大阪市立扇町総合高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
扇町総合高等学校から転送)
ナビゲーションに移動 検索に移動
大阪市立扇町総合高等学校
大阪市立扇町総合高等学校(2008年4月)
過去の名称 大阪市立扇町商業学校
大阪市立扇町商業高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 Flag of Osaka, Osaka.svg 大阪市
学区 大阪府全域
併合学校 大阪市立靱商業学校
大阪市立中之島女子商業学校
校訓 熟慮・誠信・克己
設立年月日 1923年
創立記念日 4月10日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 単位制
設置学科 総合学科
学期 2学期制
高校コード 27226E
所在地 530-0037
大阪府大阪市北区松ヶ枝町1-38
外部リンク 公式サイト
Portal.svg ウィキポータル 教育
Project.svg ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

大阪市立扇町総合高等学校(おおさかしりつ おうぎまちそうごう こうとうがっこう)は、大阪市北区松ヶ枝町にある総合学科公立高等学校

概要[編集]

かつては商業科を設置する商業高等学校で、校名も扇町商業高等学校だった。2001年度に総合学科に改編し、それに併せて現在の扇町総合高校へと改称した。

計画的に専門的な知識・技術を身につけるための配慮として科目種別ごとに6つの系列が設置されている。選択した系列により卒業後の進路が大きく左右されるため、1年次に各系列についての説明を受けて系列を選択し、2年次よりそれぞれ系列に分かれ専門的科目を学ぶこととなる。原則的に1年次に決定した系列は変更できない。 (各系列についての説明は大阪市立扇町総合高等学校#系列を参照されたい)

2017年7月14日の大阪市教育委員会議に於いて、2022年4月に扇町総合高等学校、大阪市立西高等学校大阪市立南高等学校の大阪市立三高校を一校に統合し、扇町総合高等学校の校地内に新しい普通科系高校を新設開校させる計画が原案どおり了承された。

系列[編集]

大阪文化系列
大阪の歴史・文化を中心に英語・古典・歴史などの文系科目を学ぶ。大阪の寺院・碑文を実際に訪問して歴史を学ぶこともある。おもに人文系・社会学系・語学系大学への進学を目指す。
会計ビジネス系列
簿記会計を中心に経営・経済について学ぶ。簿記検定や電卓検定など多くの資格取得にも挑戦できる。卒業後は就職するものや経営系・商学系の大学へ進学する者が多い。
環境科学系列
理系科目を中心に環境について学ぶ。川の水質調査などにも積極的に取り組んでいる。また、危険物取扱者毒物劇物取扱責任者などの難易度の高い資格取得にも挑戦できる。理系・看護医療系大学への進学を目指す。
国際観光系列
語学・地理文化を中心に旅行業務や観光業務について学ぶ。観光業務の模擬実習も行い、参加費無料のバスツアーを生徒が実際に企画・開催することが卒業演習ともなっている。商業・観光・語学系大学への進学を目指す。
情報ネットワーク系列
ネットワーク構築・プログラミングなど工業商業両面のIT技術を学ぶ。また、情報の収集・加工・発信といったプレゼンテーション能力についても学び、各種大会にも多く参加し成果をあげている。工業・商業・情報系の大学への進学を目指す。
マーケティングデザイン系列
デザインや経営を中心に販売促進のためのマーケティングについて学ぶ。地元の商店街の協力のもと店舗実習も行う。経営・芸術・商学系大学への進学を目指す。

部活動[編集]

文化部

  • 吹奏楽部
  • 軽音楽部  
  • 茶華道部
  • 放送部
  • 囲碁部
  • 手話部  
  • 家庭部
  • 美術部  
  • 演劇部  
  • 環境科学部
  • ビジネスクラブ
  • イラストレーション部
  • GF(グローバルフレンドシップ)部   

運動部

  • 硬式野球部
  • ソフトボール部
  • サッカー部
  • 水泳部
  • 陸上部 
  • 剣道部
  • 卓球部
  • ダンス部
  • テニス部
  • バドミントン部
  • 女子バレーボール部
  • 男子バスケットボール部  
  • 女子バスケットボール部

野球部[編集]

野球部はセンバツに2度出場(1940年の17回大会、1951年の23回大会)に出場している。戦績は出場2回で1勝2敗である。また扇町商時代から野球部の帽子には何の文字もマークもなく、ただの濃紺の帽子を着用するのが伝統となっている[1][2]。全国的にもマークが施されていない帽子を着用しているのは非常に珍しいことである。

沿革[編集]

1923年大正12年)4月に大阪市立扇町商業学校として、大阪市北区西扇町(現在の北区神山町・大阪市立天満中学校付近)に開校した。太平洋戦争の際、戦時措置としての工業学校への転換は免れたものの、校舎を新設の大阪市立医学専門学校大阪市立大学医学部の前身)に明け渡すことになったうえ、戦時中の一時期には新入生の募集停止を余儀なくされた。

1945年昭和20年)に大阪市堀川国民学校(現在の大阪市立堀川小学校)、次いで大阪市北野国民学校(戦災により曽根崎小学校に統合され廃校・現在の北税務署の場所)に校舎を移転した。

終戦後新入生募集を再開し、北野国民学校校舎で授業をおこなっていた。しかし同校舎は大阪市立大学理工学部校舎として使われることになり、1948年(昭和23年)に旧松ヶ枝国民学校(戦災により大阪市立堀川小学校に統合され廃校)跡の現在地に校舎を設置した。

1948年(昭和23年)の新制高等学校発足の際、戦時中の女子商業学校増設策で設置された大阪市立中之島女子商業学校[3]を合併して男女共学を実施した。

創立時から一貫して商業科として商業教育を実施していたが、2001年平成13年)に総合学科に改編した。

年表[編集]

出身者[編集]

交通[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 届け全力のエール 開会式
  2. ^ あきらめず128球 宣言通り完投 扇町総合・岡野主将
  3. ^ 国策による男子商業学校の工業学校への転換と、それに伴う女子商業学校の増設策により、1944年(昭和19年)開校。現在の北区中之島大阪市立科学館北側にあった。
  4. ^ 大阪市の中等学校入試難緩和策に伴う中等学校増設により、1942年開校。現在の西区靱公園南側にあった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]