁。ISBN 978-4905325017。</ref>、特にバトルロワイヤル系の一部である[[スクールカーストもの]]と呼ばれるジャンル(学校内で[[場の空気]]を読みながら行われる緊張感に溢れた人間関係の駆け引き・闘争を描いたもの)では、空気系でしばしば舞台として選択される学校でのやりとりを描いている点も共通している。
:他方、バトルロワイヤル系では現代的なコミュニケーション空間を現実認知としてシビアに描いているのに対し、空気系では消費者の嗜好に合わせて理想化させて描いているという意味では対照的である<ref name="little" />。
;[[ハーレムもの]]
:単一の男性主人公の周囲に多数のヒロインが配置されるという設定の作品のことで、日本のオタク系文化では空気系より以前からみられる。(例えば『[[ラブひな]]』のような)ハーレムものの人物配置から男性主人公(とそれに付随する恋愛要素)を消去すれば(例えば『[[あずまんが大王]]』のような)空気系になるともいえる<ref>『“日常系アニメ”ヒットの法則』138頁。</ref>。
;[[ループもの]]
:物語がある一定の期間を反復するような[[タイムトラベル]]系の[[サイエンス・フィクション|SF]]ジャンルであるが、日本のオタク文化では空気系の作風のような延々と繰り返される日常([[宮台真司]]のいう「終わりなき日常」)の比喩として使用されている面がある<ref>宇野常寛・黒瀬陽平・石岡良治・坂上秋成 「誌上ニコ生PLANETS 魔法少女まどか☆マギカ」『PLANETS SPECIAL 2011 夏休みの終わりに』 第二次惑星開発委員会、2011年、96頁。ISBN 978-4905325024。</ref>。他方、空気系作品ではしばしば緩やかにではあるが時間の経過が描写されており、例えば『[[サザエさん]]』のように1年間をループさせて描く手法は取り入れていないことから「終わりなき日常」とは異なるという見方もできる<ref>『“日常系アニメ”ヒットの法則』104-105頁。</ref>。
;[[泣きゲー]]
:1990年代の終わり頃から広まった美少女ゲームのジャンルの一つに、キャラクターの言動に共感させ涙を流させるための作劇に特化した「[[泣きゲー]]」と呼ばれるものがある。このようなジャンルの作品でも、物語前半において主人公とヒロインのたわいもない会話や日常生活がたっぷりと時間をかけて描かれるが、これはヒロインをかけがえのない存在として印象付けることで、物語後半で発生するドラマチックな悲劇を際立たせるための布石である<ref name="涼元2006_pp177-180">{{Cite book|和書
|author=[[涼元悠一]]
|title=ノベルゲームのシナリオ作成技法
|edition=第1版
|date=2006-08-05
|publisher=[[秀和システム]]
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}}</ref>。永遠に続くかのように思われた日常は事件によって暗転し、主人公とヒロインは引き裂かれ、プレイヤーは圧し掛かる重度のストレスの中、失われた平穏な日々に対するノスタルジーと現在の苦境との落差によって涙することになる<ref name="涼元2006_pp177-180" />。
:なお、前述の葵せきなによるライトノベル『生徒会の一存』ではこうした約束事の順序を逆転させ、事件が起こった後で、取り戻したかった価値ある日常が続いていくという構図を描くことが試みられている<ref>{{Cite book|和書
|title=このライトノベルがすごい! 2009
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}}</ref>。
;[[百合 (ジャンル)|百合]]
:萌え4コマ・空気系作品の[[二次創作]]では、しばしば登場する女性キャラクター同士の恋愛・同性愛(百合)が描かれ、これは女性オタク([[腐女子]])が物語中の男性同士の関係性を同性愛に読み替える[[やおい]]系二次創作と同型である。このような百合系二次創作の興隆はやおい系二次創作よりも時期としてはあとになって現れたことになるが、これには男女の社会的な立場の変化の影響が考えられる。すなわち、(女性による)やおい系二次創作の発展時期([[1980年代]])は、建前として[[男女平等]]が謳われても実際には[[既得権益]]が男性側によって独占され女性は被差別者として位置づけられていたために(空気系想像力が前提とする)[[つながりの社会性]]が前面化するポストモダン状況に彼女たちはいちはやく適応する必要があったが、ゼロ年代になって長期化する[[不況]]により男性側も既得権益を失いかつての女性たちと同様に位置に置かれた時期に、ちょうど(男性に消費される)空気系作品の百合的二次創作が勢いを増したと考えられる。<ref>宇野常寛 「[http://renzaburo.jp/contents/045-uno/045_main_019.html 5章「空気系」と擬似同性愛的コミュニケーション 6 「空気系」とセクシュアリティの攪乱]」『政治と文学の再設定』 集英社WEB文芸RENZABURO(2011年6月3日)</ref>

