近親交配
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近親交配(きんしんこうはい、英: inbreeding)とは、親縁係数が0でない個体同士を掛け合わせること。内系交配、インブリード、インブリーディング、クロスとも。同一個体で行われる場合は、自家受精(植物の場合は自家受粉)という。これは一般的には好ましくないものとされ、生物にはそれを避ける仕組みを持つものが様々な群で知られる。
近親交配の危険性[編集]
近親交配の特徴は、両親の血縁が近いため、その両者が共通の劣性遺伝子を持っている可能性が高くなることである(ここで言う優性劣性とは、形質の優劣の意味ではなく、遺伝学の用語である)。有性生殖をする生物の多くは(性染色体などの例外を除き)遺伝因子一つにつき一対(二つ)の遺伝子を持っている。一方は父親から、もう一方は母親から受け継いだものである。どちらか片親からその遺伝子をもらっただけで形質に現れる遺伝子を優性の遺伝子、両親から同一の遺伝子をもらった場合のみにその形質が現れるのを劣性の遺伝子という。
例えばABO式血液型では、A型とB型の遺伝子が優性、O型の遺伝子は劣性である。一般的に血液型と言われる表現型のO型は両方の親からO型の遺伝子を受け継がなければ発現しない(子に引き継がれた遺伝子がAとOならA型が、BとOならB型が発現し、OとOの場合のみO型が発現する。詳しくは、ABO式血液型の項目を参照)。また耳垢は湿性が優性で乾性が劣性である。
遺伝子の中には耳垢のように生存に無関係のものが多いが、有利・不利をもたらすものもある。それらはそれぞれ優性(顕性)の場合もあれば劣性(潜性)の場合もある。集団内で見れば、生存に不利な遺伝子のうち、優性のものは高い頻度で発現する。そのような遺伝子を受け継いだ個体は生存と繁殖上不利であるから自然選択によって取り除かれる。一方、遺伝学における劣性であり、かつ生存に不利な遺伝子は、その発現のしにくさゆえに取り除かれにくい。そのため、現生生物のほとんどの種では生存上不利な遺伝子は、突然変異を除けば、おおむね劣性遺伝子として伝えられている。また、そのような不利な劣性遺伝子を持つ系統は、持たない系統に比べて繁殖上やや不利であり、集団全体から見れば不利な劣性遺伝子の割合も少数派になるのが普通である。
個体について言えば、一般的な交配(血縁関係の遠い個体との交配)ではそのような少数派の劣性遺伝子を両親とも偶然に持っていることは少ない。親の一方から少数派の遺伝子を受け継いでも、もう一方からそれを打ち消すような優性の遺伝子を受け継ぐ可能性が高く、結果としてその形質が子供に現れる可能性は低まる。しかし近親交配の場合には、両親が同じ劣性遺伝子を持つ可能性が高いため、その劣性遺伝子が子に伝わって発現する可能性が高まる。端的に言えば先天性の病気や障害が起きやすくなるのである。[要検証 ]
実際の生物での近親交配[編集]
近親交配を繰り返した場合には劣性遺伝子という形で隠蔽されている、障害をもたらしたり致死性のある遺伝子が顕在化しやすく、内臓疾患や骨格異常などの先天性異常が発生しやすくなる(近交退化、または雑種強勢の対語的に近親弱勢)。ただし、すべての障害性、致死性の遺伝子が劣性遺伝子というわけではなく、例えば骨格異常の遺伝子は優性形質であることも多い。希少野生動植物種の場合、その個体群がある程度以上小さくなると、必然的に近親交配が起こりやすくなり、個体の生存、あるいは子孫を残すのに不利な遺伝子が顕在化する。そのためそれぞれの種には絶滅を回避し自然状態で種を存続できる最低限の規模があり、生存個体数がその規模を下回っているかどうかも保護の判断基準の一つである。
個体数が充分な自然状態では、一般に近親交配は起きにくい(全く起きないわけではない)。それは多くの生物が近親交配を避けるメカニズムを持っているからである(より厳密に表現すれば、近親交配は劣性遺伝子の発現という問題の他に遺伝子の多様性の低下をもたらす原因となり、伝染性の病気などへの耐性が低くなる。そのため近親交配を避けるメカニズムを持った個体(あるいはグループ)が自然選択によって残り繁栄した)。 実際に、生物それぞれに、様々な形で近親交配を避けるようなしくみが知られている。被子植物では、多くの花に雄蘂と雌蘂が共存するが、どちらかが先に成熟するなど、自家受粉を妨げるようになっているものも多い(自家不和合性)。しかし、一部のダニなど特殊な環境で生きる昆虫では、ほとんど近親交配のみで繁殖していることが知られている。この場合、(突然変異を考えなければ)全ての遺伝子のホモ化が行われ、致死性の形質を持つ遺伝子は淘汰されていると考えられる。
