三輪素麺

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三輪素麺の調理例。錦糸卵、海老、シイタケが添えてある。

三輪素麺(みわそうめん)は、奈良県桜井市を中心とした三輪地方で生産されている素麺(そうめん)で、特産品となっている。三輪地方はそうめん発祥の地とも言われる。

歴史[編集]

奈良時代の、遣唐使により、小麦栽培・製粉技術、製麺方法が伝えられたとされている。『延喜式』(平安時代中期)に書かれた唐から伝来した唐菓子の一つの、索餅(和名「麦縄」とも言う)が原型で派生変化したとの説がある。索餅は、小麦粉と米粉に塩を加えて縄状にした乾麵だが、詳しい形状は伝わらず、索餅という名から素麺饂飩よりも太いとの推定もされている[1]奈良時代には索餅は米の端境期を乗り越える夏の保存食であり、長屋王邸宅跡(奈良市)から出土した木簡の記載が最も古い記録である。『正倉院文書』にも平城京での索餅の取引きの記録が残る。

伝説では、大和三輪において紀元前91年(崇神天皇7年)、大物主命の五世の孫である大田子根子命大神神社の大神主に任ぜられ、その十二世の孫である従五位上大神朝臣狭井久佐の次男穀主が飢饉と疫病に苦しむ民の救済を祈願したところ、神の啓示を賜り三輪の地で小麦をつくり、そうめんを初めて作ったという[2]。この縁で、大神神社祭神は素麺作りの守護神とされ、毎年2月5日には、その年の生産者と卸業者の初取引の卸値の参考価格を神前で占う「卜定祭」が営まれている[3]

製法と特徴[編集]

店舗で売られている「神杉」「緒環」「誉」。同値だと銘柄により分量に差がある

原料に小麦粉を使い極寒期に手延べ法により精製したもので、腰のしっかりした煮くずれしにくい独特の歯ごたえと舌ざわりの良さを特徴とする。製造から1年以上寝かしたものを『古物(ひねもの)』、2年以上は『大古(おおひね)』と呼ばれ珍重される。伝統ある三輪では、昔はそうめんのランク(細さ)を上から、

  • 神杉(かみすぎ)…極細の最高級品
  • 緒環(おだまき)・・・神杉より少々太い高級品
  • 瑞垣(みずがき)・・・誉より少し細い高級品
  • (ほまれ)・・・通常の三輪そうめん

の大きく4つに区分していた。しかし最近は各メーカーで独自に生産するそうめんの方が細くなり、この区分は不明確となっている。一般的には瑞垣(鳥居の金帯)、(鳥居の黒帯)という大まかな区分けがされている。

本来国内産の麦はグルテン量が少なく、細く作ることには不適なことから外麦が常態となった近現代で初めて今のような細さが実現できた、と考えるほうがよさそうである。 細さでは三輪山本の白髪・白龍、あるいは池利の蒼龍の糸など、細さを極限まで追求したこだわり麺もある。ただし白髪・白龍などは長崎県で製麺しており、三輪そうめんと表示されていない。

産地表示違反問題[編集]

2002年7月に大手の販売業者3社が長崎県産の素麺を『三輪そうめん』として販売していたとして、農水省の立入検査と改善の指導を受けている[4]

三輪に本社を置く各企業が作るそうめんと、生産者の団体「奈良県三輪素麺工業協同組合」が取り仕切るそうめんの2つがある。長崎県産を仕入れながら「三輪」の表示を使用していた大手そうめん業者に対し、工業協同組合は三輪で作られたものでしか「三輪そうめん」と呼べないとし、鳥居のマークをその依りどころとした。また組合として各企業に工業組合員生産のそうめんを仕入れるように依頼している。そのため各メーカーは自社で作る三輪そうめんとともに、組合を通したそうめんも販売している。メーカーは自社販売品のうち三輪での生産ではない場合、三輪そうめんとは表示しなくなった。長崎県産の素麺の市場価格が三輪と比較してずっと安価であったため、三輪素麺の安定供給のために常習的に使用していた。

奈良県桜井市「そうめん条例」を制定[編集]

桜井市「そうめん条例」が制定され、三輪素麺の普及のために、三輪素麺を食べる習慣を広め、伝統文化への理解の促進を目的に、市が、三輪素麺の普及を促進するために必要な措置を講じるよう努める、と市と事業者の取り組みに市民の協力を求めるもの[5]

参考文献[編集]

  • 奥村彪生 『日本めん食文化の一三〇〇年』 (増補版第1刷版) 農山漁村文化協会、2014年ISBN 9784540111730 

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

奈良県三輪素麺工業協同組合