== 脚注 ==
===注釈===
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===出典===
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==参考文献==
==参考文献==
*[[東浩紀]]・[[北田暁大]]編集 『[[思想地図]]〈vol.4〉特集・想像力』 [[日本放送出版協会]]、2009年。ISBN 978-4140093474。
*[[東浩紀]]・[[北田暁大]]編集 『[[思想地図]]〈vol.4〉特集・想像力』 [[日本放送出版協会]]、2009年。ISBN 978-4140093474。
*宇野常寛 『ゼロ年代の想像力』 [[早川書房]]、2008年。ISBN 978-4152089410。
*[[宇野常寛]] 『ゼロ年代の想像力』 [[早川書房]]、2008年。ISBN 978-4152089410。
*宇野常寛 「ゼロ年代の想像力、その後」『ゼロ年代の想像力(文庫版)』早川書房、2011年。ISBN 978-4150310479。
*宇野常寛 『リトル・ピープルの時代』 [[幻冬舎]]、2011年。ISBN 978-4344020245。
*キネマ旬報映画総合研究所(編)『“日常系アニメ”ヒットの法則』[[キネマ旬報社]](キネ旬総研エンタメ叢書)、2011年。ISBN 978-4873763590
*[[前島賢]] 『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』 [[ソフトバンククリエイティブ]]、2010年。ISBN 978-4797357165。
*[[前島賢]] 『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』 [[ソフトバンククリエイティブ]]、2010年。ISBN 978-4797357165。
*山口直彦 「セカイ系と日常系」『ライトノベル研究序説』[[青弓社]]、2009年。ISBN 978-4787291882。
*山口直彦 「セカイ系と日常系」『ライトノベル研究序説』[[青弓社]]、2009年。ISBN 978-4787291882。
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==関連項目==
==関連項目==
*[[ミニマリズム]]
*[[ミニマリズム]]
*[[日常の謎]]


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2011年12月2日 (金) 04:05時点における版

空気系(くうきけい)とは、主にゼロ年代以降の日本のオタク系コンテンツにおいてみられる、美少女キャラクターのたわいもない会話や日常生活を延々と描くことを主眼とした作品群。日常系(にちじょうけい)ともいう[1]。これらは2006年頃からインターネット上で使われ始めた用語である[2]。発祥元はブログとされ、その作品世界での「空気」を描いていることから空気系といわれる[3]。空気系と日常系を別の作品傾向として使い分ける場合もあるが[4]、本項では特に区別せず以下では空気系に統一する。

空気系作品の特徴

形式的な面では、「萌え4コマ」と呼ばれる萌えに重点を置いた4コマ漫画を原作とし、その後メディアミックスとしてアニメ化されることが多い[5]