近親交配の利用[編集]
品種改良において望ましい形質が頻度の低い劣性遺伝子に基づいている場合、その遺伝子のホモ接合によって、形質を顕在化して固定する効果があるために、近親交配が有効な手段となる。競走馬や食用牛の品種改良の際に、親の持つ好ましい形質を簡単に導入する手段として広く用いられている。たとえば望ましい形質を持つ個体が出現した際、その形質を再び出現させるためにその親と交配させるのは戻し交配といって品種改良における手法の一つとされる。
一方でこうした近親交配の弊害が、飼育動物や栽培植物には野生種と比べての脆弱性として表れていると考えられるものが少なくない。ウシやブタのような経済動物では効率の観点から病原性の血統は除かれるが、趣味性の高い競走馬や愛玩用のイヌネコ等の品種には、特定の遺伝病が顕著に多発する例が少なくない。
生物学においては、マウスなどの実験動物から遺伝的に均一な集団を得る目的で用いられる。そのようにして得られた系統は、時に近交系と呼ばれる。マウスにおいてはイギリスのキャッスルの元で近交系マウスの樹立が行われ、癌に関する遺伝子研究等において不可欠となった[1]。
ペットの近親交配については野放しに近い状態が続いていたが、先天性異常を持つ個体の増加につながるとの批判があるため、近親交配がおこなわれた場合には血統書を発行しないなどの措置がとられつつある。
他方競走馬も近年は近親交配が避けられる傾向にある。もっとも競走馬の近交係数(親縁係数)は、もともと他の家畜に比べれば低いほうで、コロナティオン(両親の片親が同じ、近交係数約14%)のような近交は例外的である。日本ダービー史上最も近交係数の高い馬は約4%の値を持つフサイチコンコルドだが、この馬にしても2005年に北海道で生まれた雌牛の平均近交係数5.9%よりも低い値に過ぎない。また、かつては逆に8代以内に共通祖先がいないなど自然条件下ではまずありえないであろう配合も試されたがこちらも現在では無意味だと考えられている。
人間の近親交配[編集]
近親相姦と近親交配の用語は似ているようで異なる。近親交配は遺伝的な問題を重視するためそれは自然科学的用語である。一方、近親相姦の用語は文化的なタブーから発生した用語で、人文科学的、あるいは社会科学的な用語である。
歴史的に近親婚は、地位や財産の一族外への散逸を防ぐため、東洋・西洋とも王族・貴族間では慣例的に広まっていた。有名な例では、スペイン・ハプスブルク朝では、血族同士の結婚を繰り返し、17世紀末には虚弱な人物ばかりが誕生するようになり断絶するに至った。その典型例である最後の王カルロス2世は、伯父と姪の婚姻の結果であるとみられている。ベラスケスの肖像画で知られる同母姉マルガリータ王女は、父方の従兄・母方の叔父にあたるレオポルト1世と結婚し、夫妻の間に生まれた4人中3人の子が1歳未満で夭折(死去)した。
日本でも近親婚の風習は戦前までよく見られた。戦後に制定された民法により、三親等内の婚姻は禁止されている(民法734条)が、近親婚の風習が残る地域もある。
古代においては、皇族は、豪族・貴族に対して、神聖さを強調するために、近親婚が当たり前のように行われた。例えば、天武天皇は、兄の天智天皇の皇女で、天武からみればめいである持統天皇を皇后とし、その間に生まれた草壁皇子を皇太子として、その男系子孫に皇位を継がせようとした。しかし、天武天皇と持統天皇の男系子孫にあたる、草壁皇子と文武天皇、基王は、近親婚の結果としての虚弱体質が祟り、早死にしてしまう。聖武天皇は50代まで長生きするが、生涯病弱であった。
また世界的にみて、いとこ婚のような比較的血縁の近い者どうしの婚姻の頻度が高い地域特に中近東、ロシア系ユダヤ教徒内にあるが、遺伝的背景による精神的または体格的障害児が頻繁に生まれやすくなることが報告されている。現在のロシア、ユダヤ教ではこの風習を完全に控える事が一般的である。
逆に創世神話・伝説等には英雄や神が近親婚や近親相姦によって生まれたとの伝承がある例が広く見られる。これはむしろ、その生まれの特殊性を示すためと考えられている。あるいは人間との違いが強調されているか、または作り話であることが示唆されるものである。
脚注[編集]
- ^ 浅島・武田編(2007)、p.4
参考文献[編集]
- 浅島誠、武田洋幸 『シリーズ21世紀の動物科学 5 発生』培風館、2007年。ISBN 978-4-563-08285-7。