大阪市立南高等学校

拡張半保護されたページ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大阪市立南高等学校
大阪市立南高等学校(2014年10月)
地図北緯34度40分28.2秒 東経135度30分46.2秒 / 北緯34.674500度 東経135.512833度 / 34.674500; 135.512833座標: 北緯34度40分28.2秒 東経135度30分46.2秒 / 北緯34.674500度 東経135.512833度 / 34.674500; 135.512833
過去の名称 大阪市立南高等女学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪市
学区 大阪府全域
設立年月日 1937年4月15日
創立記念日 4月15日
閉校年月日 2024年3月31日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 英語探究科(2020年・2021年入学生)
英語科(1988年-2019年入学生)
国語科(1991年-2019年入学生)
学期 3学期制
学校コード D127210001362 ウィキデータを編集
高校コード 27223A
所在地 542-0012
大阪府大阪市中央区谷町6丁目17番32号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

大阪市立南高等学校(おおさかしりつ みなみ こうとうがっこう)は、大阪府大阪市中央区にあった市立高等学校

2022年度に統合および大阪府への移管で大阪府立桜和高等学校が新設された[1]ことに伴い、2021年度入学生を最後に募集を停止し、在校生が卒業する2024年3月に閉校した。また2022年度・2023年度の2年間のみ、府立高校として大阪市北区松ヶ枝町の大阪府立桜和高等学校に移転して学習した。

概要

1937年に開設した旧制大阪市立南高等女学校が前身である。学制改革により普通科の大阪市立南高等学校となり、その後英語科と国語科の2学科を併設する専門高等学校として改編された。2020年度入学生以降は英語探究科1学科の専門高校へと改編している。

英語科・国語科の2学科併設時代は1学年あたり各学科2学級ずつの計4学級、また英語探究科への改編後は1学年2学級の、大阪府の高校としては小規模となっている。

英語科は1988年、大阪府内の公立高校では最初に設置された。英語を重点的に学び、英語力向上のために、少人数授業やALTとのティームティーチングによる英会話の授業、海外研修旅行や宿泊セミナーなどをおこなっている。2020年度および2021年度の入学生については英語探究科に改編された。

国語科は高校の専門学科としては日本唯一で、国語について重点的に学ぶ。現代文や古典、表現、古典芸能に関する専門科目が開講されている。また、文学ゆかりの土地の見学、作家やジャーナリストなどによる特別講義などもおこなわれている。

アメリカ合衆国オーストラリア中華人民共和国の高等学校とそれぞれ姉妹校協定を結んでいる。

校歌は、同校教諭として勤務したことがある作家庄野潤三が作詞[2]を手がけている。

沿革

昭和時代初期の高等女学校への進学希望者増加に伴う入学難緩和のため、大阪市立としては3番目の高等女学校・大阪市立南高等女学校として、1937年4月15日に大阪市南区西賑町(現在地)に開校した[3]。開校当初は、尋常小学校卒業者を入学対象とした5年制の学校だった。

校舎敷地は、この年限りで廃校となった旧大阪市育英高等小学校の敷地を継承した。また同校に併設されていた育英高等家政女学校[注釈 1]の教育実践も継承する形になった。

太平洋戦争中には戦時体制として、修業年限が4年制へと短縮され、また工場への動員が実施された。終戦後の1945年10月に5年制へと復帰した。

学制改革

学制改革により、1948年4月1日に大阪市立南高等学校として発足し、全日制普通科を設置した。

大阪市では当時市立として設置されていた旧制中等教育学校について、全校を形式的・暫定的に新制高等学校へと移行させたが、戦災被害などを考慮して学校を整理統合することにしていた。1948年4月21日には、敷地を新制中学校に転用することになった大阪市立桜宮高等学校が南高等学校の敷地内に移転し、2校が同居することになった[4]。学校名については当時、「大阪市立南桜宮高等学校」と併称することもあった[4]。桜宮高等学校は1950年、独立校舎を設置して退去している。

1948年6月15日には大阪府立今宮高等学校(旧制今宮中学校)および大阪府立泉尾高等学校(旧制泉尾高等女学校)と生徒・教職員を交流し男女共学となった[4]

学校敷地・校舎

1956年には鰻谷の大阪市立大学敷地(旧制大阪市育英商工学校跡地。現在の中央区島之内1丁目)を運動場として譲り受け、翌1957年より運動場として使用した。鰻谷運動場は大阪市立南中学校の移転・建て替え用地として提供されることになり、1983年3月に廃止している。廃止の代替地として、1983年4月より旧南中学校分校敷地[注釈 2]が提供され、南船場運動場として使用している。

