靱公園

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靱公園
UtsuboPark-Tennis-20080726.jpg
靱テニスセンター
所在地
分類 都市公園(総合公園)
面積 96,723平方メートル
開園 1955年(昭和30年)10月21日
運営者 大阪市
ケヤキ並木
バラ園

靱公園(うつぼこうえん)は、大阪府大阪市西区靱本町にある都市公園(総合公園)である[1]四つ橋筋からあみだ池筋までの東西に細長い敷地を持ち、おおむね中央をなにわ筋が縦断する。

概要[編集]

かつての靱塩干魚市場の跡地にあたる。海部堀川1951年埋立)沿いの靱塩干魚市場は干物や肥料にする干鰯などの海産物を全国から集めていたが、1931年大阪市中央卸売市場の開場後に閉鎖され、1945年大阪大空襲で一帯は焼け野原となった。

戦後、占領軍は戦前からの南北幹線道路である四つ橋筋 - あみだ池筋間において、京町堀川1955年埋立)と海部堀川に挟まれた細長い区域(当時の町名でいう靱北通と靱上通の大半に相当)約3万を接収し、占領軍の常用飛行場として靱飛行場を置いた。1952年講和条約発効から2ヶ月後に飛行場敷地は大阪市へ返還され、戦災復興土地区画整理事業によって1955年に靱公園が開園した。また、同事業によって1959年になにわ筋が敷設され、公園を縦断するようになった。

なにわ筋を挟んで東園・西園に分かれ、東園にはケヤキ並木とバラ園が整備され、都心のオアシスとなっている。西園は大部分を靱テニスセンターが占め、世界スーパージュニアテニス選手権大会など国際的な大会も行われている。かつては靱蹴球場というサッカー専用グラウンドがあったが、テニスコートの拡大に伴い、現在は閉鎖されている。

公園周辺は、1990年代後半から衣料店やカフェレストラン、パン屋や洋菓子店などが目立つようになり、ファッショナブルな街へと変貌する途上にある。東園では、公園が街路ではなく直接京町堀通り南側ビル群の裏側に接しているため公園に直接面したカフェやバーが出店したり、バラ園では屋外結婚式が行われるなど、都心ならではの雰囲気となっている。

靱公園の中央、なにわ筋沿いに楠永神社があり、大きなクスノキが目立つ。ここは古くからの神社でかつて海部堀川が横を流れており、靱市場の数少ない名残である。クスノキは戦後、飛行場建設の際に伐採されようとしたが、けが人やブルドーザーの故障が相次いだ。お祓いの際に神社の建物から白い蛇が出てきたことから「この木は神木なので切ってはいけない」という話になり今に残っている。

2007年頃までは公園内にホームレスがブルーシート等を資材としてテント・小屋掛けをしていたり、東園の林の中では若者や家族連れがバーベキューをしたりしていたが、公園管理者による管理徹底によりこれらの行為は最近ではあまり見られない。

公園内に作家・梶井基次郎の文学碑がある(1981年(昭和56年)に建立)[2]

主要な施設[編集]

ハードコート(西園)
センターコート1面(観客席5000人)
サブ センターコート1面(観客席500人)
一般コート14面
アンツーカコート(東園の科学技術館横)
4面
靱卓球場
  • バラ園
  • 結婚式場・レストラン(靱テニスセンターB1F)

定例イベント[編集]

  • 靱公園バラ祭(5月中旬)
バラ園中央で屋外コンサートなどが行われる
  • 花と彫刻展(10月中旬~下旬)
バラ園、ケヤキ並木沿いに彫刻が展示される
  • 植木市(随時)
四つ橋筋側の出口付近など

アクセス[編集]

周辺情報[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 都市公園一覧表(大阪市)
  2. ^ 『新潮日本文学アルバム27 梶井基次郎』(新潮社、1985年)

外部リンク[編集]

座標: 北緯34度41分06秒 東経135度29分34秒 / 北緯34.685055度 東経135.492786度 / 34.685055; 135.492786