内容面では、空気系作品には以下のような傾向がみられる。

物語性の排除
舞台の大半が現代日本の日常的な生活空間(しばしば学校や登場人物の家の周辺[6])に限定され[7]、困難との対峙や葛藤・本格的な恋愛といったドラマツルギーを極力排除することで物語性が希薄化されている[8][9]。これは、原作が4コマ漫画であるという形式上の理由による面もある[8]
ドラマツルギーを排除した結果、作品内で描かれるのは実質的には無内容なとりとめのない会話の繰り返し(社会学者北田暁大つながりの社会性と名づけたような、自己目的化した形式主義的なコミュニケーション)となり[10][11]、例えば空気系アニメの火付け役とされるアニメ『らき☆すた』の第一話では登場キャラクターの女子高生らがチョココロネなどのお菓子の自己流の食べ方について雑談するさまが延々と描写される[12]
テレビアニメという形態で視聴することを考えると、物語性が後退していることはすなわち「第一話から順番に欠落無く鑑賞しなければストーリー展開についていけなくなる」といった事態が起こらないということでもあり、うっかり見逃したり途中から見始めたりしてもよいという意味で敷居が低いといえる[13]
萌え系の美少女に絞ったキャラクター配置
物語性の後退に代わって萌えにアピールした多数の美少女キャラクターが配置されており[14]批評家東浩紀の提唱した「データベース消費」への適応といえる[15]
従来の男性向けの萌え系コンテンツで存在したような消費者の感情移入対象となる(しばしば没個性的な)男性主人公は空気系作品では消去されているが[16]、それでも作品自体は美少女キャラクターへの所有願望を満たすために(広義のポルノグラフィとして)製作・受容されているといえる[16][17][18]
作中の美少女キャラクターを「萌え」や性愛の対象とする男性消費者にとって不都合な存在である男性キャラクターは物語の中核からは排除されるため[8][16]、空気系作品で描かれるコミュニティはしばしば異性が排除され同性同士だけからなるホモソーシャル[注 1]なコミュニティである[16][19]
なお、動物を登場キャラクターとした漫画『ぼのぼの』のように、美少女を多数配置した萌え系の作風でない作品が空気系といわれることもある[3]
虚構への現実の混入
しばしば現代日本を舞台とすることもあっていわゆる聖地巡礼(アニメファンによる作品舞台の探訪)を誘発することがあるが、美術家評論家黒瀬陽平はそれと関連して「現実風景をトレースしてアニメの背景として利用する」という製作手法の存在(つまりアニメという虚構作品の中に現実の風景が侵食している)を指摘している[注 2]。ほかにもアニメ『けいおん!』の作中に登場する楽器などのアイテムが実在のものをモデルにしていたためそれらの商品の売り上げが一時的に上がるという動きがあったり[注 3]、『らき☆すた』においてオタク文化に精通している者でなければわからないようなパロディネタが作品に多数仕込まれるなど[注 4]、空気系作品ではその虚構世界の中に現実の要素が混入されており、それが消費されている面もある。[20][21]

発生・流行までの経緯

オタク文化において空気系の流行以前に台頭していた作品類型としては、1990年代後半以降にアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』を嚆矢として出現したセカイ系と呼ばれる作品群があり、日常生活を描く空気系とは対照的な世界規模の危機などを扱っていた。

1990年代後半からゼロ年代初頭にかけて、(成人向け)美少女ゲームの分野で作風や受容のされ方に変質がみられるようになる。もともと美少女ゲームでは、作中に登場する美少女キャラクターを「攻略」してポルノシーンを観賞するための手段として、そのキャラクターと仲良くなるための過程にあたる日常のシーンが存在した。しかし、1997年に発売された『To Heart』では、本来は手段であったはずの美少女キャラクターとの日常のやりとりのシーンがゲームの楽しみとして受容された。それ以降、『To Heart』のように美少女キャラクターとの日常会話などに主眼を置いた消費のされ方をする美少女ゲームが増えていき、このような傾向が、のちの空気系作品の作風に繋がっていった。[22]

