比婆牛

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庄原市役所口和支所の前に立つモニュメント

比婆牛(ひばぎゅう[1])は、広島県比婆郡、現在の庄原市で育てられている黒毛和種、およびその精肉(ブランド牛)である。広島県産の統一ブランドは広島牛であり、比婆牛はその下に位置する地域ブランドになる。庄原農業協同組合が管理する地域団体商標

概要[編集]

歩留等級
A B C
肉質等級 5 A-5 B-5 C-5
4 A-4 B-4 C-4
3 A-3 B-3 C-3
2 A-2 B-2 C-2
1 A-1 B-1 C-1

定義[編集]

2014年制定された庄原市による比婆牛認証制度において、以下の通り定義されている[2]

  1. その牛の父、母の父、母の母の父のいずれかが広島県種雄牛であること。
  2. 庄原市内で生まれ、広島県内で最終・最長期間肥育されたこと。(平成30年6月1日現在)
  3. 肉質等級は3等級以上であること。
  4. 市が指定した県内のと畜場でと畜された黒毛和種の去勢牛または未経産牛であること。
  5. 市長が発行した「比婆牛素牛認定書」を有していること。

特徴[編集]

日本和牛4大ルーツの一つである岩倉蔓を起源とし、庄原市産の素牛を県内で飼育した血統牛のみを比婆牛ブランドと認定している[1][3]。1988年農林水産祭天皇杯受賞[1]。2016年地域団体商標登録[3]。トレードマークは岩倉蔓を作った岩倉家の蔵紋をモチーフにデザインされている[2]

肉としては公式では「鮮やかな紅色に繊細なサシが入り、深いコクや上品な香りが織り成す、豊かな味わい」が特徴としている[1][3]。牛としては飼育農家からすると、繁殖・産子共に良好で性格もおとなしく飼いやすい特徴がある[4][5]。ただし比婆牛ブランドが一度消えたことがあることもあり、認定頭数自体が少ないため2016年現在市場への肉の流通量は少ない[6][5][7]。地元関連団体であづま蔓振興会を結成、生産量増加や知名度アップに向けて取り組んでいる[1][6]

沿革[編集]

背景[編集]

吾妻山ロッジの遠景

産地である庄原市は、中国地方のほぼ中央に位置し中国山地内にある[8]。中国山地は丘陵地が連続し地質的には花崗岩が多く、気候は山間部特有のもので夏は涼しく比較的降水量がある[9]。そのため良質な牧草、つまり石灰分を多く含み多汁柔軟な牧草が育ちやすく、急峻な地形は肢蹄や角が丈夫な牛になりやすいことから、良い牛が生まれやすい環境にある[9]吾妻山道後山では夏から秋にかけて牛が放牧されている[4]

古くは、この地の牛は「役牛」として育てられた[4][10]。まず農耕用そして厩肥用に利用された[9]。現東城町の牛馬供養田楽である塩原の大山供養田植は中世から行われていたと推定されており[11]、一般に中国地方で牛の生産が定着したのは14世紀ごろとされている[9]

その後、農業に加えて運搬用に用いられるようになった[9]。特にこの地においては江戸時代広島藩事業であったたたら製鉄での役牛、つまり鉄や燃料用の木材や炭の運搬に用いられた[2][10]。この仕事は農民にとっては農閑期の重要な収入源であった[9]。たたらを営む鉄師は多くの牛馬を所有し、零細農家にその牛馬を貸し与えた[12]鉄穴流しの跡地を場に用い、その跡地を農地として転用する鉄穴流し込み田では牛を農耕に用いた[9][12]。そうして牛馬の飼育が活発となり、より良質な種を生み出すため交配による品種改良が行われていた[2][13]。そこから生まれた優秀な系統を中国山地では特に「蔓」と呼び、その牛を「蔓牛」と呼んだ[14]

岩倉蔓[編集]

岩倉
岩倉
竹の谷
竹の谷
周助
周助
ト蔵
ト蔵
神石
神石
大山
大山
大阪
大阪
広島
広島
比婆牛の位置

現在、全国和牛登録協会が認定している最古の4大蔓牛は以下の通り[15]