1960年代には生徒数増加に伴う学級増のため、特別教室を普通教室に転用したり、屋上にプレハブ校舎を設置するなどした。敷地狭隘化や校舎老朽化により、1960年代前後から郊外移転なども含めた対策が検討された。大阪市教育委員会は移転先として瓜破(現・平野区)や南港(現・住之江区)などの案を提示した。しかし学校関係者は「移転する場合は、南区内もしくは近辺での移転を希望する」と強く主張し、郊外移転案は立ち消えになっている。

最終的には現在地での校舎建て替えが、1986年2月に決定した。1986年8月には浪速区難波中3丁目、旧大阪市立難波小学校[注釈 3]に仮移転し、仮校舎で約1年半の間教育活動をおこなった。

1988年3月に現在地に新校舎が竣工し、1988年4月より使用を開始している。

専門高等学校に改編

大阪市では1980年代以降、「意欲的で目的意識の明確な生徒の入学により学校が活性化することをねらい」[5]として、府立高校とは異なった形での学校特色化の動きが進み、市立の普通科系高校では普通科目を深化させて学ぶ専門学科設置の動きが生まれた。

1984年2月27日に出された大阪市学校教育審議会第4次答申では、高等学校における外国語教育の充実が打ち出され、英語科の設置が提言された[6]。南高等学校では校内で検討を進めた結果、1984年6月28日に「校舎の改築」と「英語科2学級および理数科1学級の設置」を大阪市教育委員会に求める方向で、職員会議での合意が得られた[6]。大阪市教委はその後1986年2月21日付で、南高等学校の校舎建て替えと英語科新設を決定し報道発表した[6]。その一方で理数科については構想のみにとどまった。

設置準備を経て、1988年度より英語科を新設した[6]

さらに1991年には国語科を新設した。国語科新設に伴い、普通科は1991年度より募集停止となっている。

学校統合

大阪市教育委員会2010年代に入り、大阪市立の普通科系高等学校の再編方針を打ち出した。背景には、少子化の進行による生徒数の減少や、大阪府教育委員会と大阪市教育委員会が連携して2013年11月に打ち出した「2018年度までに府立・大阪市立あわせて7校程度の公立高校統廃合を検討する」方針があった[7][8]

大阪市高等学校教育審議会は2017年1月23日、「本市普通科系高等学校の在り方について(第12次答申)」を大阪市教育委員会に提出した[9]。答申では、市立普通科系高等学校7校を設置学科の特徴によって「スポーツ体育系」「理数系」「言語系・実業系および総合学科」の3グループに分類し、「言語系・実業系および総合学科」の同一グループに分類された大阪市立西高等学校大阪市立扇町総合高等学校および大阪市立南高等学校について、英語力やICT活用力・市立としての強みを生かした高大連携などをおこなう新たな普通科系高等学校としての検討を提言した[9]

2017年7月14日の大阪市教育委員会会議において、南高等学校・西高等学校・扇町総合高等学校の大阪市立3高校を1校に統合し、2022年4月1日に従来の扇町総合高等学校の校地(北区松ヶ枝町)に新しい普通科系高等学校を開校させる計画が原案どおり了承された[7][8]

統合方針に伴い、統合対象の3校についても2020年度・2021年度の学科および入学者選抜の再編成がおこなわれ、2018年10月2日の大阪市教育委員会会議で基本方針が承認された[10][11]。新普通科系高校では「教育」に関する内容を学習の軸に据えることに対応する形で、統合対象の3校の新学科についても教育に関連する内容を取り入れた学習内容とした。これに伴い、南高等学校は2020年度より英語探究科を設置し[10]、従来の英語科・国語科は募集停止となった。

統合新校の名称はその後、2020年5月に「桜和(おうわ)高等学校」に決定した。2020年5月26日に大阪市会で統廃合関連の条例案[12]が可決されたことにより、2022年4月1日付での桜和高等学校の設置と、南高等学校が桜和高等学校敷地に移転することが正式に決定した。

また大阪市と大阪府の方針により、大阪市立の高校全校を大阪府に移管する方針が具体化し、2020年12月に大阪市会および大阪府議会で移管に関連する条例が可決[1]された。これに伴い大阪市立の高等学校は2022年度より大阪府に移管[1]されることになった。