1999年から、あずまきよひこによる4コマ漫画作品『あずまんが大王』の連載が開始された(2002年にテレビアニメ化)。女子高生たちのまったりとした学園生活を描いたこの作品が萌え4コマ・空気系というジャンルの嚆矢と考えられる[8][23]

2003年から連載の始まった谷川流ライトノベルシリーズ『涼宮ハルヒシリーズ』はセカイ系の作品例として挙げられることが多いが、評論家の宇野常寛は空気系としての性質も合わせ持った作風と評価し、2006年に『涼宮ハルヒの憂鬱』として京都アニメーションによってアニメ化された際には空気系のテイストが強調されるという形になっていると述べている。京都アニメーションはこの作品のヒット以降、『らき☆すた』『けいおん!』といった空気系作品のアニメ化を積極的に行っている。[9]

2007年にアニメ化された美水かがみの『らき☆すた』は、セカイ系の流行が過ぎ去って「物語の語りにくさ」が指摘される中で、物語性を放棄して二次創作の意欲を喚起するような魅力的なキャラクターによる人気によって支持を得た[24]。ただし、『涼宮ハルヒの憂鬱』『らき☆すた』の制作に関わった山本寛は、(『らき☆すた』のような)ネタ消費型アニメはその場しのぎのものと考えていて、今後は「物語の復権」の方法を模索する方向を目指したいと2009年の時点で発言している[25]。この作品のヒットをきっかけに、空気系の作風はライトノベルの分野に伝播し、作品舞台を学校の生徒会室の内部のみにほぼ限定した葵せきなの『生徒会の一存』といった作品が登場した[26]

2009年・2010年にはかきふらいの『けいおん!』がアニメ化されてヒットしたが、(空気系作品の特徴である)男性キャラクターやドラマツルギーの排除が徹底的であったことがヒットの理由だとアニメ評論家の氷川竜介はみており[27]黒瀬陽平はこの作品を空気系の到達点であると評している[28]

このほかゼロ年後半以降には、空気系らしい舞台設定ながらもタイトルに反した奇怪な設定の多い『日常』や(空気系作品でよく描かれる女子高生ではなく)男子高校生の描写を中心にすえた『男子高校生の日常』といったように、空気系の定型を少し外した作品が登場している[29]

今後の空気系の動きについて、社会学者宮台真司は2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響下の日本では『けいおん!』のような日常ドラマは今後厳しいと述べている[30]。宇野常寛も、東日本大震災の影響に言及しており、短期的には悲惨な災害の反動から空気系の流行が続くだろうが長期的に人気を維持するのは厳しく、最終的にはいわゆる「定番ジャンルのひとつ」に落ち着くだろうと予測している[31]

広義の空気系/メタ空気系

宇野常寛はオタクという文化的トライブの外で同時期(ゼロ年代)にみられる空気系と同様の傾向として、部活動を題材とした一連の日本の青春映画作品群(矢口史靖監督・アルタミラピクチャーズ制作の『ウォーターボーイズ』や『スウィングガールズ』など)を挙げている[9][32]。そこでは、純愛の成就や社会的に意義のある記録を打ち立てることではなく、部活動を通じて仲間と連帯することによる達成感が目的化している(アルタミラピクチャーズ・メソッド)。そして、この方法論に、「萌え」という要素を添加してオタク文化に取り込んだものが(狭義の)空気系作品と考えられるという。前述の矢口史靖監督作品では狭義の空気系と違って完全に異性キャラクターや恋愛要素が排除されているわけではないものの物語の中核には関与しないという形式がとられており、フォロワーともいえる類似した青春映画作品(『恋は五・七・五!』・『ブラブラバンバン』など)では同性だけのコミュニティというコンセプトは継承されていない[18][33]。さらに、物語系コンテンツ以外にも、女性アイドルグループAKB48のヒットも一連の空気系ブームの流れに位置づけることができるという[注 5]