資料によっては竹の谷・岩倉・周助で3名蔓と呼ばれている[16]。この「岩倉蔓」が現代和牛としての比婆牛のルーツで、1843年(天保14年) 比和村布見(現比和町比和布見)の岩倉六右衛門が近親交配を重ねて育種したものである[15][17]。なお布見牛とも呼ばれていた[17]

近代に入り役牛に加えて肉食として用いる「役肉用牛」へと役割が移っていく。更に近代化によってたたら製鉄が斜陽化すると、その失業者の受け皿の一つとなったことでこの地の牧畜が活発化したと見られている[18]

宇品陸軍糧秣支廠。陸軍用の牛肉缶詰はここで作られた。現広島市郷土資料館

明治時代初期、岩倉蔓に加えて帝釈村(現東城町帝釈)の岸万四郎が生み出した「有実蔓」も知られるようになった[2]。1900年(明治33年)農商務省(現農林水産省経済産業省)によって近代的品種改良の拠点となる種畜牧場が山内東村七塚原(現山内町)に整備され[19]、同年開催された第1回中国5県総合共進会において布見牛(岩倉蔓)が農商務大臣賞を受賞している[17]。また明治時代には八幡や美古登・口北や小奴可と各村に蔓牛が誕生している[17][20]。蔓牛は通常より割高で売買された[16]。なお明治期に著名な蔓とデボン種ショートホーン種などの外国種との交配が行われているが、岩倉蔓は外国種との交配が行われた記録は残っていない[21]

比婆牛は役肉用牛としてだんだん全国に知られるようになる[4]日清戦争日露戦争・第一次世界大戦後の大正バブルを経て日本の牛肉消費量は著しく増大した[22]。日清戦争時の軍需産業となった広島市の缶詰製造は日露戦争時に国内有数の規模にまで達し、その中で当時国内トップシェアとなった広島産の牛肉缶詰の原材料として神石郡産の神石牛とともに比婆牛が用いられた[23]

あづま蔓[編集]

大正天皇大喪の礼での御轜車。どちらの牛か不明。

1927年(昭和2年)2月7日大正天皇大喪の礼の際、神石牛「豊萬」号と共に八幡村(現東城町八幡地区)の「八幡」号が御轜車奉引牛に選ばれている。従来は京都丹波牛から選ばれており、それ以外では初めてのことだった。なおこの時期の広島和牛の代名詞的な存在は神石牛の方であった[24]

昭和に入ってからの調査で、岩倉・有実の両蔓の雄系をたどると1918年(大正7年)誕生した種雄牛「第10野田屋」号に収束することがわかったため、これに近代的な集団育種を進めるため1948年(昭和23年)あづま蔓造成組合が発足、そこから新蔓牛が誕生した[15][2]。これが現在の比婆牛の基礎になる「あづま蔓」である[15]。1952年(昭和27年)あづま蔓牛組合があつた蔓牛組合と共に国内初の公認蔓牛組合として全国和牛登録協会に認定されている[25]

一方、1950年代に入るとトラクターや自動車の普及つまり農耕・運搬の機械化によって役牛としての需要は急速に減り、完全に肉用牛として飼われるようになる[4][26]

比和町にあるあづま蔓のモニュメント[27]

このあづま蔓から優秀な種雄牛が誕生した。直系種で全国和牛登録協会育種登録第1号となり1953年(昭和28年)第1回全国和牛共進会(全国和牛能力共進会の前身)で名誉総裁高松宮杯を受賞した「第21深川」号[28]、三元交配種でその子孫が第1回・第2回全国和牛能力共進会で1等賞に入賞している「第38の1岩田」号[29]、などである。また役牛から肉牛への用途に転換していく中であづま蔓の欠点だった前躯幅の改善を図るため、1959年(昭和34年)全国和牛登録協会主導により但馬系統「茂金波」の精液が導入され系統間交配が行われ、「乙社6」号や「9中丸」号といった新たな種雄牛が誕生した[4][2][30]。これが第4回・第5回全国和牛能力共進会で内閣総理大臣賞、1988年(昭和63年)農林水産祭で畜産部門最高賞である天皇杯を受賞した[15][2]