2022年以降の南高等学校の生徒については学籍は卒業まで同校のままとなった上で、大阪府立となり、在校生が在籍する2022年度および2023年度は大阪府立桜和高等学校と併存することになる[1]。南高等学校の在校生は2022年4月以降、桜和高等学校の校舎(大阪市北区松ヶ枝町、従来の大阪市立扇町総合高等学校敷地)で学ぶ。その後2024年3月に閉校した。

年表

南第二高等学校

大阪市立南第二高等学校
地図北緯34度40分28秒 東経135度30分46秒 / 北緯34.6745度 東経135.512833度 / 34.6745; 135.512833
過去の名称 大阪市立南第二女学校
大阪市立南第二高等女学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪市
学区 大阪府全域
設立年月日 1938年2月13日
閉校年月日 1986年3月31日
課程 定時制課程
設置学科 普通科
学校コード D127210001362 ウィキデータを編集
所在地 542
大阪市南区西賑町6
(現:大阪市中央区谷町6丁目17番32号)
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

大阪市立南高等学校と敷地を共有していた定時制課程単独設置の高等学校・大阪市立南第二高等学校の沿革についても、当項目で記述する。

1938年2月13日に南高等女学校の敷地内に、夜間部の大阪市立南第二女学校を併設した。大阪府の公立学校としては初めての夜間女学校であり、府下でも夜間女学校は私立扇町夜間女学校[注釈 4]と並んで珍しいものだった。

南第二女学校は1944年に大阪市立南第二高等女学校へ改編され独立した。1948年の学制改革により大阪市立南第二高等学校として発足した。しかし定時制高校の再編方針により、1986年に閉校した。

出身者

関係者

交通

参考文献

  • 大阪市立南高等学校『創立50周年記念誌 新校舎竣工・英語科発足記念』1988年。 

脚注

注釈

  1. ^ 1919年育英実科女学校として設置、1930年育英高等家政女学校に改編。1937年廃校。
  2. ^ 旧制渥美尋常小学校跡地。現在の中央区南船場1丁目。
  3. ^ 後年の大阪市立浪速スポーツセンターの場所。
  4. ^ のち定時制高校の大阪女学院第二高等学校、1974年閉校。

出典

  1. ^ a b c d 大阪市立の高等学校等移管計画” (PDF). 大阪市教育委員会. 2021年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月22日閲覧。
  2. ^ 『創立50周年記念誌 新校舎竣工・英語科発足記念』大阪市立南高等学校、1988年、69頁。 
  3. ^ 『創立50周年記念誌 新校舎竣工・英語科発足記念』大阪市立南高等学校、1988年、32頁。 
  4. ^ a b c 『創立50周年記念誌 新校舎竣工・英語科発足記念』大阪市立南高等学校、1988年、38頁。 
  5. ^ 高等学校の現状と課題 事業分析(経過報告)” (PDF). 大阪市教育委員会事務局 (2005年10月). 2021年4月21日閲覧。
  6. ^ a b c d 『創立50周年記念誌 新校舎竣工・英語科発足記念』大阪市立南高等学校、1988年、74-75頁。 
  7. ^ a b 平成29年第16回教育委員会会議 議案第99号 普通科系高等学校の再編整備の方向性について” (PDF). 大阪市教育委員会 (2017年7月14日). 2021年4月22日閲覧。
  8. ^ a b 普通科系高等学校の再編整備の方向性について 今回の再編整備計画の白紙撤回を求めます 大阪市教育委員会会議決定(2017.7.14)に対する見解”. 大阪市立高等学校教職員組合 (2017年7月25日). 2021年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月22日閲覧。
  9. ^ a b 本市普通科系高等学校の在り方について(第12次答申)” (PDF). 大阪市高等学校教育審議会 (2017年1月23日). 2021年4月22日閲覧。
  10. ^ a b 平成30年第21回教育委員会会議 議案第90号 普通科系高等学校の再編整備について” (PDF). 大阪市教育委員会 (2018年10月2日). 2021年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月22日閲覧。
  11. ^ 教育系の専門学科を有する新高校の設置”. 大阪市教育委員会 (2020年10月20日). 2021年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月10日閲覧。
  12. ^ 大阪市会令和2年5月第2回定例会議案第110号「大阪市立高等学校条例の一部を改正する条例案」” (PDF). 大阪市会 (2020年5月). 2021年4月22日閲覧。

関連項目

外部リンク