このほか、宇野によればゼロ年代には空気系を自己言及的・批評的に捉えたメタ空気系ともいうべき作品がすでに登場しており、具体的にはテレビドラマ木更津キャッツアイ』・『仮面ライダー555』・アニメ『Angel Beats!』・映画『リンダ リンダ リンダ』を挙げている[34]。『木更津キャッアイ』[35]や『仮面ライダー555』[36]では、無時間的な場所設定や物語性の希薄化などの空気系的な設定を用いながらも、いつかは死ぬ生身の身体の有限性という現実の残酷さを描いている[注 6]。『Angel Beats!』はセカイ系と空気系の対立軸が打ち出されている面があり[37]、『リンダ リンダ リンダ』では、広義の空気系の発想を純化し、矢口史靖監督作品にみられる物語をドラマチックにするための演出(周囲との対立など)も極力排除することによって批評性を高めた作品となっている[38][39]

空気系アニメとアニメビジネスとの関係

ゼロ年代後半の空気系アニメのヒットの象徴ともいえる『らき☆すた』や『けいおん!』は、日本のコンテンツ産業が2005年~2006年頃をピークに縮小傾向にある中でDVDの累計売り上げ枚数がそれぞれ30万枚・50万枚近くに達しており[注 7]、主題歌・劇中歌の音楽CDなど他の関連グッズも含めて大きな商業的成功をおさめた[40]。他方、これら一部の大ヒット作を除けば、空気系アニメのDVDは、DVD売り上げランキングにはほとんどランクインすることがなく、またテレビ放送時の視聴率の観点からみても(他ジャンルのテレビアニメと比較して)特別によい成績をおさめているわけではない[41]

こういった事実にもかかわらず多数の空気系アニメが製作・放送される背景には、ランキング圏外程度の売り上げであっとしても収益率を考えれば十分に制作費を回収して採算がとれるという事情がある。また、21世紀初頭の日本のアニメビジネスでは、深夜アニメはその制作費の大半を(キャラクター商品の展開や広告収入ではなく)DVDの売り上げという形で回収するのが通例となっているが、セルDVDを多く売るためには「ストーリー性よりも萌えを重視したほうがよい」という定石があり、物語性を排除して多数の萌えキャラクターを効果的に配置した空気系アニメはそれに適した作品形態であるといえる。[42]

