日野菜
日野菜(ひのな)とは、滋賀県蒲生郡日野町鎌掛(かいがけ)が原産のカブの一種、伝統野菜である[1][2][3]。現在では九州~信越の幅広い地域で栽培されており、滋賀県発祥の野菜の中では全国に広まった最も有名な野菜であると言われている[1]。また、日野菜を使った日野菜漬けは、滋賀県名物の漬物として高い知名度を誇っている[1]。なお、古来より発祥地では「あかな」と呼ばれているという[2][1]。
解説[編集]
元来は、湖東の日野町で永らく栽培されてきた日野菜は、現在、湖南の草津市で最も多く栽培されている[2]。また、滋賀県内で生産される日野菜の種子のほとんどは、発祥地である日野で生産されている[1]。滋賀県内では、日野菜をカブラの一品種ではなく、日野菜として独立して扱い、漬物としてのみ食されている[1]。また、湖南の大津市や草津市などの人口の多い地域では毎年11月頃に八百屋やスーパーで漬物用に束にして少し干した物も売られる事がある他、近年では、簡単な塩漬けや酢漬けでも、家で漬けなくなってきているという事情もあることから、既に漬けられた後の物もよく売られている[1]。そして、そのような日野菜は、今も、農村のみならず都市部でもさくら漬やぬか漬等で、食されている[2][4][1]。
更に、近年では、漬物以外の新たな利用法も編み出され始めている[4]。
日野菜の栽培[編集]
前述のように発祥の地、日野町鎌掛地区の他、南比都佐地区、必佐地区、西大路地区を中心とした農家では、現在でも日野菜が栽培されている[1][3][2]。現代では、真夏を除いていつでも栽培することができる日野菜ではあるが、本来は夏から冬にかけて栽培するのが一般的であるとされている[1][3]。梅雨明け頃から10月上旬にかけて、何度も種を播き、その後40~50日の間に収穫していく[1][3]。この際何度も種を播くことで収穫時期を長くする事ができる。この中で、9月下旬に種を播き、吹き付ける風が冷たくなる11月中旬ぐらいに収穫するものが最も美味で、色も美しいとされている[1][3]。
現代では転作等の影響で、水田等でも作付けすることは可能であるが、本来は畑で作る方がよいとされている[1]。なぜなら、根が長く伸びるよう深く耕す為に、畝を高めにすることができるからである[1]。畝は幅1mで、そこに4筋に種を蒔き、成長するに従い、おおよそ3回間引きをする[1]。この間引きは最終的に苗が、ちょうど握りこぶし一つ程度の間隔になる様にすると良いとされている[1]。日野菜は、発芽率が高く、その成長も安定的に育つので、比較的栽培しやすい野菜であるが、形が良く美しいものを作り出すには、手間と技術が必要であるという[1]。
また、前述したように日野菜は、現在草津市での栽培量が最も多い。科学的な詳細は未だ分かっていないが、一般によく言われているのは日野町の畑地は古琵琶湖層の段丘が発違した所にあり、その土質は灰色低地土かあるいは黒墨土であるため、良好な土壌であるとは言えない[2]。しかし、土地が肥沃すぎると日野菜の葉は大きくなり、味も細やかで繊細でなくなり、日野菜の美味さの特徴が薄れることから、逆にこのような少し痩せた土地での栽培が適していると言えるということである[2]。
日野菜の歴史[編集]
日野菜はその昔、室町時代、1470年代に当地の領主であった蒲生貞秀が、自身の居城である音羽城の付近の爺父渓(現在の日野町鎌掛)の観音堂に参詣した際、当地の山林で自生していた野菜を発見し、その菜を漬物にしたところ、色、味のいずれも、大変風流で雅なものであった[5]。そこで観音堂の僧に命じて菜が野生していた場所を開墾し、栽培させた[5]。その後、それを京の公家、飛鳥井雅親に贈り、さらに、時の天皇、後柏原帝に献上されその時、その漬物の美味しさをお喜びになり、その公家を前に、帝が次の和歌がお贈りになられたという所にまで、歴史は遡る[5][6][1][3]。
- 『近江なる ひものの里の さくら漬 これぞ小春の しるしなるらん』
この和歌が読まれた後に、この菜を日野菜とよび、漬物を「さくら漬」と呼ぶようになったとされている[6][1]。また、この時以降、蒲生氏が京へ上洛する際は、必ず、「さくら漬」を持参し献上していたという[6]。
江戸時代に入り、近江国が彦根藩井伊家の治める地域となると、その独特の風味が藩主の好みに合ったために御殿野菜として門外不出になったという[6](ただし、日野は彦根藩の領地ではなく、仁正寺藩市橋家領や水口藩加藤家領、幕府直轄領がほとんどである。)。
その後、時代はさらに下り、明治から大正の頃にかけて、吉村源佐衛門、吉村源兵衛という商人の親子がまず、日野菜の栽培について研究した上で、種子の改良を加えた[2]。更に源兵衛の息子、正治郎が、風媒、虫媒による変種をさける工夫を行ったうえで共同栽培地を選定し、乱売の発生による品質の低下を避け、地域住民に良質の種子を販売した結果、今ある、根が直径が五百円玉と同等のサイズ、長さが約40cm程度という細長く、上部が紅紫色で下の部分の白色であり、葉は濃い紅紫色をした日野菜に改良したといわれている[2][1]。
日野菜の漬物[編集]
前述のように、日野菜は漬物にして食されることがほとんどである[1]。この漬物は、塩味と苦さが入り交じった独特の辛みが特徴で、極めて美味であり、酒のアテや御飯にあうという[1]。一方、塩分を薄めにし、あっさりと漬けたさくら漬は、漬物であるにも関わらずサラダの様であり、その桜色の美しい色と葉の緑色は、他の漬物を寄せ付けない艶やかさを持っており、見る者の食欲をそそるという[2]。この美しさは前述したとおり、後柏原天皇の賛美の声を頂戴したほどである[1]。
関連項目[編集]
脚註[編集]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w “再発見!滋賀の伝統野菜 : 滋賀の伝統野菜:日野町日野菜”. 近畿農政局ホームページ(農林水産省) (2001年11月). 2011年9月7日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年2月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 日野菜(研究論文PDF)[リンク切れ](琵琶湖研究所)中島拓男著 2013年2月22日閲覧
- ^ a b c d e f 近江日野産 日野菜 日野町商工協会 2013年2月22日閲覧
- ^ a b 日野菜の新たなステージ! 滋賀報知新聞2009年6月7日配信 2013年2月22日閲覧
- ^ a b c 『近江蒲生郡志』
- ^ a b c d 『近江日野町志』