こうした受賞が全国での比婆牛の名を高めた[15]

ブランド消滅[編集]

高度経済成長以降農村部での離農が進み、農耕の機械化によって牛の飼育頭数は減少した[26][31]。共進会で優秀な成績を収めていた広島県産の和牛は他県の家畜改良事業団に売られていたほどであったものの、広島県でも同様の傾向にあった[26][31]。更に日米貿易摩擦によって牛肉の輸入自由化が迫っていた[22][31]。また当時比婆牛の生産者はその誇りから、優秀な他県産や同県の神石産であってもその血を導入することを嫌がったため、専門家によって比婆牛の近交係数上昇が問題視されていた[31]

そうした中で1972年(昭和47年)農林省(現農林水産省)肉用牛育種集団事業の開始を受けて広島県では他産地との差別化戦略として県統一ブランド「広島牛」造成に着手する[31][6]。産地特性を活かすため比婆牛と神石牛との系統間交配で造成することとなり、同時に広島牛の定義や市場へ出すブランドを広島牛で統一することなどブランド戦略を練り、1986年(昭和61年)市場に公表した[4][31][30][32]

この時点で比婆牛ブランドの牛肉は表向きには消滅した[32][6]。ただ上記の通り共進会などでは好成績を収めていた。

復活[編集]

GATTウルグアイ・ラウンド以降の1995年(平成7年)から牛肉輸入枠が撤廃されるものの和牛が高付加価値商品として生き残れると認識されたことで肉量重視から肉質重視へと変わり、2001年(平成13年)からのBSE問題、2003年(平成15年)からの平成の市町村大合併、などから日本各地で差別化として和牛地域ブランドは増加した[31][30]。ただ広島牛は、生産者の高齢化などによって飼育頭数は減少したことに加え、和牛への評価基準が変わったもののその対応は後手を踏んでいたこともあって、他県産ブランドに対抗できなくなってしまった[26][32][6][33]。また日豪EPATPPなどの交渉が進む中で今後更に牛肉市場で厳しい状況になることが予想された[26]

そうした中で広島県でブランドの再構築が行われた[34][32]。これは血統に着目したもので、2013年(平成25年)新たな県域ブランド「広島血統和牛元就」を立ち上げ、これに続いて比婆牛・神石牛が地域ブランドとして復活することになった[35][32][6]

これにあわせて庄原市関係機関における比婆牛ブランドの再構築が行われた。2014年(平成26年)生産者・庄原市・JA庄原など関係機関7団体で「あづま蔓振興会」を設立、比婆牛ブランドの新たな認証制度を構築し広報および販売に取り組んでいる[34][6]。比婆牛ブランド再建の一環として地域団体商標へ出願、2016年(平成28年)節目となる600件目として登録された[3]。なお広島県産和牛としては初めてのことになる[3]

文化[編集]

口和モーモー祭り[編集]

旧口和町が共進会での好成績を受けて、1988年から隔年秋に開催している祭り[33]。 牛に絡んだ各種イベント、牛肉の販売や焼肉コーナーなど各種開催されている。

大仙信仰と牛供養[編集]

伯耆大山周辺の地域、伯耆・出雲・美作・備中北部・備後北部一帯には大山智明大権現信仰が盛んであった[11]。古来には大山山頂の地蔵菩薩を信仰し、そこから平安時代末に牛馬信仰へと育まれた[36]

智明権現は大仙さんとも呼び、現在の庄原市域には大仙信仰と牛供養に関係する文化が残っている[11]。各地区ごとに大仙神社(大山神社)を勧請し、定期的に大仙祭りが行われた[13][11]。また大仙祭りとは別に牛馬供養田楽が行われ、そのいくつかが無形民俗文化財に指定されている[11]