他の作品類型との関係

セカイ系
セカイ系は「社会領域(中景)を消去し、主人公の周辺の狭い関係(近景)と世界規模の大問題(遠景)を直結させる想像力」をさすが、評論家の前島賢は、セカイ系の興隆の影響下で誕生した新しいオタク文化での想像力(ポスト・セカイ系)のひとつとして、空気系を挙げている[43]。『けいおん!』はセカイ系の図式において中景だけでなく遠景までをも消去し、近景しか存在しないという構造をつくっている作品として言及されることがあるが[44]、いずれにせよ中景にあたる社会領域は消去されており、空気系のヒットは若者の社会に対する関心の衰退と関連づけられることがある[45]
セカイ系と空気系はしばしば対比させて言及される。山口直彦は、セカイ系では主人公とヒロインが「引き裂かれる」ことにリアリティを見出すのに対し、空気系は「引き裂かれることのない」日常空間にリアリティを見出すものとして対比した[46]宇野常寛は、セカイ系(や後述するバトルロワイヤル系)がポストモダン化の進行した現代社会の構造の比喩になっているのに対し[注 8]、空気系はそのような社会の「肌感覚を上手に切り取ったもの」であるため根本的にアプローチの仕方が異なっているという[48]。さらに、実写の映像作品の分野における(『世界の中心で、愛をさけぶ』などの)純愛ブームからアルタミラピクチャーズ・メソッドの青春映画への移行が、オタク文化におけるセカイ系から空気系への移行に対応しているとしている[9]。このほか、(セカイ系の流行の収束時期と空気系の黎明期がほぼ一致していることから)『エヴァ』に代表されるセカイ系の難解かつ肥大化する物語に疲弊した消費者が、単純で快楽的な空気系を好むようにシフトしたという見方もある[49]
バトルロワイヤル系
宇野常寛は著書『ゼロ年代の想像力』で、セカイ系に後続する想像力として特権的な「正義」が失墜し複数の小さな「正義」が入り乱れた闘争を描く「バトルロワイヤル系」の作品群(『DEATH NOTE』・『仮面ライダー龍騎』など)に注目した。このバイルロワイヤル系と空気系はつながりの社会性が浮上した現代的なコミュニケーション空間を前提として作品に織り込んだ点で共通しており[50][51]、特にバトルロワイヤル系の一部であるスクールカーストものと呼ばれるジャンル(学校内で場の空気を読みながら行われる緊張感に溢れた人間関係の駆け引き・闘争を描いたもの)では、空気系でしばしば舞台として選択される学校でのやりとりを描いている点も共通している。
他方、バトルロワイヤル系では現代的なコミュニケーション空間を現実認知としてシビアに描いているのに対し、空気系では消費者の嗜好に合わせて理想化させて描いているという意味では対照的である[50]
ハーレムもの
単一の男性主人公の周囲に多数のヒロインが配置されるという設定の作品のことで、日本のオタク系文化では空気系より以前からみられる。(例えば『ラブひな』のような)ハーレムものの人物配置から男性主人公(とそれに付随する恋愛要素)を消去すれば(例えば『あずまんが大王』のような)空気系になるともいえる[52]
ループもの
物語がある一定の期間を反復するようなタイムトラベル系のSFジャンルであるが、日本のオタク文化では空気系の作風のような延々と繰り返される日常(宮台真司のいう「終わりなき日常」)の比喩として使用されている面がある[53]。他方、空気系作品ではしばしば緩やかにではあるが時間の経過が描写されており、例えば『サザエさん』のように1年間をループさせて描く手法は取り入れていないことから「終わりなき日常」とは異なるという見方もできる[54]
泣きゲー
1990年代の終わり頃から広まった美少女ゲームのジャンルの一つに、キャラクターの言動に共感させ涙を流させるための作劇に特化した「泣きゲー」と呼ばれるものがある。このようなジャンルの作品でも、物語前半において主人公とヒロインのたわいもない会話や日常生活がたっぷりと時間をかけて描かれるが、これはヒロインをかけがえのない存在として印象付けることで、物語後半で発生するドラマチックな悲劇を際立たせるための布石である[55]。永遠に続くかのように思われた日常は事件によって暗転し、主人公とヒロインは引き裂かれ、プレイヤーは圧し掛かる重度のストレスの中、失われた平穏な日々に対するノスタルジーと現在の苦境との落差によって涙することになる[55]
なお、前述の葵せきなによるライトノベル『生徒会の一存』ではこうした約束事の順序を逆転させ、事件が起こった後で、取り戻したかった価値ある日常が続いていくという構図を描くことが試みられている[56]
百合
萌え4コマ・空気系作品の二次創作では、しばしば登場する女性キャラクター同士の恋愛・同性愛(百合)が描かれ、これは女性オタク(腐女子)が物語中の男性同士の関係性を同性愛に読み替えるやおい系二次創作と同型である。このような百合系二次創作の興隆はやおい系二次創作よりも時期としてはあとになって現れたことになるが、これには男女の社会的な立場の変化の影響が考えられる。すなわち、(女性による)やおい系二次創作の発展時期(1980年代)は、建前として男女平等が謳われても実際には既得権益が男性側によって独占され女性は被差別者として位置づけられていたために(空気系想像力が前提とする)つながりの社会性が前面化するポストモダン状況に彼女たちはいちはやく適応する必要があったが、ゼロ年代になって長期化する不況により男性側も既得権益を失いかつての女性たちと同様に位置に置かれた時期に、ちょうど(男性に消費される)空気系作品の百合的二次創作が勢いを増したと考えられる。[57]

