溝渕増巳
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溝渕 増巳(みぞぶち ますみ、1900年〈明治33年〉11月28日 - 1984年〈昭和59年〉1月17日)は、高知県出身の政治家。公選第4代の高知県知事。在任期間は5期連続当選で1955年(昭和30年)12月12日 - 1975年(昭和50年)12月6日の20年間にわたって高知県の知事を務めた。
主な経歴[編集]
- 1948年(昭和23年)3月、国家地方警察本部次長就任。
- 1952年(昭和27年)2月26日、高知県副知事就任。
- 1955年(昭和30年)12月12日、高知県知事就任。
- 1958年(昭和33年)3月28日、財団法人土佐育英協会を設立し初代理事長となる。
- 1965年(昭和40年)3月、ブラジル訪問
- 1968年(昭和43年)3月15日、この年が明治100年にあたることから明治生まれの「明治青年隊」というチームを結成し15回よさこい祭に参加
- 1974年(昭和49年)8月、訪中し、中国残留孤児と面談。
- 1975年(昭和50年)7月28日、フィリピン共和国ベンゲット州と高知県の姉妹県州協定宣言を締結した。
- 1976年(昭和51年)4月29日、勲一等瑞宝章を受章。
逸話[編集]
- 高等小学校卒業後、大阪府巡査を経て独学で高等文官試験に合格して内務省に入省したという立志伝中の人。
- 1963年(昭和38年)に建設が始まった早明浦ダムの建設の際、記念の石碑を建てることとなった。そこには「四国はひとつ」という開発スローガンが刻まれる予定であったが、溝渕は開発一辺倒のスローガンに断固反対し、その文言を「四国のいのち」に変更させたという逸話がある。
著作[編集]
- 『民衆処遇の誡』大阪府警察部警務課、1937年6月。全国書誌番号:44019189。
- 『日本警察』松華堂、1939年3月。 NCID BN06601031。全国書誌番号:46068646。
- 『巡査の記録』立花書房、1950年12月。 NCID BN1499614X。全国書誌番号:51000828。
- 『県政二十年』高知新聞社、1977年9月。 NCID BN14344273。全国書誌番号:80001949。
外部リンク[編集]
公職 | ||
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先代 川村和嘉治 |
高知県知事 公選第4-8代:1955年 - 1975年 |
次代 中内力 |