  • 塩原の大山供養田植 - 東城町塩原。国指定[11]
  • 比和牛供養田植 - 比和町。県指定[11]
  • 牛供養『花田植』 - 庄原市域。市指定[11]
  • 八鳥牛供養花田植 - 西城町八鳥。市指定[11]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e 商品提案書 - 比婆牛 (PDF)”. 広島県. 2018年12月7日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 比婆牛”. JA全農ひろしま. 2018年12月7日閲覧。
  3. ^ a b c d e 600件目の地域団体商標「比婆牛」が登録されました”. 経済産業省 (2016年6月17日). 2018年12月7日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 広島牛(ひろしまぎゅう)”. ひろしま文化大百科. 2018年12月7日閲覧。
  5. ^ a b 広報 2014, p. 8.
  6. ^ a b c d e f g あづま蔓振興会インタビュー 歴史と伝統を受け継ぐ比婆牛”. 広島県産応援登録制度. 2018年12月7日閲覧。
  7. ^ 政野太 庄原市議 (2016年7月1日). “比婆牛”. 政野太オフィシャルサイト. 2018年12月7日閲覧。
  8. ^ 庄原市の位置と地勢”. 庄原市. 2018年12月7日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g 砂防 2018, p. 22.
  10. ^ a b 畜産組合 1917, p. 5.
  11. ^ a b c d e f g h i 民俗文化財”. 庄原市. 2018年12月7日閲覧。
  12. ^ a b 和牛 鉄師が品種改良主導”. 山陰中央新報 (2015年4月20日). 2018年12月7日閲覧。
  13. ^ a b 畜産組合 1917, p. 6.
  14. ^ 蔓牛”. コトバンク. 2018年12月7日閲覧。
  15. ^ a b c d e f 広報 2014, p. 3.
  16. ^ a b 岡山県畜産史 第2編第2章第2節1.藩政時代までの畜牛の改良”. 岡山県畜産協会. 2018年12月7日閲覧。
  17. ^ a b c d 畜産組合 1917, p. 24.
  18. ^ 砂防 2018, p. 3.
  19. ^ 畜産組合 1917, p. 27.
  20. ^ 畜産試験場彙報. 第32号』畜産試験場、1937年。2018年12月7日閲覧。
  21. ^ 岡山県畜産史 第2編第2章第2節2.明治年代における和牛の改良”. 岡山県畜産協会. 2018年12月7日閲覧。
  22. ^ a b 肉用牛の歴史 明治以降”. 全国肉用牛振興基金協会. 2018年12月7日閲覧。
  23. ^ 広島県産業誌 : 郷土の商工経営と特産業の現勢』広島県立広島商業学校実業調査部、1937年、69-74頁。2018年12月7日閲覧。
  24. ^ 神石牛”. JA全農ひろしま. 2018年12月7日閲覧。
  25. ^ 第2編第2章第2節4.昭和戦後期における和牛の改良と登録”. 岡山県畜産協会. 2018年12月7日閲覧。
  26. ^ a b c d e 広報 2014, p. 4.
  27. ^ 「あづま蔓」種牛像”. 四津井工房. 2018年12月7日閲覧。
  28. ^ 第21深川”. JA全農ひろしま. 2018年12月7日閲覧。
  29. ^ 第38の1岩田”. JA全農ひろしま. 2018年12月7日閲覧。
  30. ^ a b c 広島牛の歴史”. 広島牛特産化促進対策協議会. 2018年12月7日閲覧。
  31. ^ a b c d e f g 新宅菜乃子「防波堤としてのブランド牛造成―日本牛肉ビジネスの新たな戦略― (PDF) 」 『政策科学 19巻4号』、立命大学、2012年3月、2018年12月7日閲覧。
  32. ^ a b c d e 「比婆牛」「神石牛」「広島牛」「広島和牛元就」その違いは何?”. リビングひろしま. 2018年12月7日閲覧。
  33. ^ a b モーモー祭りとは”. 口和モーモー祭り. 2018年12月7日閲覧。
  34. ^ a b 広報 2014, p. 6.
  35. ^ 広報 2014, p. 5.
  36. ^ 「大山さんのおかげ」 ―「神坐います山」に生まれた「地蔵信仰」―”. 米子市. 2018年12月7日閲覧。

参考資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]