脚注

注釈

  1. ^ 社会学者イヴ・セジウィックが論じたホモソーシャリティは(女性を媒介として強化される)男性同士の社会的な絆のことであるが、ここでは男女問わず同性同士の関係性をさしてホモソーシャルとしている。多数の美少女キャラクターが登場する一般的な空気系作品であれば女性のみのコミュニティであり、後述するアルタミラピクチャーズ的な青春映画では男性同士のコミュニティとなる場合もある。
  2. ^ 巡礼 (通俗)#聖地巡礼に関する論考を参照。
  3. ^ けいおん!#その他の論点を参照。
  4. ^ らき☆すた (アニメ)#その他関連等を参照。
  5. ^ AKB48#セカイ系・サヴァイヴ系・空気系を参照。
  6. ^ 木更津キャッツアイ』では主人公のぶっさんが病気により余命半年と宣告されていると設定されており、『仮面ライダー555』ではオルフェノクと呼ばれる怪人は体が時々刻々と壊死してゆくと設定されている。
  7. ^ 『けいおん!』については、第一期と第二期(『けいおん!!』)の合計枚数。
  8. ^ 宇野がセカイ系を論じる際には、前述したような「中景を短絡した近景と遠景の直結」よりも「男性主人公がポストモダン的なアイデンティティの欠落・不全を異性に全人格的に承認されることによって埋め合わせようとする」という点に注目している面が強い[47]。その立場からは、ポストモダンの到来によって崩壊した「大きな物語」を補完するものとして男性的な擬似人格ではなく女性による承認を利用するのがセカイ系であり、「(拡張性がありルール自体の改変可能性を有するような)大きなゲーム」を利用するのがバトルロワイヤル系となる。

出典

  1. ^ 『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』233頁。
  2. ^ 『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』235頁。
  3. ^ a b 金田一「乙」彦 『オタク語事典2』 美術出版社、2009年、18頁。ISBN 978-4568221336
  4. ^ 『“日常系アニメ”ヒットの法則』12頁。
  5. ^ 『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』233-234頁。
  6. ^ 「セカイ系と日常系」『ライトノベル研究序説』150頁。
  7. ^ 『“日常系アニメ”ヒットの法則』27-28頁。
  8. ^ a b c d 『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』234頁。
  9. ^ a b c d 宇野常寛「ポスト・ゼロ年代の想像力-ハイブリッド化と祝祭モデルについて」『思想地図〈vol.4〉特集・想像力』320頁。
  10. ^ 『リトル・ピープルの時代』27頁。
  11. ^ 宇野常寛 「5章「空気系」と擬似同性愛的コミュニケーション 3 「つながりの社会性」と空気系」『政治と文学の再設定』 集英社WEB文芸RENZABURO(2011年4月15日)
  12. ^ 『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』234頁。
  13. ^ 『“日常系アニメ”ヒットの法則』96-99頁。
  14. ^ 『“日常系アニメ”ヒットの法則』31頁。
  15. ^ 『ゼロ年代の想像力』297頁。
  16. ^ a b c d 宇野常寛 「5章「空気系」と擬似同性愛的コミュニケーション 1 「空気系」と萌え4コマ漫画」『政治と文学の再設定』 集英社WEB文芸RENZABURO(2011年3月18日)
  17. ^ 『ゼロ年代の想像力』298頁。
  18. ^ a b 宇野常寛「ポスト・ゼロ年代の想像力-ハイブリッド化と祝祭モデルについて」『思想地図〈vol.4〉特集・想像力』333頁(注釈10)。
  19. ^ 「ゼロ年代の想像力、その後」『ゼロ年代の想像力(文庫版)』419頁。
  20. ^ 『“日常系アニメ”ヒットの法則』99-106頁。
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参考文献

関連項目